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2022 年 6 月 8 日 のアーカイブ

「わからない」ことを同期、継承していく

2022 年 6 月 8 日 Comments off

元来、日本にあったコミュニティにはコモンズ的な要素も強く、人間(生者)だけではなくて先人、死者、祖霊、自然、超自然などがコミュニティの中に含まれていた。「他者」を内包していた。コミュニティ(共同体)とコモンズ(共異体)の境界が不明瞭、不明確でマージナルだったといえる。

いまの近代のコミュニティはこうしたコモンズ性(他者性)を徹底的に排除して人間(生者)だけの狭い範囲の話で終始している。だから先がない。閉塞感が否めない。「今だけ」「オレだけ」の時代風潮が蔓延る。

先人、死者、祖霊への信仰、敬拝は物事のあり方、有り様を「時間軸で捉え直す」という知恵そのものといえる。それは過去だけではなくて未来まで照射する。先人を考えることは後人を考えることに繋がり、死者や祖霊を思うことは「未だここに来らざる人たち」(未来人)を思うことにもつながる。

では先人や死者や祖霊のことを考える、思うために具体的なアクションとして何があるのか?そこでおそらく「祭礼」や「まつり」というものが重要になってくる。

死者のことを思う、考えるというのは、結局、死者が行ってきたこと、やってきたこと、祭礼や儀式、儀礼、風習を生者が反復することで「同期」するしかない。

祭礼なんてのは、なんでこんなことをやっているのか?じつは誰にもさっぱりわからない。生前、祭礼をやっていた先人(死者)たちの誰もわからなかったし、現在の我々も当然、わからないし、これから生まれてくる人たちにも勿論、わからない。

つまり祭礼や儀礼、儀式というのは「疑問」や「謎」や「これ、ほんまに意味あるのか?」とか「なんでこんなことしてるんや?」とか「あ。でも先人、死者も今の自分とおんなじこと思ったかも?」まで同期してこそ、同期となるw

「わからない」ことを同期、継承していくことで、しかし「人智を超えた何か」に触れるともいえる。それは人間の、個人の、生者の傲慢や限界への戒めともいえる。人間至上主義の近代文明が行き詰まり、崩壊していく現代社会には非常に大事な視点、視座ではないか?という気もする。

無縁仏を供養する大阪七墓巡り、堺七墓巡りというのも、なんでやっていたのか?というのは、結局のところ、誰にもよくわからない。よくわからないが先人、死者がやっていた祭礼、儀礼、儀式、風習を見様見真似でもなぞることで、なにか見えてくるものがあるかもしれない。感じるものがあるかもしれない。そういう社会実験を僕は毎年、盆の頃に繰り返しておりますw

七墓巡りをやっていたのが専門家(宗教者)でないのもいい。「巡礼」「巡拝」というのは、市井のものでもある。宗教行為のようであり、娯楽だったりもする。七墓巡りも大阪の、堺の先人、町衆がやっていた。だから、いい。

改めて「七墓巡りってなんなんですか?」と問われまして。しかし、僕の中にそう明確な答えがあるわけでもなく。なんとなく、ただ、ぼんやりと、やっている。それが感覚として、いちばん近いw

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【大阪七墓巡り2022】第一夜:8/13(土)18時より「梅田」「南濱」「葭原」を巡る

https://www.facebook.com/events/842966676662438

【大阪七墓巡り2022】第二夜:8/14(日)18時より「蒲生」「真田山陸軍墓地」「小橋」を巡る

https://www.facebook.com/events/1160028208118220

【大阪七墓巡り2022】第三夜:8/15(月)18時より「鳶田」「千日」を巡る

https://www.facebook.com/events/389733783183949

9/4(日)12時より■堺七墓巡り復活プロジェクト2022

https://www.facebook.com/events/572906637742341


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