先だって大阪市立デザイン教育研究所のデザ研2023にて僕が講師で「コモンズ・デザインについて」の公開講座が実施されました。
そのさいに事務局の方や先生から「折角だから陸奥さんのコモンズ・デザインを参考に学生さんとコラボ作品を作ってみたいです」と無茶ブリ(w)をされて、僕が「ほなら直観讀みブックマーカーをおみくじにしてみたら?」と思いつきでいってみたら、見事に学生さんがそのアイデアを膨らましてくれて出来上がったのが「直観讀みクジ」です。文字通り直観讀みブックマーカーのおみくじバージョンです。
ほんまは「作った直観讀みクジをカプセルにしてガチャガチャにして、何がでてくるかわからない意味不明なおみくじにしたらオモロイんちゃう?」と提案したのですが、さすがに時間がなくてそこまでは作れませんでした。
おみくじは全部で8種類。「学運」「情熱運」「恋愛運」「金運」「健康運」「勝運」「夢運」「命運」とあります。これは学生さんたちのアイデアです。
いろんな本を直観讀み(目を閉じたまま本を開き、そこを指さして、偶然選んだ一文を書き写す)して、いろんなおみくじを作って遊んでみてください!m(_ _)m
※以下がPDFダウンロードです。いつでも、どこでも、だれでも使えるコモンズ・デザイン。オープンソース(無料)です。A4サイズでプリントアウトしてハサミで切り取ってご使用ください。
■直観讀みクジ(PDFダウンロード)
https://x.gd/0Ndjy
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【直観讀みブックマーカーについては以下をご参照ください】
■直観讀みブックマーカーの遊び方
サイト:http://wp.me/pxlkK-1cV
画像:https://goo.gl/wreCjU
■直観讀みブックマーカーの遊び方
http://tyokkannyomibookmarker.info/
http://tyokkannyomibookmarker.info/bm_A4prt.pdf
(公式サイトで専用ブックマーカーが無料でダウンロードできます)
①いろんな本を集めて持ってきてください。本は沢山あればあるほどいいです。図書館や本屋さんなど本がたくさんある場所で開催するのがオススメです。ひとりでもふたりでも遊べますが、参加者は何名でも可能です。参加人数が多くなったら4、5人で一チームを作ります。
②本に教えてほしい「問い」「テーマ」を決めて、ブックマーカー(白紙の方)の右側に書きます。「Q:愛ってなんですか?」「Q:仕事ってなんですか?」「Q:ぼくの人生最後の言葉を教えてください」など、何でもかまいません。
③直観で、その「問い、テーマの答えが載ってそうだな?」という本を選んでください。「問いやテーマが恋愛に関連することだから恋愛の本にしよう」というのではなく(それでも別に構いませんが)、料理本や小説、絵本、宗教書、ビジネス書、写真集、哲学書など、恋愛とはまったく関係ないジャンルの本を選ぶと「意外な答え」が出てくるのでオススメです。
④選んだ本を頭上に掲げて「問い、テーマに対する答えを教えて下さい!」と真剣にお祈りしながら「直観讀み」します。「直観讀み」とは陸奥賢(直観讀みブックマーカー創始者)の造語で、「直観(=偶然に身を任せて)で文章を選ぶ」という行為を意味します。目を瞑りながら「答え」が載ってそうだと思う本のページを開いて、目を瞑ったまま、人差し指で本のページのどこか(文章)を指差してください。自分で選択するのではなくて、完全に偶然に文章を選択するようにしてください。そして指を指したところが「答え」ですので、それをブックマーカーに書いてください(白紙や写真、イラストだったりした場合はやり直してください)。「答え」として提示される文章の多くは暗示的だったり、比喩的だったり、意味深かつ意味不明な文章ばかりですが、構いません。そのまま書くようにしてください。また文章の出典(著者名、タイトル、ページ数)も記してください。
⑤全員がブックマーカーを作ったら、それぞれ開示して「○○という本に聞いてみたら、こんな文章がでてきました」と「選んだ本」と「直観讀みで出てきた答え」を発表してください。「答え」を裏読みしたり、深読みしたり、「この言葉はこういうことではないか?」と推論・考察してみてください。意味不明な文章でも、集合知で多種多様な解釈をして、読み解こう!という知的遊戯です。不思議なことにAさんの「答え」とBさんの「答え」が同じようなイメージで繋がったりするようなこともあります。それぞれが話終えたら、またいろんなテーマ、問いを立てて、直観讀みブックマーカーをして遊んでみましょう!
