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「たけし文化センター のヴぁ公民館@むつ祭り!!」にて「陸奥賢お喋り会 ぼくの公民館構想」

2014 年 7 月 6 日

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昨日は「たけし文化センター のヴぁ公民館@むつ祭り!!」にて「陸奥賢おしゃべり会 ぼくの公民館構想」。19時から始まって、23時ぐらいにいったん終わって、そっから居酒屋いって、さらに深夜2時ぐらいまで喋る・・・という濃厚な企画でした。いやぁ、喋ったww

「当事者」(自分)というのは世界にただひとりで、世界の99.9パーセントは「他者」なわけで、まさしく世界は他者に満ち溢れています。他者にもしかし濃淡やグラデーション=「他者性」があるわけで。完全に理解不能な「絶対他者」(神、仏、超越者、死者、無縁仏)というような存在もあれば、絶対他者と当事者のあいだには無数の「相対他者」も存在します。そして観光とは「(自分の世界観や人生観を揺るがすような)他者性との出逢い」そのものであって、「観光家」としてのぼくの仕事とは「他者という存在へのまなざしの発見」なわけです。「まわしよみ新聞」も「直観讀みブックマーカー」も「大阪七墓巡り復活プロジェクト」も「他者性」を強く意識しています。まわしよみ新聞が一番、他者性意識が低く(だからわかりやすい。他者性への入口です)、次に直観讀みブックマーカー(これは偶然という神=絶対他者との遊びです)、大阪七墓巡り復活プロジェクト(これは無縁仏=絶対他者との遊び)が続きます。

他者(や他者性の強い存在)をどんどんと排除していこうとする動きや考え方、論理(それは多様性を認めず、寛容性をなくす社会です。人間を同一化=均一化=規格化=商品化=資本化する思想です)が現代を覆い尽くそうとしているのが色んな意味で問題で。パブリック(公)やコミュニティ(共同体)、プライベート(私)は「他者性意識」(他者へのまなざし)をもちません。「他者」との共存を意識するのは「コモンズ」(共であり、より実態に近い言葉でいえば共異体)でしかないわけです。「他者との出逢い」「他者性の発見」を作ろうとする観光家むつさとしとしては、だから「コモンズ」(コモンズ的な)の場所や空間、時間を作る・・・ということが必要不可欠な仕事にもなってきます。

要するに、観光家(他者との出逢い)=コモンズ・デザイナー(他者が存在する空間や時間を作る)というのは、「他者」という存在を起点にすれば、全く同じようなことをいっているわけで。「むつのいってること、やってること、何者なんか?ようわからん」とよういわれるんですが、そない難しいことをいっているわけやないとww ざっくばらんにいうと、そんな話をしました。

「のヴぁ公民館」が「共民館」(コモンズ・センター)として、多様な他者との出逢いの場とならんことを。深く祈ってます。


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