大阪まち歩き大学。産湯稲荷神社。
大阪まち歩き大学。産湯稲荷神社。
かつては比売許曽(ヒメコソ)神社が当地にあったという。比売許曽神社は式内社で由緒は古い。御祭神は下照比売命(シタテルヒメ)。
シタテルヒメは大国主命の娘で、夫が天若日子(アメノワカヒコ)。この夫は葦原中国を平定するために天津神に遣わされたが、妻のシタテルヒメにゾッコン惚れ込んで天津神を裏切り、その結果、天津神の怒りに触れ、弓矢で射抜かれる。神々に反逆した若者で「アマノジャク」というのは、この天若日子を意味するという説もある。
ただ『古事記』『日本書紀』によると比売許曽神社は新羅から来た阿加流比売(アカルヒメ)と関連するという話が記載されていて、僕はこちらの方が興味深い。
アカルヒメは新羅王の子の天之日矛(アメノヒボコ)の妻だが、アメノヒボコの暴言に怒り、故郷に帰ると難波津に帰ったという(アカルヒメは大阪人でアメノヒボコとは国際結婚だった?)。アメノヒボコが逃げこんだのが姫島(大正区説、淀川区説とある)という伝承もあり、大阪にはアカルヒメ伝説の地がいくつか点在している。
場所としては産湯稲荷神社のあるあたりは味原池があり、古代は河内湾と接していた。自然と渡来人の伝説、伝承が多い場所でアカルヒメ=新羅系の渡来人たちがやってきたとしてもそれほど不自然なことではない。
境内はまたいろいろと不思議なものが多く、おたぬきさま?の石像や巳さん(龍神)や寅(寅八、寅吉)の神さま(?)の名が刻まれた石がずらっと並んでいる。おそらく境内の桃山(江戸時代は桃の名所でもあった)の周囲には拝み屋さんのような人がいろいろといたのだろう。
産湯稲荷の産湯は誰の産湯か?というと大小橋命(オオバセノミコト)。この人は中臣氏、藤原氏の先祖で、この辺も謎めいている。小橋は地名となり、大阪七墓巡り復活プロジェクトの小橋墓地の名もここに由来するのでは?と思われるが、よくわからない。
上方落語の『稲荷俥』の舞台もここだったりもする。いろいろと物語が錯綜していて混乱するが面白い。楽しい。深い。