大阪市立デザイン教育研究所にて。直観讀みブックマーカー。
動画は本の中の言霊を呼び起こす儀式「本の魂振り」を行っているところ。いやぁ、じつに危ないw
我ながら、こんな危ない講義をして大丈夫か?という気がしますが、これは僕を呼んでくれた大阪市立デザイン教育研究所が凄いですな。あっぱれ。
大阪のデザイン教育にコモンズ・デザインが刻まれた歴史的瞬間です!
大阪市立デザイン教育研究所にてコモンズ・デザインについての公開講座。平川さんと一緒に語り合いました!
直観讀みブックマーカーですが、学生のみなさんとコラボして「直観よみくじ」を考案!w
相変わらず直観讀みブックマーカーは大盛り上がりでしたが「直観よみくじ」も好反応!これは実装するべきですな。PDFデータいただくのでまた公開します!( ´ ▽ ` )
教室は80名以上?何名きたかよくわかりませんが、満員御礼でした!J:COMの取材も入ったんで、また報道されると思います。情報分かり次第、アップします!
まいまいの以倉くんのnoteより。「むつさんのことが書かれてますよ!」と教えられてビックリしましたw
懐かしい…。当時は僕は30歳で、じつは家がなくて住所不明でした。知人、友人、女性のところを転々としていた。以倉くんの会社(桜川にあった)にも入り浸っておりました。というか、勝手に押しかけて居候みたいになってたw
毎晩、ほんまに一緒に歩いて、いろんな話をして、若かったなあ。
でも、要するに、僕は以倉くんを相手に、あれやこれやと話をしながら、自分なりの観光哲学、まち歩き理論を完成させていったようなところがあります。
こういうのは、ひとりで考えてもダメで。歩きながら、話をしながら「言葉」を獲得していく。「自己」を発見していく。自分は、なぜまち歩きを企画し、実施するのか?その結果、どうなるのか?どうしたいのか?
じつは以倉くんはそういうのを引き出すのが抜群にうまい若者でした。聞き上手というか。彼の稀有な才能のひとつはそれではないか?といまも思ってます。
ありがとう。おおきに!
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■「まち歩き」という概念と出会う【まいまい京都history②】
https://note.com/maimai_ikura/n/nd81f23bbe6ee
【福島県】いわき市。常福寺。閼伽井岳薬師。ここは龍燈杉の伝説が知られている。
いわき七浜ではよく龍燈が見られたらしい。龍の燈明という霊光で、閼伽井岳の龍燈は四倉沖から竈川(夏井川)筋を登って閼伽井岳の杉林に消えていったという。
江戸時代の地理学者、漢学者の長久保赤水がこれを記録している。長久保赤水は実際に龍燈を見たとか。また、この龍燈の出現は毎晩のことで、しかも晩から朝まで無数に延々と続いたという。一個や二個みたいなメメっちい話ではなくて火の玉の大盤振る舞いである。
霊光、火の玉の伝説は日本全国各地にある。大阪、堺にもある。僕が面白いと思った伝説のひとつは堺の泉北ニュータウン、檜尾の話。
昔というか戦前まで時折、檜尾では火の玉が見られたらしい。火の玉は夕方に放光寺の辺りから出現し、大森(いまの桃山台近隣センター)方面にフラフラと飛んでいく。
毎回毎回、同じルートに現れるもんだから、ある日、悪戯者の鉄砲名人が火の玉を撃ち落としてやろうと考えた。いつもと同じように火の玉がやってくるので鉄砲で狙いを定める。いまや!と思って引き金を引こうとした瞬間に、いきなりパッと火の玉が消えた。
鉄砲名人が驚いて、あれ?!どこに消えた?!と周りを見渡すと、火の玉はいつのまにか鉄砲名人を通り過ぎて、いきなりその背後に、またパッと現れてユラユラと何事もなかったかのように飛んでいったという。
「火の玉を撃ち落とそうとして失敗した男」の話。なかなか他に聞かない話で僕が大好きな堺の火の玉伝説のひとつ。まるで火の玉に「知性」「意識」があるようで、そこが興味深い。
この火の玉は「牛石古墳の死霊」だとか「狐火で女狐に会いに行く男狐の舌が光っている」とか「土蜘蛛の仕業である」とか諸説あるが、よくわからない。残念ながら戦時中に見えなくなってしまったという。
いわきの龍燈は、じつはいまでも見えたりするらしい。ある方が見たと証言してくれた。ムーみたいな話は、意外と、身近に、平然と、日常に、しれっとあるw
大阪難読地名で有名になりすぎて、もはや難読ではなくなった感もある放出(はなてん)の氏神さまが阿遅速雄神社(鶴見区)。
