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2022 年 12 月 のアーカイブ

2022年の印象的だった仕事。出来事。

2022 年 12 月 31 日 Comments off

2022年の印象的だった仕事。出来事。

いろんな方との出会い、再会がありました。コロナ自粛で仕事が軒並み、全部、なくなる、真っ白になる…という地獄2年間で死にかけて、そのあいまに父が亡くなったりもして(コロナではないですがコロナ自粛で運動ができなくなり、それで衰弱したのは間違いないです)、しかし、なんとか再生にむけて動き出せた年でした。ほんまに、いろんな人と再会して「おれ、よく生き残れたなぁ…」と何度も感慨深しく思ったぐらいです。

ありがとうございました。

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【1月】白河にて大澤寅雄アニキと白河まち歩きフォトスゴロクのふりかえりラウンドテーブル/別府ドマコモンズにてトークと直観讀みブックマーカー/神戸七宮巡り/終活カフェ・当事者研究スゴロク/北野田カレッジ・利晶まち歩き/野田阪神・海老江まち歩き/堺サンドイッチ・キャンパスまち歩きフォトスゴロク/いこま寿大学/長岡史遊会オンライン死生観光トランプ

【2月】さかい利晶の杜・三好長慶まち歩き/朝日温泉さんにて歌垣風呂(テレビ局取材対応)

【3月】宮崎県アーツカウンシル・短歌トーク/いわきフルボッコツアーw/コープこうべ・大庄東まち歩き/神戸・王子公園・水道筋まち歩き/にっしーと新潟・阿賀町まち歩きフォトスゴロク/佐渡島リサーチ

【4月】江尻さん来阪・住吉まち歩き/相愛大学・釈徹宗学長とまわしよみ新聞/芦原橋・部落解放同盟浪速支部展示室リサーチ/高野山・吉野・飛鳥弾丸ツアー

【5月】玉田玉秀斎さん、玉田玉山さんと北浜・青山ビルにて船場講談/八尾カレッジ「コリアタウン」/EBUNEリサーチ/堺・地獄太夫セミナー

【6月】神戸大学まわしよみ新聞/ハルカス大学まち歩き/横浜・日本新聞博物館にて全国まわしよみ新聞サミット/横浜市中央図書館まわしよみ新聞/福島県いわき市・平リサーチ/十十王申すリサーチ/FAROトーク/小名浜・UDOK・シラスで小松さん、江尻さんの小名浜衆と小名浜について語る/江尻さんガイドでいわき市・泉の廃寺跡、廃仏毀釈の痕跡を辿るツアー

【7月】津屋崎まわしよみ新聞300号記念イベント/堺・開口神社にて「堺のまちをそぞろ歩き隊」/小野さん、江尻さんとオンライン七墓トーク/オープン上町台地にて仁徳街道ツアー/ハルカス大学まち歩き

【8月】尼崎ピッコロシアターにてまわしよみ新聞演劇/大蓮寺棚経/大阪七墓巡り/大蓮寺・自然トーク/いわき・FAROまち歩きフォトスゴロク/十十王申す復活プロジェクト/江尻さんガイドで小名浜・幻の富ヶ浦ツアー

【9月】中平さんと西本願寺・伝道院・布教師養成講座セミナー/EBUNE海民ツアー/いずみ市民大学・共通講座まわしよみ新聞/堺七墓巡り復活プロジェクト/横浜・資生堂まわしよみ新聞セミナー/大津・比叡山・湖東弾丸ツアー/堺・紙カフェリサーチ/詩のソムリエわたなべめぐみさんとまちあざプロジェクト/豊岡・芸術探検家・野口さんの蛸みこし/異類観光「蛸」/應典院にてまわしよみ新聞創刊10周年記念イベント

【10月】立命館大学・山口洋典さんとまわしよみ新聞/八尾カレッジ「大庄」/堺利晶まち歩き「堺の寺」/カナダ⇔大阪にてオンライン当事者研究スゴロク/西日本新聞社にて九州まわしよみ新聞サミット/EBUNEトーク・オンライン配信収録「海民都市・大阪を逍遥する」/名古屋・西念寺・報恩講にて岡林住職と「異類観光・馬」

【11月】ツキトさんと近畿大学・長瀬まち歩き/青森NPOセンター・斎藤さん&淡路島アートセンター・くにちゃん&なかあゆ御一行さまご接待神戸ツアー/中平さん、釈大智さん、秋田光軌さんと日本仏教未来会議/熊本・津奈木町まち歩きフォトスゴロク/水俣リサーチ/鹿児島リサーチ/いわき・霜村さん来阪・森之宮車庫・大阪城まち歩き/富山・リナさん来阪・ミナミまち歩き/堺妖怪芸術祭まち歩き

