東京タワーを作った男は「大阪の新聞王」こと前田久吉です。
明治26年(1893)に大阪今宮村(現・西成区)の貧農に生まれ、大正2年(1913)に天下茶屋で新聞販売店を開業して大正11年(1922)には「南大阪新聞」を創刊。これが戦前戦後を通じて、さまざまな新聞を吸収合併しながら、現在の「産経新聞」に繋がっています。戦後は電波メディア時代の到来を予見して、日本電波塔構想が持ち上がると「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない!」と、エッフェル塔を越える世界最高の自立式鉄塔を計画し、昭和33年(1958)に東京タワーを設立。その後もラジオ大阪、関西テレビを開局して、それぞれの初代社長に就任。昭和40年(1965)に勲一等瑞宝章を受章して、昭和61年(1986)に93歳で死去しました。
大阪・西成の偉人なんですけどね。もうちょっと、西成の、地域の誇りになってもいい。
春秋戦国時代の中国は面白い。司馬遷の『史記』を読めば、古代でありながら、現代と変わらないぐらいに、人間の描写が生き生きとしている。人間が多彩多種多様であった証拠に、「諸子百家」といわれるぐらい、イデオロギーや学問体系が乱立した時代でもありました。
ところが、その諸子百家を粉砕したのが、史上初めて中国を統一した始皇帝。彼は諸子百家の中から「法家」を取り上げて、独裁君主、郡県制による中央集権、非情なる厳罰主義でもって秦帝国を作り上げました。その他の百家は文字通り「焚書坑儒」した。
その後、秦が乱れて、漢が興ります。漢の武帝は秦のような法家思想では国が治まらないと、今度は秦時代に弾圧されていた儒家を採用します。これが中国人の性向に合い(なぜ合ったのか?はここでは述べません。書いてたら長すぎるww)見事に成功。儒家思想を用いて、国家思想として統一を図ったことで、ようやく中国は国家としての纏まりを持ちます。
あれだけの広大な土地を治めようと思えば、強烈なイデオロギーを強固に推し進めるしかなかったんでしょうな。しかし、国家がただひとつの思想体系を支持するというのは、恐ろしい反作用効果を齎します。まず諸子百家の煌くような思想の大海が儒家一本に絞られ、分流となり、支流となり、やがて枯渇してしまった。多様性こそが文化の豊潤さのバロメーターであるのに。
また儒家というのは、すでに神話化、伝説化していた堯、舜、文武、周公といった太古の「君子政治」を理想として、それを復活させようという歴史の回帰運動の思想でした。これは言ってみれば人間の進化を否定するイデオロギーで、それが国教とされた。だから諸子百家の古代中国の方が現近代的であり、漢以降の中国は、どんどんと人間が古代化していく。「歴史に遡上していく歴史国家」という複雑怪奇なパラドックスが中国の正体です。
ただ、儒家も2000年続くと、儒家でありながら、あらゆる百家を包括した儒家となるようでして。つまり「儒家百家」という奇妙奇天烈な状況となる。「孔子平和賞」もそのうちのひとつでしょう。まさかノーベル(ノーベル平和賞かて政治利用されてます)に対抗して孔子を持ち出すとは。これは新しい儒家の政治利用。愚かしくもあり、面白くもあり。
相場、株価というのが、実体経済を反映しているか?というと必ずしもそうじゃないわけで。「景気」という言葉には「気」という漢字が入ってますが、世間が強気になれば値は上がるし、弱気になると値は下がる。気の持ちようでいくらでも値が動くのが相場、株価の怖いところです。要するに時代や社会、世の中の「雰囲気」で資産、資本というものが決定される。紙幣が所詮「紙きれ」に過ぎないように、結局、資本というのは「うろんなる存在」であるわけです。その目減りにあくせくすることの不毛さ。愚かさ。
最近、マーケティングやマネージメントの世界ではバーター(物物交換)が見直されているそうですが、生産物と生産物とのあいだに紙幣という「うろんなる代替品」をはさむことによって、自分の「ライフ」(生。生き方)を見失っているのが、現代人間社会の悲哀です。大事なものは生産物であるはずなのに代替品を集めて喜んでいる。