阿遅速雄(あぢはやを)というのがこれまた難読でややこしいが、大和の国津神系で鴨氏(賀茂氏)に繋がるとされている。また「阿遅」(あぢ)は「味」で「美味い」というような意味になり、農業神としての性格があるといわれている。
この辺りは古代は河内湾、河内湖のエリアで水辺でもあった。いまも第二寝屋川が付近を通る。この河内湖を舞台に繰り広げられたのが草薙剣盗難事件。
飛鳥時代の天智天皇7年(668)に新羅の僧侶・道行が熱田神宮からご神宝の草薙剣を盗み、船で逃亡しようとした。ところが河内湖の辺りで嵐に逢い、船が進まなくなった。道行は神罰だと恐ろしくなり、草薙剣を「放出」した。剣は里人に拾われて阿遅速雄神社に納められたが、その後、熱田神宮に無事に戻されたという。
放出(はなてん)は「はなってん」という大阪弁が訛った地名というわけだが、何を放ったか?まではあまり知られてなかったりする。まさか天皇家のシンボル、三種の神器の草薙剣とは思わない。僕も大阪あそ歩のまち歩きコース作成で現地をリサーチしたさいは「ほんまかいな?」と疑った。
しかし今も毎年、阿遅速雄神社例祭には熱田神宮の神職がわざわざご挨拶に来るそうで…どうもそれなりに信憑性のある話らしい。事実は小説より奇なり。
なによりも謎なのが新羅の僧侶・道行の行動で。なぜ?新羅の僧侶が草薙剣を盗もうと思ったのか?道行の狙いとは何であったのか?古代日本のミステリーのひとつ。
いわき七浜海道サイクリングロード。昔、確か「復興サイクリングロード」とか聞いたが、最近は「復興サイクリングロード」とはいわないらしい。
久之浜防災緑地、八大龍王からスタート。八大龍王は久しぶり。2017年に訪れていた。なぜかあまり印象に残っていなくて、しかしサイクリングしているうちにいろいろと思い出した。
なんで2017年の初訪問は、こんなに印象が薄いのか?覚えていないのか?と思ったら車で巡ったからだと気づいた。当時は車で八大龍王を巡ったので、それぞれが「点」でしかない。やはり歩かないと身体感覚、身体知にならない。
今回、久之浜から新舞子浜まで薬20キロをサイクリングしてみて訪れた場所が「点」(ポイント)ではなく、ちゃんと「線」(ライン)として身体知になるのがわかった。歩くほどではないが、車に比べると格段と地理、ルートを把握できた。楽しい。
個人的な感覚だが、いわき市というフィールドにはサイクリングはピッタリではないか?という気がする。
なんせ、いわき市は広い。14市町村が合併して生まれたですからな。昔は「日本一広い市」だった。これがそもそも無茶苦茶ですな。いまだにこの後遺症に苦しんでいるように見える。
秀吉は「村斬り」をよく行ったらしい。ある日いきなり村を分ける。村を分けることで、仲違いさせて、中央(豊臣政権)に歯向かわないようにする。「刀狩」は有名ですが、この「村斬り」も秀吉の狡猾な統治手段。さすがに庶民階級出身で、庶民感情がよくわかっている。
村斬りは村を分けるだけではなく、じつは「村と村をくっつける」ということでも行なわれた。2つの村を、ある日いきなり一つにする。これもまた実は「村斬り」の一種で、こちらの方が多く実施された。いまだにやられている。明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併と、すべては中央政権に逆らわないようにするため。市町村合併なんてやるもんやないんです。大抵、えらい目にあってます。
いわき市は村斬りしまくって生まれた行政区なわけで、そりゃ、まあ、いろいろとあります。日本でも有数の「村斬り都市」ですw
【福島県】お馴染みのGuesthouse & Lounge FARO iwakiにて「いわき七浜海道サイクリングロード」の振り返り。
ひとことで自転車というが、自転車は最も多様性のあるモビリティではないか?という気がする。
シティサイクル(ママチャリ)、電動自転車、折りたたみ自転車、ミニベロ、マウンテンバイク、ロードバイク、クロスバイク、シクロクロス、BMX、補助輪付き自転車、タンデム自転車(二人乗り)…と、じつに多種多様な自転車がある。
それぞれの自転車にあわせて目的、用途が違う。スピードを競う人、距離を伸ばしたい人、景色を楽しみたい人、ふらふらと巡りたい人…とユーザーの志向も違ってくるだろう。
どういう人に、どういう自転車文化を広げたいか?それによって用いる自転車が変わるし、ガイディング、案内が変わるし、ルート、マップも変わるだろう。その幅広さ、奥深さが面白いし、自転車文化の可能性だが、これがしかし初心者やビギナーが自転車文化に触れるにあたって若干の戸惑いのようなものを産んでいる気もする。
