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「巡り」という「反復」によって「差異」を発見する。この「差異」によって真に根源的なものや真に創造的なものが産まれてくる。

2017 年 5 月 2 日

昨日の曾根崎心中まち歩き。もう何度やったかわかりませんが、何度やっても面白い。

お初が観音巡りをしたように、ぼくもお初の痕跡を探して巡る。こういう男が曾根崎心中の時代にはようさんいたに違いない。

お初巡りは観音巡りになる。お初はいつのまにか観音さまになっている。この近松の物語がわからんと曾根崎心中もわからん。

※画像はガイド中の陸奥賢w 撮影は前田さんm(_ _)m

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journeyは日々の新しい記憶で「旅」。journeyはjournalismの語源でもあります。sightseeingは「まなざし」の話で、これは「観光」。tourismは「轆轤」の意味で、「回転」の意味で、これは「巡礼」。ぼくは「観光の哲学」よりも「巡礼の哲学」の方が気になっている。

tourismは「巡り」。巡りは同じところを巡る。何度も巡る。お遍路がイメージしやすいですな。どこからスタートしてもいいし、ゴールはあるようでない。お遍路はリピーターも多いです。中には10回目、20回目の巡りという人もいる。これはなにか?つまり「巡り」をすることで「初めて巡った時の自分」と「10回巡った時の自分」が出逢う。そういう意識が産まれてくる。

何度も巡るうちに、そういう「初めて巡ったら時の自分」と「10回巡ったら時の自分」との出逢いなんてことが起こる。これは拡大すると、過去の、巡りの先人たちにも想いを馳せる。この道はいつか誰かが先に巡った道。そしていつかまた誰かが後に巡るであろう道。巡礼は「時間軸」が大事ということ。

「巡礼」は何度も同じところを巡るうちに「過去」(かつての自分、先人、死者、他者)と出会い、そしてまた「未来」(これからの自分、後人、未来者、他者)と出会う。過去と未来の結節点としての現在を認識する。自分はどこから来て、いまどこにいて、これからどこに行くのか?それを教えてくれる。

巡りは、そういう意味で、内的、内省的にならざるを得ない。宗教性とリンクしやすい。実際に宗教ツーリズムは、大抵「巡る設定」「巡るシステム」になっている。八十八ヶ所霊場、三十三ヶ所観音巡り、十三仏巡り、七墓巡り、六地蔵巡りなどなど。循環構造。輪廻。巡礼(tourism)の面白さ。

ジル・ドゥルーズの『差異と反復』みたいなもんですな。「巡り」という「反復」によって「差異」を発見する。この「差異」によって真に根源的なものや真に創造的なものが産まれてくる。ニーチェなら「永劫回帰」というかも知れないw


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