【福島県】お馴染みのGuesthouse & Lounge FARO iwakiにて「いわき七浜海道サイクリングロード」の振り返り。
ひとことで自転車というが、自転車は最も多様性のあるモビリティではないか?という気がする。
シティサイクル(ママチャリ)、電動自転車、折りたたみ自転車、ミニベロ、マウンテンバイク、ロードバイク、クロスバイク、シクロクロス、BMX、補助輪付き自転車、タンデム自転車(二人乗り)…と、じつに多種多様な自転車がある。
それぞれの自転車にあわせて目的、用途が違う。スピードを競う人、距離を伸ばしたい人、景色を楽しみたい人、ふらふらと巡りたい人…とユーザーの志向も違ってくるだろう。
どういう人に、どういう自転車文化を広げたいか?それによって用いる自転車が変わるし、ガイディング、案内が変わるし、ルート、マップも変わるだろう。その幅広さ、奥深さが面白いし、自転車文化の可能性だが、これがしかし初心者やビギナーが自転車文化に触れるにあたって若干の戸惑いのようなものを産んでいる気もする。
まずは「自転車文化の裾野を広げる」ということが大事ではないか?ということ。そして、その対象は約32万人の「いわき市民」であることが、今後のいわきのまちづくりにとって、地域社会にとって、いちばん重要で、大事なことではないか?というような話をしました。
外からやってきて百キロ二百キロとサイクリングロードを走るガチ勢の自転車乗りの人も世の中には沢山いますが、そういう人は、やはり「いわき」を見ているか?というと、そうではないという気がします。要するに「距離」や「スピード」や「カロリー」といった「データ(数字)」を見ているだろうと思う。
そうではなくて「いわき」や「地域」や「コミュニティ」や「震災」や「復興」や「文化」や「歴史」や「信仰」や「ひと」や「みせ」を見てほしい。「物語(ナラティブ)」に触れてほしい。そうなると、おのずと方法論が定まってくると思います。そして、その方法論こそが、まさしく僕の仕事の範疇(まち歩き、コミュニティ・ツーリズム)とリンクします。
自転車というツールを用いて「地産地消の観光」をやるべきや思います。いわき市民の、いわき市民による、いわき市民のための自転車観光をw
1995年の阪神淡路大震災をきっかけにボランティアやNPO法ができたりして新しい社会運動の流れも起こった。当時の大学生が熱心であったように思うが僕(当時17歳、フリーター)はどこか一線を引いて斜に構えていた。少し上の世代の行動を見ていたが、僕自身は行動しなかった。
そういう態度を後悔したのが東日本大震災の時。じつは阪神淡路大震災の時に「もし原発周辺で地震が起こったら」と反対運動する大学生などもいたのだ。しかし僕は全くピンと来ずに、彼らの言説をスルーした。その懸念が実際に現実に起こってしまった。
地震と原発の組み合わせの恐怖は、ちょっと想像すればわかったことなのに、自分の迂闊さ、胡乱さに「しまった!」と反省した。
実際に阪神淡路大震災で、勘のいい人たちというか、気づいた人たち、目覚めた人たちがいて、その行動を目の当たりにしていた分、自分の問題への無関心さに自責の念を抱いたりした。
1995年の時にわかっていたらよかったが、2011年にようやくハタと気づかされたわけで。しかし大阪、神戸、関西に住んでいる人は結構、僕のような人も多いのではないか?と思う。東日本大震災で、阪神淡路大震災をフラッシュバックした方。
もちろん僕一人が何か行動しても世の中の流れなどは何も変わらなかったと思うが、しかし、それでも、何かアクションを、行動を、するべきだったのでは?と考えさせられた。
「なにもやらずにダメになる」と「なにかやってもダメになる」は結果として同じダメでも、しかし、「なにかやる」ことは、次の、違うなにかに繋がると信じている。自分の能力を錬磨し、仲間や同志ができて、新しい世界への可能性を広げると信じたいw
ちなみに、1995年の反省と後悔で、2011年には、とりあえず、もう、やぶれかぶれでも、自分に、なにかできることをやらんといかん!やろう!というので僕が行動したのが大阪七墓巡りやらまわしよみ新聞やらの一連のコモンズ・デザインとなる。遅ればせながらの、僕なりの震災復興プロジェクトの数々。
まぁ、しかし、阪神淡路大震災と東日本大震災のあいだの「無為の17年」というのが大事な気はする。結構、世の中の事柄は、後悔から始まることは多い。後悔力、大事!
