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2022 年 4 月 2 日 のアーカイブ

新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。大阪屋。

2022 年 4 月 2 日 Comments off

新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。大阪屋。

和菓子屋である。店の名物「万代太鼓」(美味しゅうございました)を買いながら「ぼく、大阪からきましてん」と店の方に話しかけてみたら、いろいろと店の成り立ちについてお教え頂いた。

初代の岡嘉平は彦根藩領・近江国犬上郡石畑村(滋賀県犬上郡豊郷町石畑)の生まれで大阪に出て菓子修行を行った。その後、新潟に移り住み、「浪花堂大阪屋」と号して安政5年(1858)に菓子屋を開いたという。腕がよかったのかあっというまに繁盛して、いろんなファンがついたようだ。店の看板は會津八一(別名・渾斎)の揮毫というから凄い。

大阪屋という店名の和菓子は青森県弘前市にもある。聞けば特に新潟の大阪屋と青森の大阪屋は関係ないらしい。「青森にも大阪屋があるのですか?」と逆に質問されたw

弘前の大阪屋の「冬夏」という和菓子は淡い、儚げな味で、じつに絶品だった。弘前の大阪屋の創業者は、じつは豊臣方の人物らしく大坂の陣で敗北し、縁故を頼りながら弘前まで逃げ、そして和菓子屋を開いたという。だから「冬夏」というのは大坂の「冬の陣」「夏の陣」から来ていると聞いた。

弘前の人たちは秀吉贔屓、豊臣贔屓(?)のようなところがある。というのも弘前藩の初代藩主の津軽為信は、かつては南部氏の部下で、しかし南部氏を裏切り、独立した成り上がり者だった。南部氏から何かにつけて目の敵にされていたが、その為信を大名として認めたのが秀吉だった。その御恩を為信は一生、忘れなかった。

秀吉死後、豊臣政権は滅亡し、為信も江戸幕府、家康に帰順するが弘前城の「館神」という神社に密かに秀吉の木像を安置していた。「館神」は「開かずの宮」で江戸時代を通じて中に何があるか?は秘密であったが明治になって開けてみると秀吉像が発見された。幕府に見つかったら改易されるような危険な行為だが、それほど為信は秀吉贔屓、豊臣ファン(?)であったらしい。

弘前には、だから結構、豊臣の残党、逃げてきた人がいるという。その中に弘前の大阪屋の創業者もいたということだろう。

新潟の大阪屋を見た時に「もしかして豊臣方の残党…?」とか一瞬、思って、それで店の方に聞いてみたんですが、全くそうではなかった。残念w


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新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。よくある聖書配布協力会の看板。

2022 年 4 月 2 日 Comments off

新潟県。阿賀町。まち歩きフォトスゴロクの研修。よくある聖書配布協力会の看板。

日本仏教会も仏教配布協力会(?)を作ってやればいいのに。

「仏の顔も三度まで」
「馬の耳に念仏」
「知らぬが仏」
「釈迦に説法」

あ。ちゃうわ。これ、ことわざや。


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