大阪まち歩き大学。舎利寺まち歩き。法見寺。
大阪まち歩き大学。舎利寺まち歩き。法見寺。
日蓮宗の寺院ですが面白いのが若き頃の日蓮(当時は蓮長と名乗っていた)さんが磯長にあった聖徳太子廟へお参りする際に当地に立ち寄った…という伝承があること。それが縁起となって寺院ができたという。大阪市内で日蓮さんが訪れた寺というのは四天王寺以外、あんまり聞いたことがない。
四天王寺に立ち寄ったというのは日蓮さんの御書『妙法比丘尼御返事』の中にもちゃんと書かれている。
「十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習ひ回り候し程に、一の不思議あり」
12歳(入寺した歳)、16歳(出家得度した歳)から32歳に至る20年間に鎌倉、京、比叡山、園城寺(三井寺)、高野山、四天王寺などいろんな国、いろんな寺を巡ってる時に一つの疑問(不思議)を抱いた…というような文意となる。
ちなみに日蓮さんが何の疑問を抱いたか?というと、いろんな寺にいったけどそこの僧侶たちは「謗法」ばかりをやっている。どうしてなのか?という疑問で、だから彼らは謗法の罪によって地獄に堕ちる…という話に展開していきます。
日蓮さんにとってみれば仏法とは法華経であり、それ以外の教えは謗法となる。特に当時は浄土信仰が盛んで、いろんな宗派が浄土信仰の影響を受けて、そのエッセンスを取り入れていた。それがアンチ浄土信仰の日蓮さんは許せなかった。要するに京、鎌倉、比叡山、高野山、三井寺、四天王寺の僧に対してダメ出ししてはりますw
そんな日蓮さんですが、聖徳太子の墓所である叡福寺に参籠したそうで、まぁ、太子こそは法華経を日本に齎した仏教者なんで太子に対しては流石の日蓮さんも厚く崇敬しておったらしい。
どこから日蓮さんがやってきて、叡福寺をお参りしたのかよくわからないが法見寺は平野川添い、平野街道にある。八軒家浜あたりから平野川、平野街道を経て平野郷経由で、さらに南に迎えば確かに叡福寺に至るわけで、そう考えると、この辺りを日蓮さんが訪れたというのも地理的にはあり得なくもない。
法見寺近くの舎利寺は大寺(こちらは聖徳太子、生野長者の開基という伝承)で、よく訪れているが、こちらのお寺はあまり触れることがない。しかし何の因果か在家法華教団の家に生まれてしまった陸奥賢は結構、このお寺さんが好きなのですよw