【12月】堺妖怪芸術祭・開口神社にて孔明さんと妖怪トーク/尼崎ピッコロシアターにて直観讀みブックマーカー/彦根・滋賀県立大学にて上田洋平先生と観光トーク/芸術探検家・野口さんと神戸リパブリックアート・神戸八宮リサーチ/塩屋リサーチ/釜中さん、梅山さん、森川さんと「大阪万博2080を考える会」

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ちなみに上記は単発系の仕事とかプロジェクトで。ほんの一部で。これ以外にいちょうカレッジ、いずみ市民大学、大阪府高齢者大学といった生涯学習、社会人大学系の仕事がありました。関係者のみなさん、ありがとうございます。

あとまち歩きのOB会、同好会などもあり、そのみなさんとも定期的にまち歩きをやりました。ありがとうございます。

自分のプロジェクトとして、あと大阪まち歩き大学があり、これもいろんな方に参加頂きました。ありがとうございます。

今年は大阪まち歩き大学は25本やったのですが、徐々に増やしていきたいのですが、なんせいろんな依頼の仕事があるので…。まち大も人気になってきて、もっとやれやれといわれるんですが時間がとれなくてつらい…。すいません。長い目で見てください…。


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曽祖父・陸奥利宗は「高知県師範学校卒業」でした。

2022 年 12 月 24 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗は「高知県師範学校卒業」でした。『高知県師範学校一覧』に名前がありました。尋常科卒業なので小学校の先生ですな。この高知県師範学校は現在の高知大学教育学部のルーツになります。

当時の師範学校は卒業後に教職に就けば授業料が無料になりました。さらに全寮制で寝食代も無料であったそうで貧家に生まれた優秀な人材の救済コースでした。

利宗は明治30年(1897)10月に高知県師範学校を卒業し、その後、何をしていたのかは不明で、いきなり明治35年(1902)に大蔵省専売局の職員となっています。

要するに「空白の5年間」があるんですが師範学校卒業となると、これは高知のどっかの小学校で先生でもやっていたか?…という気もしますな。現地調べたらわかるやろか…。

ただ時代状況的には師範学校卒業の翌年、明治31年(1898)には四国に第11師団が結成された年になります。もしかしたら兵役という可能性もあります。※師範学校卒業生は兵役が短縮されて5ヶ月で終えたそうで5年間、兵役ということはないと思いますが…。

いろいろと調べていて利宗の師範学校時代の教諭たちが面白く。とくに理科の教諭として永沼小一郎がいました。この人は植物学者・牧野富太郎の偉大なる先達、師匠です。実際に『牧野富太郎自叙伝』にも「私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である」と記載されている。

利宗の兄・陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)も牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)とほぼ同世代でコミュニティが近い(龍彦は佐川町・宮之原塾門下、牧野富太郎は佐川町・名教館門下)から、どこかですれ違ったり、出会っていたかも?という気がしていましたが、弟の利宗は牧野富太郎と先生が一緒でした。

利宗ものちに大蔵省専売局で「煙草」を扱いますが、煙草はもちろん植物。利宗も何か永沼小一郎の植物学に触発されるような機会があったのかも知れません。

僕は基本的にNHKの朝ドラとか全く興味ない人間なんですが、さすがに来年の『らんまん』はちょっと気になってきましたなw


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陸奥家ファミリーヒストリー。高知の郷土研究家・明神健太郎の『土佐太平記』の「序」(結城有)に陸奥龍彦のことが掲載されていました。

2022 年 12 月 23 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。高知の郷土研究家・明神健太郎の『土佐太平記』の「序」(結城有)に陸奥龍彦のことが掲載されていました。結城有という郷土研究家を指導した師匠として紹介されている。

明神健太郎のことが気になったので調べてみたら高知県立文学館の広報誌『藤並の森』で明神健太郎について書かれた猪野睦さんのコラムを発見しました。明神健太郎は佐川町で佐川の歌人たちの歌集を作ったり、佐川文化の担い手であったという。1985年に79歳で亡くなっている。

明神健太郎を取材した猪野睦さんも高知の詩人・郷土研究家らしい。壺井繁治賞、高知県文化賞を受賞し、高知ペンクラブの重鎮であったという。しかし残念ながら2018年に88歳で亡くなっている。

高知の郷土研究家の知の系譜。陸奥龍彦もその中にいるということでしょう。


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高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました

2022 年 12 月 23 日 Comments off

陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗の兄である陸奥龍彦について。

高知の郷土史家・明神健太郎氏の著書『高吾北文化史』に陸奥龍彦のことが少しだけ掲載されていました。「明治、大正の国学者」とか。これはもしかして陸奥龍彦関連の著書などがあるかも知れない・・・と思って高知の図書館などを検索しても何も見つからず。これまた現地にいくしかないかなぁ。

