『まわしよみ新聞のすゝめ』、ついに完成しました
『まわしよみ新聞のすゝめ』、ついに完成しました。関係者、協力者、寄稿者のみなさん、ほんまに、ありがとうございましたm(_ _)m
まずはクラウドファンディングの寄附者のみなさまに、徐々に発送していきます。お楽しみに^ ^
『まわしよみ新聞のすゝめ』、ついに完成しました。関係者、協力者、寄稿者のみなさん、ほんまに、ありがとうございましたm(_ _)m
まずはクラウドファンディングの寄附者のみなさまに、徐々に発送していきます。お楽しみに^ ^
糸家さんのブログで先だって実施された「七墓巡りと盆踊りと~大澤寅雄&陸奥賢トーク~」の様子がアップされました!福井くん、大澤さん、手塚さん、糸島のみなさん、ほんまにありがとうございました~!^^
■「七墓巡りと盆踊りと~大澤寅雄&陸奥賢トーク~」
http://ameblo.jp/itoya0229/entry-11945846871.html
———————————————————–
10月15日は大阪からまわしよみ新聞の発案者の陸奥賢さんをお招きして、東日本大震災などをキッカケに糸島に活動拠点を移された大澤寅雄さん、手塚夏子さんと糸家にて「七墓巡りと盆踊りと」をテーマにトークを行いました。1時間40分のトークでしたがあっという間に過ぎてしまいました。この日の七墓巡りと盆踊りのトーク様子はYouTuebeにアップされているので良かったら下記のURLをご参照ください
https://www.youtube.com/watch?v=tsjU9CCJXEM
私が言葉で伝えるよりも、ぜひ、見て頂いた方がその面白さがわかると思うので、お時間がある時にご覧ください。また、陸奥さんには糸島に来て頂いて、お話をして貰いたいです。糸島まで来て頂き、ありがとうございました。また、大澤さん、手塚さんが糸島に移住していないと成立しなかった企画なので、お二人にも感謝です。
川西市男女共同参画センター・川西市市民活動センターさんにて「直観讀みブックマーカー」。飴ちゃんがええですなww
館内には「まわしよみ新聞」の展示もありました!w
『播磨國風土記』の「神崎郡生野の条」にこんな記述があります。「所以號生野者 昔 此處在荒神 半殺往来之人 由此號死野 以後 品太天皇 勅云 此爲悪名 改爲生野」。意訳すると・・・「生野」という土地には昔から荒ぶる神がいて、往来する人間の半分を殺すので「死野」と呼ばれていたが、応神天皇がこれは悪名だからと「生野」と変えた。
「荒ぶる神」がなにを意味するのかは不明ですが、これは「鉱毒」ではないか?という説があるとか。旅ゆく人の半分が倒れるほど、酷い鉱毒が充満する土地で、まさに死の土地だった。その「死野」の山が、日本でも有数の銀山であることが判明したのは9世紀の初め。それから20世紀の半ばまで約1200年の長きに渡って無数の鉱夫たちが坑内発掘という危険な作業に従事し、鉱毒や落盤事故などで死んでいきました。なによりも驚くのは鉱夫たちの平均寿命で、なんと30歳前後だったといいますから、現在のブラック企業なんて足元にも及ばないぐらいの超絶劣悪な労働環境だったと推測できます。実際に生野を歩いていて感慨深しかったのは、宗派が違う寺が8つも集まるエリアがあったこと。日本全国各地から「流れ者」の鉱夫が多数集まって、短命で亡くなり、その供養のために「寺町」まで作られたわけですな。
「流れ者を受け入れるまち」が、ぼくは大好きで。今回、生野ルートダルジャン芸術祭に「直観讀みブックマーカー」で参加しましたが、まちのみなさんが、やたらとヨソモノ(アーティスト)に対して優しい。度量が大きい。これは上記の「死野の物語」が有する歴史性、風土性が産んだまちの性格なのかも知れません。滞在は2日間のみでしたが、とても楽しく、面白い時間を過ごさせていただきました。またぜひとも遊びにいきたいですな。生野のみなさん、アーティストのみなさん、ほんまにありがとうございました!m(_ _)m
最後に宣伝ww 「生野ルートダルジャン芸術祭2014」は11月9日まで。文句なしに、素晴らしい芸術祭です。この機会に遊びにいってみてください!^^
11/9(日)14時30分より堺市北図書館の「北図書館フェスタ」で「本で遊ぼう!直観讀みブックマーカーのすすめ」という企画を実施します!^^ 参加費は無料です。よろしければどうぞ!m(_ _)m
【本で遊ぼう!直観読みブックマーカーのすすめ】
https://www.lib-sakai.jp/oshirase/2014/kita_festa.pdf
本を無作為に開き、目に留まった文章をしおりに書き出します。みんなで話し合い、しおりはお土産に持ち帰ります。どなたでもお気軽にどうぞ。
■11月9日(日)14:30~16:00
■定員:30人
■ファシリテーター:陸奥賢氏
観光家/コモンズ・デザイナー NPOまちらぼ代表
直観読みブックマーカー、まわしよみ新聞などを主宰
往来・暇活にて当事者研究スゴロク!
