「高層マンションに住むと流産、死産、神経症、めまい、鬱病、アレルギー、アトピー、低体温といった病気になりやすい」という衝撃のデータ集です。なぜこういった症状が出るのかよくわかりませんが、高層建築に住むとなると、知らず知らずのうちにストレスを抱え込むようです。人間は大地から離れては生きていけない存在なんですな・・・『天空の城ラピュタ』みたいなことをいってしまいました(笑)
高層建築の先進国である西欧諸国では、じつは1970年代から既に専門家から「高層マンション、高層ビルに住むと病気になる」といった警鐘がなされていたとか。実際にスウェーデンでは子どものいる家庭は5階以上の居住は禁止、イギリスでは4階以上が禁止、フランスでは高層住宅の建設を1973年から禁止、アメリカの一部の州でも高層住宅建築が禁止されているそうです。
翻って我が国・日本では、いまだに大手デベロッパーの大号令で、高層マンション、高層ビルの建築ラッシュをやっていますが、それは果たして、正しいことなのか?経済効率のみを最優先して、人間らしい、ヒューマンスケールの住宅環境を犠牲にしているのではないか?・・・この本を読むと、そんなことを考えさせられます。
高層マンション症候群。もっと世間に知られるべきです。
堺の鈴山古墳の画像です。
近くにある方違神社の由緒によると、神功皇后が堺浦へ上陸して方違の祓をしたさいに「汝はここで永久に暁を告げよ」と金の雛を三国ヶ丘に埋めたといい、それが鈴山古墳といいます。毎朝、金鈴をふるような雞の声が響き渡り、そこから「鈴山」という地名の由来となったとか。むかしは節分の夜には鈴山の麓で夜を明かすものが多かったといいます。
神官がお祓いをするさいも鈴を降りますが、鈴の音色は「魔除け」になります。よく響き渡って動物が避けて通る。いまでも登山者、アルピニストは熊が寄らないように鈴を付けて山に登ります。人間よりも今まで聞いたことがない鈴の音に驚いて去っていく。鈴には、そういう効用があるんですな。古代人は大自然の中にいましたから、周りには熊や狼、猪など猛獣がたくさんいました。そういう環境でないと魔除けとなった鈴のありがたさはわかりません。
鈴繋がりで話をしますと、堺の蜂田神社にも不思議な祭りがありまして。蜂田神社では毎年、節分時に「鈴占神事」「鈴祭」というのをやります。土鈴を作って、夜明け前に、真っ暗闇の中で土鈴を12個割るんです。その割れた具合や音で月の吉兆を占う。ルーツはいつ頃かわかりませんが古代にまで遡るかも知れません。あまり世間には知られてませんが、神秘的で、素晴らしい神事で、ぼくは大好きです。
ちなみに、この蜂田神社の一族の蜂田氏から、東大寺大仏殿を建立し、日本初の大僧正となった大行基菩薩が生まれています。行基の母親は蜂田氏の娘でした。伝承では蜂田氏は渡来人だったとか。ぼくは「蜂田」という名前も奇妙で不思議な名前やな・・・と思っているんですが。これについては、また今度、機会があるときに書きます。機会あるかな?(笑)
能楽師の世阿弥や観阿弥は人間ではありませんでした。「阿弥」とは阿弥陀仏の阿弥のことで、娑婆世界から解脱した「方外の民」であることを意味します。だからでこそ世阿弥、観阿弥は、昇殿して足利将軍の御前でも能が舞えたわけです。本来であれば、封建社会に属する人間であれば、そんな無礼千万はことは絶対にできません。
さて、ここで面白いのが、じつは千利休の祖先が、千阿弥という阿弥衆出身だったという説があること。利休の茶が中世の封建社会機構から、大胆不敵なまでに自由放逸であったのは、もしかしたら、こうした阿弥衆の祖父の出自というのも影響しているのかも知れません。
掛軸は宋代の牧谿。花は唐の椿。器は交趾焼(ベトナム)で、南蛮の袱紗の所作で、一服の茶を飲む。
堺が産んだ千利休の茶は、国、民族、海、文明、文化を越えました。その数寄は、まさに「世界」そのものを飲んでいたといっても過言ではありません。その舞台装置が、わずか「ニ畳半」「一畳半」の侘住まいであるのは当然です。静かな、寂しい、狭い、暗い空間であればこそ、見果てぬ世界に対する想像、イマジネーションが沸き立ち、駆り立てられ、飛躍するわけですから。
「茶道のワビ・サビは、日本的文化の粋」というのは後代の錯覚、誤解で、少なくとも利休が目指した茶は、世界そのものを鯨飲しようという、大航海時代とリンクした、インターナショナルな文化的冒険でした。利休の壮絶なる横死と、茶道の本拠が、東洋のヴェニスたる堺から、港(海)がない山城(京)に移って、その世界性(可能性)は萎み、封じ込められました。惜しい。実に惜しいことです。
以上、利休忌(2/28)の断想です。
