ミックス玉。美味。
【学研・進学情報】まわしよみ新聞が『学研・進学情報 2017年6月号』に掲載されました!ありがとうございます!^ ^
4ページにわたっての大特集。ライターの福永さんは大阪で取材をされて、全国まわしよみ新聞サミットにも来ていただきました。凄い熱量で、素晴らしいレポートになってます。
鹿児島大学の渡邊先生(「せかいいちばか」は爆笑ww)、純真学園大学の猪俣先生、北野高校の桝井先生、兵庫県立農業高等学校の橿先生など、実際に教育現場でまわしよみ新聞を取り入れている先生方のご意見なども記載されてます。「ルーブリック評価」の話はぼくも思わず膝を打ちました。この手があったか。なるほど…。
まわしよみ新聞はメディア遊び。それを見事にアクティブ・ラーニングやキャリア教育、情報リテラシーの教材として応用、活用している。現場の工夫次第なんですな。進化してます。まわしよみ新聞。教育者の情熱にやられました。脱帽ですm(_ _)m
「本の神さまはなんでも知っている」「テレパシーで悩みを送ってください」「ブックマーカーテロをやりましょう」
あやしいカルトな直観讀みブックマーカーww
7/3に池田市石橋の平和温泉さんで歌垣風呂を実施します!今回の歌垣風呂は平和温泉さんのご協力で「20代〜40代の男女」を募集します。つまり独身・未婚・既婚・バツなどは問わないということです。より「古代の歌垣」に近づきましたw
歌による男女の交流体験です。ぜひともご参加ください!m(_ _)m
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■7/3(月)19時より石橋・平和温泉(池田市)さんで「歌垣風呂」開催!参加者募集中!
https://www.facebook.com/events/1291301560989289/
歌垣風呂をやって驚いたのは、人間の歌や声に対する、あまりにも鋭い直観。お互い良いと思う確率があまりにも高い。
物事を覚えるのに「歌で覚える」という手段があります。そのまま思い出そうとしてもなかなか言葉が出てこないけど歌にすることで、するすると言葉がでてくる。
江戸時代の寺子屋では「素読」が流行ったとか。いまでいえば幼稚園児のような幼い子供が、先生の声に合わせて四書の『論語』『大学』『中庸』『孟子』などを声に出して読む。先生も中身の説明は一切しない。解説しない。解釈しない。ただ先生の「声」(リズム、声色、調子)に共鳴することで、いつのまにか四書の難しい言葉が、カラダの隅々にまで染み渡り、それらがやがて深い知見に到達する。
そんな教育方法で大丈夫かいな?と思いますが、江戸時代の日本人の識字率の高さ、教養文化レベル、幕末から明治へと変貌する近代化プロセスを見ていても、この教育方法の有効性、可能性は証明されてます。
いずれにせよ、歌や声は、人間に、なにか、そういう不可思議な作用を及ぼすらしい。「意味」とか「論理」をすっ飛ばしてやってくる。超越的やし、直観的やし、呪術的なんですな。
宮本常一の『忘れられた日本人』の中に歌垣に関する記述があって。対馬の鈴木老人。昔はこの老人に憧れましたがw こんなことがほんまにあるのか?あったのか?あったんでしょうな。歌垣風呂をやってみて、いま、確信してます。
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「対馬には島内に六つの霊験あらたかな観音さまがあり、六観音まいりといって、それをまわる風が中世の終わり頃から盛んになった。男も女も群れになって巡拝した。佐護にも観音堂があって、巡拝者の群れが来て民家にとまった。すると村の若い者たちが宿へいって巡拝者たちと歌のかけあいをするのである。節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後にはいろいろのものを賭けて争う。
すると男は女にそのからだをかけさせる。女が男にからだをかけさせることは少なかったというが、とにかくそこまでいく。
鈴木老人はそうした女たちと歌合戦をしてまけたことはなかった。そして巡拝に来たこれというような美しい女のほとんどと契りを結んだという。
前夜の老人が声がよくてよいことをしたといわれたのは、このことであった。明治の終わり頃まで、とにかく、対馬の北端には歌垣が現実にのこっていた。
巡拝者たちのとまる家のまえの庭に火をたいて巡拝者と村の青年たちが、夜のふけるのを忘れて歌いあい、また踊りあったのである。
そのときには、嫁や娘の区別はなかった。ただ男と女の区別があった。歌はただ歌うだけでなく、身ぶり手ぶりがともない、相手との掛けあいもあった。」
宮本常一『忘れられた日本人』
■歌垣風呂
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