「AAFコラム #35 陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー)」書きました。
AAF(アサヒアートフェスティバル)のコラムを書きました。なんや完全に勢いで書いてますねw よろしければどうぞ。
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■AAFコラム #35 陸奥賢(観光家/コモンズ・デザイナー)
http://www.asahi-artfes.net/news/2014/05/34-1.html
AAFネットワーク事務局の長谷さんから電話をいただいて「むつさん、AAFコラムをお願いします」ということで、ひきうけました。文字数はなんぼかいうてはったと思うんですが、忘れました。あんま気負いせんと書きます。ネット掲載やから短くても長くてもええはず(笑)
AAFは今年で3年目になります。参加したきっかけは岸井大輔さん、小手川望さん、そういった方々(アートというよりも演劇関係者のみなさんだったんですが)と出会ったことが大きいです。「AAFってのがあるよ」と教えてもらったんですな。
ぼくは2011年から「大阪七墓巡り復活プロジェクト」という「死生観光プロジェクト」(「死者」と「生者」が出逢う観光。ぼくの造語です)を実施していました。最初はすべて手弁当で、資金繰りというようなこともあまり考えていなかったんですが、何かやるにはやはり資金が必要で、それでAAFに参加させていただいたんです。参加してよかった思ってます。日本全国のへんなひとと色々と知り合えた。こういう方々を応援するアサヒビールは素晴らしいと思います。これはほんまに。みんなアサヒを飲もう!
「大阪七墓巡り復活プロジェクト」は江戸時代の大坂の町衆の祭礼です。まちで行き倒れたり、罪人とか、遊女とか、そういう無縁仏を供養した。無縁ですから自分とは全く関係ない「他者」なんですが、そのためになにかやるってスピリッツはステキやなぁと。また墓の前で、歌舞音曲とともに、ドンチャン騒ぎをやってたらしいんですな。当時はアサヒビールはないんで酒飲んでやったことでしょう。男女のデートコース、道行みたいなもんやったとか。こういうカオスモスな祭礼があったということが、大阪的やなぁと思ってます。
それで2011年の夏に、それを復活させたいと思って活動を始めたんですな。色んな人が注目してくれまして。特に宗教関係者が多いんですが。お世話になっている應典院の秋田住職なんかには「陸奥君は都市宗教のオリジンがわかっている」なんてことをいわれて心底ビックリしました。「それは無縁大慈悲というんだよ」という言葉も忘れられません。みなさんも墓参りする思いますが、それは祖先ですな。おじいちゃんやおばあちゃんといった有縁の関係性。それを供養するのは、まぁ、いってみれば当たり前のことで。しかし無縁の人、自分と関係ない人、他者。そういう人のために、なにかやるってことが、ほんまもんの慈悲や仏心や供養なんやと。無縁大慈悲。すごい言葉やなぁと思います。このプロジェクトをやったおかげで、宗教の力、智慧みたいなものにも気づいて、色々と感じるものがありました。今年で4回目。今年も当然やります。どういう感じでやるんか?ちょっと自分の中で迷いがあって、定まってないんですが、粛々とやりたいなぁという気がしてまして。ご興味あればご参加いただければ幸甚です。
※大阪七墓巡りについては、どういうものか?なぜやっているのか?というのは、かつてAAFの交流プログラムでも書いたことがあるので、またよかったら、こちらもご参照ください。
→2012交流支援プログラムレポート09 「田んぼの記憶&大阪七墓巡りトーク」と「まわしよみ新聞ワークショップ」
http://www.asahi-artfes.net/news/2013/07/201209.html
観光家としては七墓以外にも、いろいろとへんな活動をしています。とくに最近、自分でも面白いと思って力を入れているのが「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」。「メディア遊び」とか「コモンズ・デザイン」とかいうてますが、これもぼくは大きくいえば観光の範疇に入ると思っていて。観光ってのは要するに光の当て方なんですな。「まち」「物事」「人」「墓」「本」「新聞」「寺」とか、なんでもええんですが、そういう何気ない、普段の、日常のものでも、別の角度から照射して光を当てることで、意外な発見や面白味、想像だにしない何か?ってのが出てくる。ブリコラージュすることで、世界「観」とか人生「観」とか哲学「観」などを揺さぶる。それが観光家むつさとしの仕事やろうと思ってます。