『SFマガジン』500号の記念号で発表された「日本SFオールタイムベスト」で見事1位に輝いた『果しなき流れの果に』・・・言わずと知れた小松左京の傑作SF小説です。
大阪南部、葛城山麓の古墳から見つかったもの。それは決して砂が増えもせず、減りもしないという摩訶不思議な砂時計だった・・・。
大阪の古墳を舞台にした小説といえば、この『果しなき流れの果に』と、五木寛之の『風の王国』が鉄板でしょうか。たまには、こういうエンターテイメントも、おもろいもんです。
大阪市福島区にある地上16階建てのオフィスビルです。明治初期から当地で薪炭業などを営んでいた地権者がいて、社屋老朽化で改築しようとしました。ところが都市計画で高速道路が通ることになっていたために建築許可が下りなかったそうです。「んなアホなことあるかい!」と地権者と阪神高速道路公団(当時)とが約5年間にわたって交渉して、結局、ビルの中に高速道路を通す・・・という前代未聞の解決方法で決着したとか。
よく見ると高速道路と建物は接触せずで、お互いに独立してます。仮に建物を解体することがあっても高速道路が崩れることもないですし、貫通部分は防音シェルターで覆われているそうで、建物内部に騒音や振動なども一切ありません。じつによく計算されている。
得てして高速道路の用地買収というのは日本全国の都市で問題になりますが、こういう解決の仕方があるのか・・・と目から鱗です。すごい発想。智恵。ほんま、えらいもん建てますな、大阪は(笑)
●コミュニティとはなにか?
マス(大衆)⇔コミュニティ(市民)
大衆社会と市民社会
オルテガ『大衆の反逆』(1929)
大量生産 大量消費
マスメディア イベント化社会
モータリゼーション
人工都市ブラジリアの建設(1960)
ル・コルビュジエ『輝く都市』(1930)
ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(1961)
1.混用地域の必要性(ゾーニング非難)
2.小規模ブロックの必要性(路地の重要性)
3.古い建物の必要性(連続する都市イメージ)
4.集中の必要性(多様なる人種、年代の混在)
低コスト、ヒューマンスケールによる
「人間のための都市計画」・・・クリチバ・マスター・プラン(1964)
都市の乱開発を予防
市中心部の繁華街における自動車量抑制
旧市街の歴史的建造物の保全
手頃な公共輸送システム(大型バス)の構築
人間都市クリチバ
「世界一革新的な都市」として顕彰(1996)
【大阪(日本)の場合】
明治維新 大久保利通による官僚主義の導入
(イギリス式市場主義VSドイツ式エリート主義)
1930年代 戦時体制への移行(東京一極集中化)
1945年 敗戦
1950年代 新たなる東京一極集中化政策
高度経済成長
「人類の進歩と調和」 大阪万博(1970)
1975 ビル・ゲイツ マイクロソフト創業
1976 スティーブ・ジョブズ アップル創業
1980年代 バブル経済
1990年代 バブル経済崩壊
2000年代 失われた10年
2006年 長崎さるく博
2008年 大阪あそ歩
2011年 『大阪あそ歩まち歩きマップ集』発売
●ツーリズムとはなにか?
観光という言葉の由来
『易経』より「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」
高度経済成長時代の産物「マスツーリズム」の弊害
1.自然環境の破壊
2.文化の侵害(ショー化、見世物化)
3.収益構造(東京一極集中化)
コミュニティ・ツーリズムの勃興
【大阪あそ歩の事例紹介】
正史へのアンチテーゼ 稗史(はいし) 野史
「ものがたり」の豊かさ
●コミュニティ・ツーリズムの可能性
血縁 地縁 社縁の崩壊
無縁社会へのアンチテーゼ・・・好縁社会
真の市民主義
「大阪はそもそも市民主義のまちだった」
「ほんまもんの大阪」への回帰
サスティナブルなまちづくり
新しい「まつりごと」(政)
阪神電車は、文字通り大阪と神戸を結ぶ電車です。都市と都市とを結ぶ、当たり前の、当然の、大衆の需要にお答えした電車です。現実的で堅実でリアル。足。交通機関。
対する阪急は元は「箕面有馬鉄道」。箕面の滝と有馬温泉を結ぶ電車からスタートしました。滝も温泉も風光明媚な景勝地。人間なんて住んでません。猿しかいなかった。これ、ほんまです。そんなところに鉄道を通して電車を走らせた。
やったのは阪急創業者の小林一三。当時の鉄道経営のセオリーから言えば常識外れ。横紙破りです。しかし小林一三はやった。田舎に鉄道を走らせ、同時に駅周辺の土地を買い漁り(なんせ田舎だから安い)そこに新興住宅を開発して「サラリーマンでも月賦払いでマイホームが持てまっせ!」とやった。これが当たったんですな。俗に言う郊外都市構想。または田園都市構想。住むとこ(職場)と働くとこ(住居)を分けた。職住分離のはじまり。