http://tk-sugoroku.jimdo.com/
「レシートで浮気がばれる」2コマすすむ
「ゴルフ場で尿道結石。救急車呼ばれず」3コマすすむ
「マクドナルド パン3ケース発注→30ケースとどく」3コマすすむ
「地下鉄のエスカレーターでさいふをぬすまれた」5コマすすむ
「赤信号で渡り車にひかれる」6コマすすむ
今回もええコマができましたww 降りていく生き方はオモロイ!みなさん、ありがとうございました〜!^^
糸家さんでの「業界新聞まわしよみ新聞」の様子が糸家さんのブログにアップされました!^^ 業界新聞は深いですww 福井くん、大澤さん、糸島のみなさん、ありがとう~!
■業界まわしよみ新聞
http://ameblo.jp/itoya0229/entry-11945415370.html
10月14日は糸家にて、まわしよみ新聞、発案者の陸奥賢さんをお招きして「まわしよみ新聞」を行いました。今回のまわしよみ新聞は糸島が全国に先駆けて、日本初の「業界専門紙とローカル紙によるまわしよみ新聞」を実施しました。
釜ヶ崎は近代が要請して誕生したまちです。資本家や官僚が「日雇労働者のまち」を作れば便利だろうと考えた。ところが日雇労働者たちがまちに集うと、やがて団結し、資本家や官僚と戦うことを覚えた。「労働者を一箇所に集めるとややこしい。孤立化させなければ」。
ネット登録の派遣労働がそれを可能にしました。顔を合わせるリアルなまちではなくて、ネットで個々に管理すれば、派遣労働者が団結して資本家に逆らうこともないだろうと。事実、派遣労働者の若者たちはネット上(掲示板やSNS)では集まりますが、リアルな繋がりはなかなか結べない。
ネカフェにいけば、派遣労働の若者たちがたくさんいます。派遣労働者は補償がない。いつクビが切られるかわからない。ワーキングプアで、年ばかりとる。やがて30、40といった年齢にさしかかる。言いようのない将来への不安と孤独を抱える。実は隣のブースには同じような立場の人間がいるんですが、お互いに没交渉。孤独はネットで慰め、癒す。ここから自己愛と国家愛を混同したり、嫌韓・反中にハマったりする。釜ヶ崎の日雇労働者は孤独が見えます。だから団結することができた。ネカフェの派遣労働者の孤独はなかなか見えない。「孤独の孤立」。これがじつにつらい。
そもそも派遣労働はアメリカで産まれたもので。イラクやアフガンとの戦争で米兵が死ぬとコストがかかってしょうがない。まず一人前の兵隊にするのに金がかかり、それがテロでやられて「名誉の戦死」をしたりすると、また補償やら恩給が必要になる。それでテロリストがよく狙う輸送や補給などを民間会社(もちろん派遣会社の資本家と官僚の癒着です)にやらせた。民間人なら死んでも国家は補償しなくていい。育てる金もいらない。トラック、船、飛行機の運転手などなんぼでもいる。危険な戦争現場に送り込まれる「使い捨ての派遣労働者」がこうして産まれた。やがて、この派遣労働システムが小泉政権下の日本に導入される。
釜ヶ崎の日雇労働者とネカフェの派遣労働者。見える孤独と見えない孤独。釜ヶ崎の孤独は時に噴出し、「釜ヶ崎暴動」につながりました。これはある意味、ガス抜きでもあった。派遣労働者の孤独はどこまでも潜行し、地下に伏流し、なかなか表れない。しかし、これがもし、噴出するようなことがあった時は、これはとんでもないことになるんやないか?と、そういう懸念が、ぼくの中にはあります。
大衆は資本家や官僚の思い通りになるようなそんな愚かな存在ではない。じつはしたたかで、いったん暴れ出すと歯止めがきかない。恐ろしい。恐ろしいが、これが世の常なのかも知れないと、ぼくはどこかで諦めてもいます。
以上は釜ヶ崎への個人的雑感。太田監督の映画『解放区』はまだ観れてません(監督ごめんなさい!)。大変な難産だったと聞いてます。機会があれば観てみたいですな。
■身の危険を感じながら大阪・西成の現実描いた太田監督「生きることを肯定したい」
http://eiga.com/news/20141028/10/
社会実験者とは「効率的な社会にしよう」とか「よりよい社会を作ろう」といったベクトルを目指すのではなく、純粋に「こんなことしたらどうなるやろうか?」という好奇心、冒険心、イタズラ心、探究心、遊び心などを動機とする行為者です。実験のための実験であり、「純粋実験」です。
■社会実験者宣言
http://wp.me/pxlkK-NF