大阪まち歩き大学。藤井寺。道明寺天満宮。土師社。
大阪まち歩き大学。藤井寺。道明寺天満宮。土師社。
古代、権力者が亡くなると死後の生活のために親しい一族の者、部下、生口(奴隷)などが生き埋めにされた。「殉葬」というが、土の中から哀れな泣き声や嗚咽が聞こえたという。
その残酷な風習を改めようと人間のカタチをした埴輪を埋めることを提案したのが出雲出身の野見宿禰。11代の垂仁天皇に認められ、その功績から所領地を与えられた。それが現在の道明寺界隈で野見宿禰は土師氏の祖先だから、ここは土師氏の本拠地となる。
野見宿禰はノミノスクネと読み、このノミは大工道具の鑿(のみ)に通じる。古墳を作るには石を削ったり掘ったりの作業が必要で、それには鑿を使うから「鑿(のみ)の宿禰(貴人)」という名前を推察すると大工の棟梁みたいな存在と思われる。日本は世界最大のゼネコン大国だが野見宿禰こそは土建屋のオッサンの始まりといえる。
土建屋のオッサンこと野見宿禰は力自慢で、だから同じく力自慢の当麻蹴速と戦ったというエピソードもある。当麻蹴速(たいまのけはや)は大和の当麻村(奈良県)にいた蹴速(蹴るのが速い=足技の格闘技に長けた男か)といったような意味で、野見宿禰と対決するが腰骨を蹴りで折られて殺されてしまう。可哀想に。出雲の男(野見宿禰)と大和の男(当麻蹴速)が戦って出雲の男が勝つというのもなかなか意味深ではあるが…。
そして、この対決をもってして「我が国初の相撲である」という説があるが「蹴り殺す」という決まり手(?)は今の我々のイメージする相撲とはかなり解離している。もっと荒荒しい原始的な格闘技であって、これを相撲の発祥というのは、ちとムリがあると個人的には思う。
相撲が相撲たりえるのは、やはり「土俵からでたら負け」というシステム、ルールの発明からだろう。そして今のような土俵は江戸時代にできたとされる。結局、相撲の発祥は江戸時代…というのが順当なところではないだろうか。
日本相撲協会としては『日本書紀』に書かれている野見宿禰と当麻蹴速の格闘技こそが「元祖相撲」で「相撲こそは日本の国技」と宣うが、これはやはり贔屓が過ぎるように思う。僕は相撲好きですが歴史修正主義にはアンチですw
野見宿禰、土師氏は古墳時代は栄えるが、古墳時代の終焉と共に勢力も衰えていく。しかし一族の中から文章博士(歴史、漢学、儒教の先生)が出てきて、その子孫が菅原道真だったりする。だから道明寺は菅公の故郷で実際に太宰府に流される前に当地を訪れた。
なんというか道明寺は歴史の蓄積、厚みが凄い。太い。濃い。深い。