このことは、ぼくが言い出すまでもなく、カール・マルクスが『資本論』の中ですでに言ってます。「疎外」という言葉を用いて警告してます。農業、林業、漁業といった自然界に働きかけて生産物を取得して生きていた時代では、自分のライフが明確に見えていたわけです。一粒の稲。それを作り、育てて、食べて、生きる。自分のライフは自分の手で作り上げている。ところが自然界と共存して生産物を作るのではなく、その中間マージンのみを搾取するような職業が生まれてくると、自分の人生というのは生産物、土地、自然というものから、どうしても離れてしまう。帳簿をみて、それに文字や数字を書き込んで、それで資本という「紙きれ」を頂く。こんなことを続けていては、自分がなにをしているのか、さっぱりわからなくなってしまう。太古の時代から続く自然のサイクルから我々のライフが「疎外」されてしまっている。
マルクスだとか『資本論』だとかいうと色々、誤解されそうですがww ぼくは共産主義者やありません。ただ、資本に支配されていると自分のライフを見失うことには危機意識を覚えています。どうすれば、自分のライフを、自分のものに出来るのか?これはぼく自身が生きていく上での1つの命題です。
EUは破綻しそうで、アメリカも中国も危ない。世界の銀行、証券会社がどんどん潰れていって、日本の株価もどんどん下がる。路頭に迷う人も大勢出てくるでしょう。自殺する人だっているかも知れない。しかしこれは政治や経済や体制や時代が悪いのではなく、自分のライフを生きていないと、人は誰でもそういう状況下に陥るということです。
いわば人間存在の有り様を問いただす哲学の問題。われわれは資本に隷属しない生き方を見つけないといけません。
フグいうたら、扱いは最新の注意が必要。血管や肝に毒があるそうで、1本1本ピンセットで抜くそうですな。細かい神経の人間がやらなあかんのです。「ずぼら(づぼら)」な奴では困る。「ずぼら」いうんは大阪弁で「不精をする」「なまけもの」「面倒臭がり」みたいな意味です。「あんた、そないずぼらしたらあかんで」なんて具合に使いますが、そういう人間はフグの調理にはいっちゃん向いてない。しかし大阪ではそれがフグ屋の店名になってる。曰く「づぼらや」。フグ屋やのに「づぼら」いうたら「毒残ってまっせ。知りませんで」というようなもん。しかし安い。美味い。大阪の船場の旦那衆は「おもろい店や」いうんで通って、流行りました。 まさしく「大阪商法」ですな。
http://www.zuboraya.co.jp/
古代、湧水所や滝場所が、聖なるもの、聖地として崇められて、やがて神社仏閣が置かれて崇められる…というのは往々にしてあります。大阪でいえば亀の井と四天王寺、露の井と露天神(お初天神)、玉造稲荷と利休井、玉出の滝のある清水寺などは代表的なものでしょう。古代人にとって清浄な水は命そのものですから。
また湧水や滝は天変地異の予測装置にもなります。急に理由もなく湧水や滝の水量が増えたり減ったりすると、それは地下で起こった、なにかしらの地殻変動が影響していたりするわけです。それによって、これは近く地震が起こるぞ、といった予測が可能になる。実際に阪神淡路大震災の前に、大阪の上町台地界隈の井戸が、急に水量が増えて、井戸から水が溢れ出てくる…という奇妙な現象が起こっていたとか。
こういう古代人の、自然を崇める、自然に寄り添う知恵を、現代人は忘れがちですが、意外にも大阪のまち歩きで、そういう知恵を発見したりします。大阪は古い土地柄ですから、そういうことが往々にしてあるんですな。 とくに上町台地上に多い。スピリチュアルなことをちょっというと、ここは「龍脈」というのが通ってんですわww
これだけ都市化された大阪のまちなかでも丁寧に歩いてみると、密かに息づいている古代人の敬虔な信仰を体感することができる。大阪のまち歩きの、ひとつの面白み、醍醐味、喜びです。
画像は有栖山清水寺の玉出の滝。大阪市内唯一の天然の滝です。
「大阪に 着きてはじめて 見し空を 元禄の世の 空とおもひぬ」・・・東京出身の歌人・吉井勇は、かつて大阪の空をこう歌った。