さらに小林一三は、何もない新興土地では面白くないと、エンターテイメント施設を人工的に作り上げることを思いつきます。そこではじめたのが宝塚少女歌劇団。これは大阪ミナミ、宗右衛門町の芸妓学校がヒントでした。これまた大ヒットして、やがて東京宝塚→東宝が出来て映画興行の世界にも進出していきます。
小林一三曰く「乗客は電車が創造する」。乗客がいるとこに電車を走らせるのではなく、まず電車を走らせ、その後、そこに乗客を載せるために、あの手この手のまちづくりに着手する。逆転の発想ですな。
阪急電車はだから、良いようにいえば夢があります。憧れがあります。新興住宅。マイホーム。週末には家族団欒で明るく楽しい宝塚歌劇へ。東宝映画へ。しかし悪いようにいえば地に足がついてないんですな。生活がない。フワフワしてる。リアルじゃない。妙な浮遊感に包まれている。それが阪急電車の特徴です。
神戸ってまちは、そんな性格差、思想差のある阪神電車と阪急電車が東西を併走している。その面白さがあります。落差。ギャップ。これは大阪や京都、東京、他都市には、なかなか見受けられません。
ケインズを読んでいたら彼は「公共事業か、もしくは減税による需要喚起」の有効性をちゃんと述べていました。しかし、もはや大型公共事業なんて時代でもなく。そうするとほんとは減税しかない。ところが官僚は決して減税手段を取りません。
ちゃんとケインズ理論を踏襲すれば、国家の管理統制経済も、それほど酷いものでもないのかも知れませんが、そういう知性ある、品格ある国家が出てこない。官僚は自分たちの都合のいいようにケインズを利用するだけ。
結局、ケインズは、官僚機構の構造的欠陥によって、敗北する。
釈迦は経典も文字も偶像も、なにも残しませんでした。弟子や教団がいたことになっていますが、釈迦の生きざまの清浄さを思えば、それらは勝手に釈迦に感化されて付いていっただけで、釈迦自身は弟子を作ろうとか、教団を残そうという気なんて毛頭なかったように思います。おそらくは釈迦の没後に勝手に「私は釈迦の弟子であった」と自称する人物が何名か出てきたのでしょう。
実際に、仏教最初の経典も釈迦の死後100年ほど経って、ようやく登場してきますが、これらはすべて「如是我聞」(私はこう聞いた)から始まってます。又聞きで、発言責任を明らかにしようとしないところに、自称弟子たちの心苦しい背景を感じます。
キリストは自身では経典を残しませんでしたが、『旧約聖書』を説いた気配があります。また弟子や教団も残しました。釈迦と比肩すると、キリストは随分と社会的な性格だったといえます。これは要するにキリストは「救済」を目指して、釈迦は「解脱」を目指したからといえます。そして釈迦が目指した解脱とは、偉大な古代インド数学が発見した「ゼロ(0)」という概念の哲学化、実践化に近いと考えています。
生老病死、輪廻転生、因果応報からの解脱。仏教用語でいうところの「空」。なにもかもから解き放たれてゼロになる宗教。しかしゼロという概念は、あまりに取り留めがありません。抽象的すぎるし凡人にはよくわからない。これでは宗教としてなかなか成立しえません。そこでなんとかしようと「自称・釈迦の弟子たち」が、各人各様で解釈していきました。ゼロはまた凡ゆる思想、哲学、イデオロギーを内包します。それは「無限大(∞)」に等しい。だからでこそ、各人各様の解釈が成立しえたわけです。
つまり、ある男は「釈迦の本然とは慈悲(大日如来)だ」と云い、またある男は「いや。智慧(文殊菩薩)である」と云い、またまたある男は「いやいや。浄土(阿弥陀如来)なのだ」といったわけです。「西の海に沈む太陽を拝めば良い」といった男もいたし、「南の海に向かって補陀落渡海することだ」といった男もいた。各人各様が勝手に「釈迦のゼロ」を抽出、分析、演繹して、それが小乗や大乗、顕教や密教といったバリエーションに発展していった。これが仏教の面白いところです。
とくにユーラシア大陸のほぼ真ん中のインド大陸で勃興した仏教が、果てしなくトンデモになるのは極東の日本だと感じています。日本仏教はバリエーション具合が半端ないです。じつにユニーク。なにせ日本仏教には妻帯肉食OKなんてのありますから。中国や韓国仏教では考えられないことのようです。また過去には僧兵といって武装化したり、南無阿弥陀仏といって突撃したら浄土に行けるという殉教テロリスト、現在でも選挙になると○○党へ!と電話しまくる仏教徒もいます。釈迦がみたら驚くでしょうな。卒倒するかもしれません(笑)
以上、釈迦の入滅の日に。断想。