越智町・亀ケ森の春日神社に白く美しい2匹の蛇神さまがいて、陸奥龍彦翁はそれを目撃したとあります。龍彦翁の目撃談のあとの小田恵寛氏の数珠に白蛇が巻きついたエピソードが神妙不可思議で面白い。


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陸奥龍彦(僕の曽祖父・陸奥利宗の兄)のこと(『佐川町史』より)

2022 年 12 月 23 日 Comments off

久しぶりの陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗は大蔵省専売局の書記、宇治山田市役所の主事などをやっていましたが、利宗はじつは次男坊で、長兄がいました。陸奥龍彦という。

この人物もどういう人物か?一切、不明でしたが陸奥家の郷土である高知県佐川町の『佐川町史』にその名前を発見しました。「宮之原塾」門下で「学者」で「陸奥龍彦(越智)」とある。越智というのは地名、村名で陸奥家の本拠地です。そこの出身ということが明示されている。

佐川郷は山内家の家老・深尾家の所領地で昔から文教に力をいれていた土地とか。「宮之原塾」というのは「宮原寺」(明治維新後の廃仏毀釈でなくなったそうです)にあった私塾で寺子屋のようなもののようです。

この宮之原塾のあとに佐川町に出来たのが「名教館」という郷学校(元は深尾家の家塾)で、宮之原塾と名教館は教師が同じだったりして分校、兄弟校のような位置づけであったとか。そして、この名教館で学んだのが植物学者・牧野富太郎。来年のNHKの朝ドラ「らんまん」のモデルですなw

牧野富太郎(文久2・1862年生まれ)と陸奥龍彦(慶應3・1867年生まれ)に直接の面識はないかもしませんが世代も場所も近い。「友人の友人」ぐらいの関係性にはなるかも知れませんw

ちなみに『牧野富太郎自叙伝』にも名教館のことが記載されている。「佐川山分学者あり」(山分=山程、沢山といった意味らしい)といわれるほど佐川には学者、儒者がいたという。そのうちのひとりが陸奥龍彦ということになります。

この名教館は他にも宮内大臣の田中光顕、広井勇(港湾工学の父)、ブラジル移民の父・水野龍(東京・銀座「カフェ・パウリスタ」創業者)などを輩出している。いまは玄関部分だけ移築されて保存されているとか。いつか行ってみたい。


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いまこそ仁政の鐘の音を聴きなはれ

2022 年 12 月 20 日 Comments off

大阪名物。二つ井戸。金龍井戸と銀龍井戸とあった。金龍は真水。銀龍は海水混じり。だから金龍は飲み水で、銀龍は生活用水として使われた。

要するに井戸(湧水)は隣同士なのに地下水脈が違っていた。おそらく金龍水は上町台地からの地下水脈で、銀龍水は道頓堀川、大阪湾に繋がる地下水脈ではないだろうか。江戸時代の人たちにとっては不思議で奇妙で謎めいた井戸であったに違いない。それで有名となった。

真田幸村、豊臣秀頼が大阪城から脱出する際にこの二つ井戸から出たという伝説もある。井戸のふりして実は片っぽは空井戸で大阪城の抜け穴だった(だから2つ井戸がある)…ということだが、まあ、これは都市伝説の類。こういう話はウソだろうが話のネタとしてオモロイ。

3代将軍の家光が寛永11年(1634)、大坂三郷の地子銀免除を宣言した。大坂は夏の陣の焼け野原で、戦後復興に苦労していた。しかし、この税金免除で大坂は経済的大発展を遂げて、元禄バブルの「浮世」の時代を迎える。

この税金免除の恩恵に感謝して町衆がお金を出して作られたのが「仁政の鐘」。現在も釣鐘町にあって現役だが、この「仁政の鐘」を鋳造する際に使われた井戸水が二ッ井戸であるという。

世の中、不経済、不景気で苦しんでる時は税金免除、減税せなあきませんねん。増税なんてもってのほか。いまこそ仁政の鐘の音を聴きなはれ。


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一通の手紙が日本の歴史を変えることもある?

2022 年 12 月 16 日 Comments off

大阪。北浜東。日本郵政・大阪ビルにあるのが前島密像。

明治元年、大久保利通が大阪遷都して、そのままなら大阪が首都になる予定であった。ところがある日、大久保の元に差出人不明の投書が届いた。それは「大阪ではなく東京を首都にするべし」という内容で大久保は投書の内容を吟味して東京奠都(遷都ではなく)を決行した。

誰の投書かわからなかったが、のちに前島密が大久保に「実はあの投書は私でした」とカミングアウトした。こいつさえいなければ今頃、大阪が首都に!と思わなくもないが、長く首都なんかになると大阪文化は今以上に、さらに破壊されていたことでしょうな。

結局「名こそ惜しけれ」の崇高なる江戸文化は薩長、近代化に犯されて蹂躙されたという気がしてならない。

しかし投書した前島密が、のちに日本郵政の父になるとか出来過ぎである。一通の手紙が日本の歴史を変えることもある?