我が母校。堺。新金岡。光竜寺小学校。いまも兎小屋はある。昔は鶏小屋もあり、そこにはなんと孔雀もいたが、いまはいない。
孔雀はあんなに美しいのに密林の蛇を採って食べるらしい。古代インド人にとって密林の蛇は凶々しく、死の恐怖そのもの。その蛇をいとも容易く退治する孔雀は当然のように崇拝され、神格化され、孔雀明王となった。
孔雀を捕らえる密林の原住民、部族もいた。歳若く、長髪を頭頂部に結い、半裸で、日に焼けて赤黒く、腰に縄を持ち、密林に罠を仕掛け、まるで目が6つ、腕が6本あるかのように見事に蛇を捕まえる。人間業とは思えない。神々しい謎めいた少年。これまた神格化され、阿修羅となる。
阿修羅も孔雀も古代インドの風土、風俗が生み出した。「異類」「他者」への畏敬が神仏となった。
孔雀の羽毛はこの世のものとも思えぬほどに美しい。羽の生え変わり時期には、時折、孔雀小屋に羽が落ちていて、取り合いになった。こどもにとっては宝物であろう。
小学校に鶏、孔雀はいなくなったが、ふと隣に「異類」「他者」がいる状況は貴重な環境、体験であったように思う。
本日は近畿大学へ!藤田ツキト先生に呼ばれて文芸学部文化デザイン学科「プロデュース学特論Ⅲ」のゲスト講師に。
学生のみなさんは僕の長瀬まち歩き(長瀬から近大まで)を体験して、さらにその後、ツキトさんの進行で、まわしよみ新聞、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロクなどを体験。
むつの一連のコモンズ・デザインなども参考にして「遊び」を入り口にSDGsに親しむアナログ・ゲームを作ってみよう…という実に興味深い講義をやっておられます。
今日はその学生さんたちが4つのチームを作って、それぞれが考えたアナログ・ゲームの中間発表を聞いて、僕なりに思ったこと、感じたことをレビュー、アドバイスする…という講義でした。これがまた凄いレベルが高い。ほんまに面白いです。ビックリしました。最終発表が楽しみです!
近大にはまわしよみ新聞も掲示されてました!ありがとうございますー!( ´ ▽ ` )
桜宮ゴルフクラブ、桜宮スケートリンク、大阪冷蔵の歴史。川崎さんのご案内でした。勉強になりました。ありがとうございます!( ´ ▽ ` )
戦前の大阪冷蔵は高野豆腐(凍り豆腐)の製造で有名だった。じつは高野豆腐は軍隊食に採用された。戦場では食事の際に火を使うと潜伏場所がわかってしまう。そこを狙い撃ちにされる。
その点、高野豆腐は火を使わずに水だけで食べられる。さらに栄養価も高い。陸軍御用達になるのは必然であったろう。
それまで高野山のローカル食に過ぎなかった高野豆腐が全国シェアを獲得したのは、軍隊食に採用されたことが大きいという。
しかし太平洋戦争では「兵隊さんにお米をいっぱい食べてほしい」と内地の人間は雑穀を食べ、米はせっせせっせと軍隊に送ったといった話もある。
南洋諸島の鬱蒼と生い茂ったジャングルの中で日本軍はゲリラ戦を繰り広げ、隠れているが、末期になると米を食べたいと火を焚いて、もくもくと煙を上げた。米軍はそれをみて驚愕したそうな。ゲリラ戦を展開してるのに米を調理して煙が上がってる。WHY?!もちろん狙い撃ちにされて日本兵は次々と戦死したという。
そもそも米なんて調理のめんどくさい食材を戦場に送ること自体が日本人の戦争音痴の現れといえる。戦争の現実、リアル、残酷さ、非情さを知らない。
また兵隊も圧倒的物量差の前に絶対に米軍に勝てないのはわかっていた。周りを完全包囲され、援軍援助もなく、四面楚歌の絶望的状況。もはや最後ぐらい米を食って死にたい。そういう兵隊もいたという。もう知らん!俺は米を食う!爆撃するなら爆撃しろ!という開き直りの最後の晩餐。
この国の政府、官僚は、まずもって兵站ができない。要らないところに送り、必要なことに送らない。昔の話ではない。コロナでも支援金で無為無策無駄無能を露呈しまくった。まるで変わっていない。