まずは「自転車文化の裾野を広げる」ということが大事ではないか?ということ。そして、その対象は約32万人の「いわき市民」であることが、今後のいわきのまちづくりにとって、地域社会にとって、いちばん重要で、大事なことではないか?というような話をしました。
外からやってきて百キロ二百キロとサイクリングロードを走るガチ勢の自転車乗りの人も世の中には沢山いますが、そういう人は、やはり「いわき」を見ているか?というと、そうではないという気がします。要するに「距離」や「スピード」や「カロリー」といった「データ(数字)」を見ているだろうと思う。
そうではなくて「いわき」や「地域」や「コミュニティ」や「震災」や「復興」や「文化」や「歴史」や「信仰」や「ひと」や「みせ」を見てほしい。「物語(ナラティブ)」に触れてほしい。そうなると、おのずと方法論が定まってくると思います。そして、その方法論こそが、まさしく僕の仕事の範疇(まち歩き、コミュニティ・ツーリズム)とリンクします。
自転車というツールを用いて「地産地消の観光」をやるべきや思います。いわき市民の、いわき市民による、いわき市民のための自転車観光をw
1995年の阪神淡路大震災をきっかけにボランティアやNPO法ができたりして新しい社会運動の流れも起こった。当時の大学生が熱心であったように思うが僕(当時17歳、フリーター)はどこか一線を引いて斜に構えていた。少し上の世代の行動を見ていたが、僕自身は行動しなかった。
そういう態度を後悔したのが東日本大震災の時。じつは阪神淡路大震災の時に「もし原発周辺で地震が起こったら」と反対運動する大学生などもいたのだ。しかし僕は全くピンと来ずに、彼らの言説をスルーした。その懸念が実際に現実に起こってしまった。
地震と原発の組み合わせの恐怖は、ちょっと想像すればわかったことなのに、自分の迂闊さ、胡乱さに「しまった!」と反省した。
実際に阪神淡路大震災で、勘のいい人たちというか、気づいた人たち、目覚めた人たちがいて、その行動を目の当たりにしていた分、自分の問題への無関心さに自責の念を抱いたりした。
1995年の時にわかっていたらよかったが、2011年にようやくハタと気づかされたわけで。しかし大阪、神戸、関西に住んでいる人は結構、僕のような人も多いのではないか?と思う。東日本大震災で、阪神淡路大震災をフラッシュバックした方。
もちろん僕一人が何か行動しても世の中の流れなどは何も変わらなかったと思うが、しかし、それでも、何かアクションを、行動を、するべきだったのでは?と考えさせられた。
「なにもやらずにダメになる」と「なにかやってもダメになる」は結果として同じダメでも、しかし、「なにかやる」ことは、次の、違うなにかに繋がると信じている。自分の能力を錬磨し、仲間や同志ができて、新しい世界への可能性を広げると信じたいw
ちなみに、1995年の反省と後悔で、2011年には、とりあえず、もう、やぶれかぶれでも、自分に、なにかできることをやらんといかん!やろう!というので僕が行動したのが大阪七墓巡りやらまわしよみ新聞やらの一連のコモンズ・デザインとなる。遅ればせながらの、僕なりの震災復興プロジェクトの数々。
まぁ、しかし、阪神淡路大震災と東日本大震災のあいだの「無為の17年」というのが大事な気はする。結構、世の中の事柄は、後悔から始まることは多い。後悔力、大事!
我が母校。堺。新金岡。光竜寺小学校。いまも兎小屋はある。昔は鶏小屋もあり、そこにはなんと孔雀もいたが、いまはいない。
孔雀はあんなに美しいのに密林の蛇を採って食べるらしい。古代インド人にとって密林の蛇は凶々しく、死の恐怖そのもの。その蛇をいとも容易く退治する孔雀は当然のように崇拝され、神格化され、孔雀明王となった。
孔雀を捕らえる密林の原住民、部族もいた。歳若く、長髪を頭頂部に結い、半裸で、日に焼けて赤黒く、腰に縄を持ち、密林に罠を仕掛け、まるで目が6つ、腕が6本あるかのように見事に蛇を捕まえる。人間業とは思えない。神々しい謎めいた少年。これまた神格化され、阿修羅となる。
阿修羅も孔雀も古代インドの風土、風俗が生み出した。「異類」「他者」への畏敬が神仏となった。
孔雀の羽毛はこの世のものとも思えぬほどに美しい。羽の生え変わり時期には、時折、孔雀小屋に羽が落ちていて、取り合いになった。こどもにとっては宝物であろう。
小学校に鶏、孔雀はいなくなったが、ふと隣に「異類」「他者」がいる状況は貴重な環境、体験であったように思う。