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ラジオの戦争

2022 年 12 月 16 日 Comments off

大阪城。ラジオ塔。第二次世界大戦、太平洋戦争はラジオの戦争であった。

ラジオ=音声は、新聞=文字よりもよっぽど扇情的に大衆に訴える。ナチスドイツのヒトラーの演説を聞くと「絶叫」している。あんなのが日夜、お茶の間に直接、流されてきたら、そりゃあ国民は狂うであろう。

日本もまた同じく。昔のラジオは精度が悪かった。近衞首相の声は感高く、明瞭で歯切れが良いように聞こえ、それが国民人気に繋がったという。歯切れがいいだけで中身はトンデモナイ。トンデモナイが威風堂々の演説ぶりで、それだけで大衆は扇動された。公家の血筋も影響したであろう。

ラジオの戦争を終結させたのが昭和天皇の玉音放送であった。まさにラジオで始まり、ラジオで終わった近代戦争といえる。


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まち歩きフォトスゴロクとは何か?

2022 年 12 月 8 日 Comments off

まち歩きフォトスゴロクは福島県立博物館さんのご依頼で白河市のエマノンのみなさんの協力を得て、はじまったプロジェクトですが、『ポリフォニックミュージアム 全体記録集』の中で、まち歩きフォトスゴロクのできた経緯やイベントのふりかえりについてのトーク(ゲストは大澤 寅雄アニキ)が収録されています。これがですね。自分でいうのもなんですがオモロイんですw 

「まち歩きフォトスゴロクとは何か?」がよくわかるトークになってます。よろしければご笑覧ください。

■ポリフォニックミュージアム 全体記録集(PDFダウンロード)

https://general-museum.fcs.ed.jp/wysiwyg/file/download/1/2074


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江戸時代に発行された堺の怪談話を集めた『沙界怪談実記』

2022 年 12 月 8 日 Comments off

江戸時代に発行された堺の怪談話を集めた『沙界怪談実記』。いま孔明さんが現代語訳に取り組んではりますが、今回の堺妖怪芸術祭のまち歩き企画のために、いくつか読ませて頂きました。

近代の怪談話には一種のパターンというか定型のようなものがあり、それは大体、怪異の経験者に知ってか知らずか問わず「死者を冒涜する」ような「罰当たりな行為」があって、その結果、妙な怪異が起こる…という「因果応報」的なものです。

「怒り」「恨み」「哀しみ」「祟り」「寂しい」といったような死者(死者)の感情的な動機から起こる怪異というのは、ある意味、非常に理路整然としていて、わかりやすい話で、じつはちっとも「怪談」ではない。

こういう怪談は、結局のところ、人間中心主義で、ヒューマニズムで、科学的(因果応報は科学です)で「近代怪談」といえます。

しかし『沙界怪談実記』のユニークな点は、こういうわかりやすいオチ(因果応報)のようなものがない怪談であること。「オチのない怪談話」であること。

いろんな怪異が収録されているのですが、なぜそれが起こったのか?なぜそれが起こるのか?起こった結果どうなったのか?どうなるのか?ということが記述されていない。

多少はないこともないんですが、当時の時代には、作者に、読者に、そんなところへの興味関心はないんでしょう。怪異の多くが「因果応報」にならない。大部分は「なんやそれ?」という些細な、微小な怪異で、怖くもなければ、面白くもないw スッキリしない。

近代以降、大衆メディアに乗った近代怪談は、ある種の技となり、芸となり、金儲けの手段でもあるので怪談の名手というのが生まれて、彼らはどうしても視聴者、読書を怖がらせようとして、あの手この手の方法論を用いる。「起承転結」のように話が纏められていく。話芸となる。

しかし『沙界怪談実記』には、その手の怪談話にありがちな、大袈裟な、怖がらせようという「作為」が感じられない。淡々と、静謐に、あったこと(怪異)が日記のように書かれている。「起承」はあるが「転結」がない。

なぜ怪異が起こるのか?という分析がないんですが、それは、しかし、当時の人には、ないのも当然なのかもしれない。

要するに死者などは当然、祟るし、怒るし、悲しむし、恨むものだから、それは「怪異」にならないということなのかもしれない。それぐらい死者がフラットに生の延長線上にいたということなのかもしれない。 

怪異や怪談の捉え方、範疇が、いまの我々とはだいぶ異なる。ズレがある。その「差異」が面白い。わかりにくいから味がある。オチないからリアル。良い本です。実に興味深い。

堺妖怪まち歩きもオモロイでっせw また不定期にでも開催していきます。


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