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大阪まち歩き大学。中寺町を歩く。法性寺。ここは明治初期にお抱え外国人の蘭医ボードインが一時期、滞在していた。

2022 年 4 月 26 日

大阪まち歩き大学。中寺町を歩く。法性寺。ここは明治初期にお抱え外国人の蘭医ボードインが一時期、滞在していた。お世話したのが薩摩屋24代目半兵衛直廉。薩摩藩の御用商人で、長崎商人との交流からオランダ語の必要性を感じて緒方洪庵の適塾に通った。

幕末には新撰組に狙われた坂本龍馬が薩摩藩に助けられたが、その時に薩摩屋半兵衛が菩提寺の法性寺を紹介し、龍馬が隠れて住んでいたこともあったという。この話は宮本又次先生の著書にチラッと出てくるが他の文献がないので詳細がいまいちわからないらしい。繋がりはあるので、ない話ではなかろうと思うが。

ボードインは日本の食事に辟易して法性寺内で豚を飼育したとか。「寺は供養の場所だから豚の供養には問題ないだろう」と宣ったらしいが流石に薩摩屋半兵衛や寺の関係者に咎められたらしい。それで改心したのか、後には熱心な法華信者の薩摩屋半兵衛に感化されてボードイン自身も「南無妙法蓮華経」の題目を唱えるようになったという。

ボードインはのちに東京に移る。上野に病院を作る計画が持ち上がった時に「これだけの自然が破壊されるのは勿体無い」と明治新政府に提言し、それで上野恩賜公園ができた。ボードインは「上野公園の父」とも呼ばれ、現在、公園にはボードインの銅像がある。そして、この銅像を建てたのが、じつは法性寺のご住職だったりする。

ボードインは太田胃酸の処方を日本に齎した人物でもある。たまに飲みます。太田胃酸。ボードイン。ありがとう。いい薬です。


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