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「コモンズ・デザイン」については話しておきます。最近「コミュニティ・デザイン」という言葉をよう聞くんですが、「コミュニティ難民」なんて言葉もありまして。これは日常編集家のアサダワタルくんなんかが使っているのを聞いて(彼もそうらしいんですが)、ぼくもまさしく自分はコミュニティ難民であると自負(?)してますが、ぼくは基本的にコミュニティには馴染めない人間のようです。自分でも残念なことですが。
「コミュニティ」いうんは「国家」とか「民族」とか「都市」とか「村」とか「家」とか「会社」とか、ある種のルールやシステムで動く所属集団のことを指します。中に入っていると安心ですが、ルールやシステムから外れるようなことをしたら、「村八分」にされたりする「怖い社会」でもあるんですな。
もちろんコミュニティ(ルールやシステム)があることで人間は生きていけますが、しかし、その弊害として閉鎖的な部分が少なからずあるということ。またコミュニティはコミュニティと喧嘩したりするんですな(これがじつは最大のコミュニティの弊害では?という気もしています)。A村とB村があって隣接していると、そこの境界ってのは、大体、イザコザがおきます。「この土地はA村のもんだ!」「いや、B村のもんだ!」という争いが必ず起きる。近代戦争ってのもコミュニティとコミュニティのいがみ合いであるわけです。コミュニティがあるがゆえに、こうした悲劇が起きる。起きてしまう。
そこで昔の人は知恵をつけて、どっちにも所属しない「入会地」「入会山」というのを作ることにしたんですな。これが「コモンズ」です。この入会地、入会山は誰でも入れる。A村の人、B村の人はもちろん。どこの村にも所属しない旅商人や旅芸人(コミュニティ難民です)といった外部の人なんかも自由に行き来できる。そこでタケノコがとれるとあれば基本的には、だれでもとっていいということになってます。但し、全部とってはいけない。シェアを大前提とする。全体で100個のタケノコあれば、A村は20個ぐらい。B村も20個ぐらい。旅商人、旅芸人も20個ぐらい。それぐらいで残しておく。全部所有しない。なぜならば入会地、入会山、コモンズだから。これをA村が100個とったとか、B村が100個とったとかしてしまうと=コミュニティ化すると結局、喧嘩、戦争になる・・・というわけです(こういうのを「コモンズの悲劇」というそうですが)。
要するに、コミュニティというものに、色んな意味で、ぼくはちょっと限界を感じているんですな。コミュニティは重要ですが、コミュニティだけでなんでもかんでも解決するのはムリがあるわけで、コミュニティとコミュニティのあいだに、はざまに、すきまに、境界に、コモンズがいると。いま必要なのは閉じたコミュニティの活性ではなくて、「開かれたコモンズの復活」であろうと。コモンズに内在される「いつでも、どこでも、だれでもいい」というシェアやオープンフリーの知恵だろうと。
なんでもかんでも線引きし、だれそれの所有と定めて権利を主張することを是としたのが近代です。おかげで世の中にコモンズがなくなってしまった。じつに窮屈で、ギスギスした世の中になってしまっている。「ゆとり」や「遊び」がないように感じるんですな。それをなんとかしたいんですわ。それで「コモンズを作ろう」という意味で「コモンズ・デザイン」をやっています。孤軍奮闘で、燈籠の斧かも知れませんがね。
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いま文字数カウンターで調べたら原稿は3000文字を超えてました。ぼちぼち終わりたいと思います。長くなったかな? 長谷さん、みなさん、すいません。今後とも何卒よろしくお願いします。
陸奥賢 Satoshi Mutsu
1978年大阪生まれ。観光家/コモンズ・デザイナー。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「大阪モダン寺巡礼」などを手掛ける。應典院寺町倶楽部専門委員。NPO法人大阪府高齢者大学校まち歩きガイド科講師。NPO法人ココルーム理事。NPOまちらぼ代表。