淀川、大阪湾に鯨が迷い込んだ。珍しいが過去、なかったことではない。遠くは『万葉集』にも住吉津(大阪湾)に「勇魚」(いさな=鯨)が寄ったという記録などがある。
住吉大社には幻の「鯨祭り」というのもあった。時折、住吉津に鯨がやってきて大漁、豊漁となったのだろう。なんせ鯨は一頭仕留めれば七浦が潤うというほどの莫大な恩恵を漁民たちに齎した。
かつての西洋人(バスク民族など)は鯨を取っても鯨油を取るぐらいだったらしいが、大阪の漁民たちは肉や骨はモチロンのこと、ヒレ、ヒゲ、舌、胃、内臓、心臓、肝臓、はては睾丸、子宮まで使用(食べたり、加工品を作ったり、肥料にしたり)した。鯨全体で捨てるところは3箇所しかなかったそうで、鯨の99パーセントを使い切ったとか。
突然、迷い込む鯨さまは、鯨神であり、マレビトであり、福の神、えべっさんそのものであった。だから鯨の豊漁があるたびに、またの来訪を願って住吉の大神に鯨祭りとして奉納された。
鯨祭りは長く幻の祭りであったが、2011年に住吉大社創建1800年記念大祭のさいに奉納された。いい祭りであった。
かつてならば大阪湾、淀川に迷い込んだ鯨は漁民たちに神として崇められ、その血肉骨の99パーセントを利用され、祀られたことだろう。命を頂き、命を繋いだ。
また個人的には迷い込んだ時期が気になる…というのも丁度、いまはえべっさんの時期で。1/9、1/10、1/11と上方はえべっさんの祭礼のシーズンで、なぜこの時期にえべっさんの祭りがあるのかな?と前々から謎に思っていたが、もしかしたら大阪湾に鯨が迷い込む時期であったのかもしれない。不思議な符合である。
いまはただ「迷い鯨」としてニュースソースになり、お茶の間の話のネタになるだけ。「淀ちゃん」ですからな。淀ちゃんて。
ちぬの浦
いさな寄るなる
をちかたは
ひねもす霞む
海恋しけれ
堺(大阪)の浦は
鯨が寄ってくるという
遥か彼方の水平線は
終日、霞んでいる
そんな堺(大阪)の海が恋しい
与謝野晶子の短歌である。堺・出島浜に石碑がある。
陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗の兄・陸奥龍彦。高知・越知の国学者・郷土研究家らしいのですが、その陸奥龍彦の弟子が結城有(たもつ)という。
この結城有について書かれたのが佐川町発行、明神健太郎著の『わが町の人びと』。この本によると結城有は県会議員の息子だそうですが、病弱だったので学校通いではなくて家庭教師を雇ったらしい。その家庭教師が陸奥龍彦だったそうです。
結城有は青年時代は共産活動に身を投じたこともあるようで、当時の有産階級の息子にはよくある話ですが、なかなか面白い経歴の方です。
結城家というのは代々、代官を務めたという名門らしく、その蔵の中にあったというのが『八幡荘伝承記』という書物。結城有は興味を惹かれ、師匠の陸奥龍彦に見せたところ、これは「世にも珍しい、大変貴重な書物である」と太鼓判を押された・・・という話になっています。これがしかし、いま現在に至っても世の中には出回っていない「幻の歴史書」となっているらしい。
本の中身は高知の南北朝時代のことが書かれた歴史書らしく、結城有も高知の史学会などに『八幡荘伝承記』を引用して、いろんな記事、エピソードを紹介していたそうですが、原本自体は、なぜか外部の方には見せず、門外不出のものにしてしまったという。
しかし写本がいくつかあるようで戦後に下村效という歴史学者が、それらを調べたところ、どうも使われている文言、語句などに明らかに時代考証的におかしな部分があり、「偽書である」と認定されたとか。原本も出てこないし、正確な検証もできず、結果、今に至るまでも高知史学会から黙殺されているらしい。