大坂の陣によって豊臣家が滅亡すると、大坂は商都として繁栄をはじめた。淀屋、住友、鴻池といった財閥が成長し、天下の富の七割を占めたという船場、天下一の花町・新町、世界初の先物市場の堂島、芝居街の道頓堀といった百花繚乱のまちを作り上げ、そうしたまちを舞台に「浮世草紙」の井原西鶴や「心中物」の近松門左衛門が登場してくる。京の天皇・江戸の将軍といった権威権力を仰がない大坂の町衆は、自由闊達なプラグマティズムで元禄の世を謳歌した。『好色一代男』の世之介のように、『曽根崎心中』のお初のように、人間がもっとも人間らしく生きようとした元禄こそは、京や江戸にはない大坂の都市文化で、だからでこそ吉井勇はその憧憬を隠さなかった。
この「町衆のまち」という遺伝子は、現代大阪にも色濃く息づいている。大阪のまちを丁寧に歩けば、そこかしこに元禄の匂いや色、雰囲気を感じ取ることができる。元禄的性格の大阪人が精一杯、生きている。高速道路とコンビニとファミレスとファーストフードによって非人間化していく日本の都市の中で、これほど貴重な都市体感はなく、大阪のまちを歩くことは、この「人間らしさ」との邂逅に他ならない。
大坂人は鯛を好みました。「めでたい」の鯛。大坂ではかつて節分から数えて八十八夜までを俗に「魚島」といいました。春先になると瀬戸内には鯛が大量に現れて島のように見えたからで、この時期の鯛は豊漁で値段も安く、味も最高に素晴らしいので大坂商人たちは、常日頃、お世話になった得意先などに鯛を贈ったそうです。
対して、江戸は鰹です。鰹は「勝つ」に通じるので、武家社会に好まれた。また春先になると将軍様は「初鰹」を食べる習慣があって、江戸っ子は権威主義ですから将軍が食べている初鰹をなんとかして入手しようと躍起になりました。文化9年(1812)3月25日に魚河岸に入荷した初鰹の数は17本で、うち6本が将軍家。3本は高級料亭・八百善が2両1分で買い、そのうち1本は歌舞伎役者の中村歌右衛門が3両で買って大部屋役者にふるまった…なんて記録も残ってます。当時の下男、下女の1年間の給金が1両2分ぐらいで、どれだけ法外の値段やいうのがようわかりますな。いまのお金に換算すれば1本500万円とか600万円ほどです。「女房を質に入れても食べたい初鰹」という江戸川柳はこういう時代背景から生まれてます。
ちなみに鰹は回遊性の魚で太平洋をグルグル泳いでるんですが、本当は春よりも秋のほうが美味しいんです。「戻り鰹」というやつで海水温が低い影響で脂がのってるんですな。春の初鰹よりも安くて美味しい戻り鰹を好んだのが実は大坂人です。浪花っ子は将軍家が食べるからといって、まずくて高い初鰹を必死になって買いあさる江戸っ子を「江戸馬鹿」といって嘲ったとか。
大坂と江戸の都市の性格、文化特性の違いですな。実を取る大坂。名を取る江戸。
太平洋戦争前夜。アメリカと戦争をするかどうか?という御前会議での話。
総理大臣兼陸軍大将の東條英機があまりにも勇ましいので、当時の海軍大将の嶋田繁太郎は「いまの海軍の鉄量ではとてもじゃないがアメリカとは戦争なんてできない!」と抗弁しました。すると東条は「では陸軍の鉄の分を半分回せばいいのか?」。ここで嶋田は躊躇しました。もしここで「それでもできない」といえば東条のことだから「では海軍に鉄を使わせるのは無駄である!膠着している中国戦線を打破するために、すべての鉄を陸軍に回す!」と言い出しかねない・・・。
多少、鉄の配給が増えたくらいで、アメリカに勝てるわけがないということは、嶋田には当然の如くに判っていたんですが、海軍大将として「陸軍に負けてなるものか」という海軍の面子、組織利益が最優先してしまい、それが結果として陸軍は大陸で、海軍は太平洋で・・・という二面戦争を展開することになりました。自分たちの省益のみを考えて、国家を蔑ろにして無謀な戦争を拡大し続けて、ついには亡国に至る。「官僚が暴走すると、国は滅びる」という典型的な一例です。
「官僚は自分が所属する省庁の利益だけを追い求め、国全体のバランスを考えない」「省益のためなら国益すら軽んじる」…これ、別に太平洋戦争の話に留まりません。戦後日本もまったく同じことでした。「道路を作らないと!」「ダムを作れ!」「空港がいるぞ!」「新幹線だ!」「コメを守れ!」「労働者保護だ!」「医療保険だ!」「中小企業第一!」「大企業優遇!」と、各省庁が各省庁の論理で国家予算のブンどりに躍起になった結果、国家予算の総額では到底足りなくなって、国債を発行して、発行して、発行して、いまや空前絶後の、未曾有の国債発行総額1000兆円越えです。