要するに南北朝の頃に高知の人たちが南朝方として戦った…というようなことが書かれている歴史書ですが、そこにいつのまにか時代精神の天皇万歳、皇軍万歳(実際に書物の中に、中世には絶対に使われなかった皇軍なんて言葉が出てくるらしい)というプロパガンダ的な記述が含まれてしまったようで・・・。史料的価値に疑問符がついてしまった。
陸奥龍彦のことを調べていたら戦前の高知史学会の謎(闇?)のような話が出て来て至極、驚いた次第ですが、しかし、それにしても陸奥家のご先祖さまが「貴重な本である」と太鼓判を押した(そういう意味でいえば龍彦も歴史捏造?に加担した側かもしれないw)ものですから、やっぱり、いつの日にか世の中に出てきてほしいものです。
最近は歴史を捏造し、ニュースを隠蔽し、フェイクだらけの世の中ですから。メディア・リテラシー向上のためにも「偽書研究」は重要な仕事になってます。『八幡荘伝承記』も誰か取り上げないかな…?
ちなみに二枚目の画像にある『八幡荘伝承記』の写本は庄田・宮ノ原寺の亀鳳法印という方が幕末の頃に写した…という話らしいのですが、この宮ノ原寺(廃仏毀釈で残念ながら廃寺)にあったのが「宮ノ原塾」で、その宮ノ原塾で学んだのが陸奥龍彦です。
謎に包まれた『八幡荘伝承記』で、誰がどのような経緯で捏造したのか?というのもわかりませんが、本の由縁、由来には、どうも宮ノ原寺(宮ノ原塾)の関係者がチラホラ見え隠れするのが実に興味深い。
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※追記
『八幡荘伝承記』に関してはこちらの方のブログが面白かったです。
■もう一つの歴史教科書問題:『八幡荘伝承記』と『東日流外三郡誌』
http://rekisi.tosalog.com/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%8D%98%E4%BC%9D%E6%89%BF%E8%A8%98%E3%81%A8%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C
越知史談会・吉良武氏は「佐伯文書が第一級の歴史資料とすれば、伝承記の内容もきわめて精度の高い歴史資料といえよう」として高く評価しています。こういう方もいる。嬉しい。
【福島県】大阪七墓巡りの男が、いわき七浜海道を語ります!w 場所はお馴染みのGuesthouse&lounge FARO Iwakiにて!
ぜひとも遊びにきてください~!^^
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■陸奥さんと!七浜海道サイクリングロードを語ろう!トークイベント
https://www.facebook.com/events/698220358561030/
1月18日~19日、観光家でコモンズデザイナーの陸奥賢さんをいわきにお呼びして、共に「いわき七浜海道サイクリングロード」を駆け抜けていきます。
19日の夜19時からは、いわき駅前の「Guesthouse&Lounge FARO」さんにて、七浜海道を完走しているであろう陸奥さんと帯同したメンバー、それからこのイベントにお集まりいただいた皆さんとともに、七浜海道について語らいあう会を実施します。
今後の七浜海道での活動についてのアイディアが飛び交うかも・・・?ぜひご興味ある方は、遊びに来てくださいね!
【日時】1月19日(木)19時~21時
【場所】いわき駅前Guesthouse & Lounge FARO iwaki(〒970-8026 福島県いわき市平三町目8−2)一階ラウンジ
【定員】10名程度
【予約】以下のフォームからご予約ください
https://forms.gle/exnSWoMVtKaCekhL7
★ワンドリンクオーダーいただきます
(ドリンク・フード追加オーダー出来ます)
★出入り自由です!