ほんまはこういう事態に陥ったときは、国民から選ばれた政治家が「金が足らんのや!ええ加減にせえ!」とブレーキ役を担わないといけないんですが、官僚に取り込まれて「族議員化」してしまい、一緒になって「金を出せ!国債を発行しろ!」と旗降ってたんだから、いかんともしがたいです。官僚の手先になるんだったら政治家の存在意義なんかあらへんがな。
なにはともあれ「近代日本の病理=官僚統制国家体制」は、戦前も戦後も、じつはまったく変わっていないということです。1945年の広島、長崎の悲劇は、日本の戦前の軍事官僚の暴走が招いた結果でしたが、ぼくは、2011年の福島の悲劇だって、日本の戦後の経済官僚の暴走が招いた結果というように感じています。
今日は12月8日。真珠湾攻撃の日。
http://ja.wikipedia.org/wiki/真珠湾攻撃
われわれは、あの戦争から、なにを学んだのか?なにを学ばなければいけないのか?もう一度、ちゃんと、改めて、マジメに、誠実に、向き合わなければいけません。
神戸のモトコー(元町高架通商店街)にいくたびに思うのは「なんて大阪的カオスに満ち溢れた商店街なんや。ステキ!」ということ。いや、正確には、これは「摂津的カオス」なんでしょうけども。
大阪府は明治政府によって作られました。律令国の摂津国、河内国、和泉国の三国によって形成された。このうち摂津国はじつは堺港から住吉、大阪、西宮、神戸、兵庫港までを含む大大国でして。それを明治政府は大阪府と兵庫県にムリヤリ分断しました。もちろん摂津国があまりに巨大で、その財力、権力、国力を恐れたからですな。
よく県民性なんてのが話題になりますが、こんなのは嘘っぱちで。都道府県は、たかだか150年ほどの歴史しか有してません。それ以前、律令制による国郡制度は、645年の大化の改新から1868年の明治維新まで、約1200年以上に渡って、地域、地方の住民、庶民に影響を及ぼしました。風土が人間を形作りますから、この影響は非常に大きい。(あと江戸時代270年間の日本全国300藩の歴史と文化というのもあって、この諸藩の性格というのも、これまた影響大です)
ぼくは大阪と神戸は、同じ風土、原風景をバックボーンにした双子都市だと思ってまして、そういう相似性、近似値を見つけるたびに興味関心を覚えるわけです。「大阪都構想」なんていいますが、これは明治維新が作った行政デザインの枠組みの中で、こちょこちょと境界線をいじるだけの話。なにも可能性を感じない。ぼくは「大摂津文化圏の復活」(大阪+神戸)の方が、よっぽど可能性を感じますし、自然に思いますな。少なくとも歴史性、物語性、文化性が連続している。
ちなみに摂津とはなにか?これは津(港)に摂した場所。要するに「港町」という意味です。大阪と神戸は港町。港というのは、異国人や、流れ者や、わけわからんもんがやってくるところです。多様性(ダイバーシティ・マネージメント)を許容する風土。こういうのは海がない盆地都市の平城(奈良)や山背(京都)にはなかなか見られません。盆地はやはり、どこか閉鎖的ですから。ひとつの文化を純粋培養するには非常に適したところですが。文化の多様性を許容する港(大阪と神戸)と文化の純粋性を育む盆地(奈良と京都)。畿内の風土の違い。その面白さ。
http://www.motoko2.com/
人間存在は口から排出器官にかけて一本の穴が貫通していて、じつは構造的には竹輪やドーナツと同じ仲間です。これは「空間的なトポロジー」(位相幾何学)の話。もうひとつ。時間的には人間存在は母の子宮から、へその緒を介して、娘の子宮へと至って生命を連続させていく。これは「時間的なトポロジー」といえます。人間存在は、この2つの空間的なトポロジーと時間的なトポロジーによって規定されている。位相幾何学的には人間存在とは女性性の連続であり、男というのは貨幣や言語といった交換媒体的な、代替物的な、ファルス的な、胡乱なる存在ということです。トホホ・・・。