【お問い合わせ】a-terazawa@jpcfweb.com/090-9898-1553
【ゲストプロフィール】
陸奥賢(むつさとし)
(観光家/コモンズデザイナー/社会実験者)1978年生まれ。
「大阪あそ歩」(観光庁長官表彰受賞)「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」(読売教育賞最優秀賞)「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)「死生観光トランプ」などを手掛ける。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。大阪まち歩き大学学長。
★陸奥さんのことが気になる方はこちらをチェック!
http://mutsu-satoshi.com/profile/
【主催】いわき自転車文化発信・交流拠点ノレル?
僕のプロジェクトには特にプランやエビデンスなどないことが多いw
要するに「直観」「閃き」「なんとなく」「思いついたから」「やってみた」というのが大抵の僕のプロジェクトの動機、本心、本音だが、そうなると僕のプロジェクトは日々「PDCAサイクル」とか「マーケティング」とか「リスクヘッジ」といったお堅いビジネス思考に染まった世間の人を、どこか不安がらせる要素がある。端的にいって信用されないw
だから、そういう「お堅い人たち」にもそれなりに届きそうな言葉として「僕のプロジェクトは社会実験です」と名乗るようにしたわけです。
大阪七墓巡り復活プロジェクトも直観讀みブックマーカー~本と人との新しい出逢い方~も当事者研究スゴロクも歌垣風呂~風呂は現代の歌垣になりうるか?~も死生観光トランプも一連のコモンズ・デザインはすべて社会実験であります。
社会実験という言葉は、なかなか便利な言葉で、この言葉ひとつで極私的(?)なプロジェクトでも、どこか公共的な性質が感じられる。
「むつのやってることはよくわからんが、そうか。社会実験か。まあ、そういう社会実験もアリかも知れないなあ」というお目溢しが発生する。発生してほしいという狙いがあるw
それぐらい世間の中にビジネスマインド、ビジネス思考、損得感情が浸透しているんですな。損とか得とか金になるとか金にならないとか、算盤弾いてから動くというのが当然、必然、常識という人にとっては僕のやることなすことは珍獣のように見られてしまう。
そういう「ビジネスの呪縛」のようなものから逃れるために「社会実験」という言葉の持つ面白さに着目したわけです。
「エビデンスは?」とか「リスクヘッジは?」とか「マーケティングは?」とか、うっせえうっせえうっせえわ…という気分、ないですかね?みなさん?
ま、社会実験者と名乗ることで僕がその手の「ビジネスの呪縛」から逃れられてるかどうかは不明ですがねw 結局、珍獣扱いは変わってない気がするので…。
まあ、しかし、みんな社会実験するがいいですよ。社会実験者になるがいいですよ。じつは生きてることは、なにかやるということは、須く、全て、社会実験であります。
本日は立命館大学へ!山口 洋典先生に呼ばれて『現代社会のフィールドワーク』の講師。
学生さんたちがチームを作り、自分たちの社会環境、世の中を鑑みて気になることから「問い」を立てデスクワーク、フィールドワークで検証し、一枚もののレポートに纏める。講義では、そのレポートの発表を聞き、僕が感じたこと、思ったところなどを含めて講評する。
毎年、やっていますが、学生さんたちの現代社会へのまなざしのようなものが浮かび上がり、それが個人的に興味深く、面白かったりします。僕には全く思いつかない「問い」ばかり。
しかし、どんな「問い」からでも学びは始められるし、また現代社会の複雑怪奇さは一朝一夕でわかったり、解けたりしないもので、要するに「答え」なんてない。
そういう「答えのない問い」をチームで取り組む。なるべく、ひとりではなくて、みんなで考える。対話を積み重ねる。※中にはソロで取り組む学生さんもいますが。
学生さんたちはいろいろと試行錯誤しますが、めちゃくちゃ身のある、実践的で、重要な講義やなあと毎回、思う次第です。山口さんのアドバイスがこれまた的確で、ほんとに素晴らしい。毎回、講師のフリして、山口さんの講義を僕が学んでるようなものですw
学生さんたちには、こういう「答えのない問い」の講義をちゃんと経験して、真摯、誠実に取り組んでほしい。社会、世の中に出るにあたっての必須スキル能力だろうと思います。