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降りていく都市・大阪

2014 年 12 月 18 日

大阪で「笑い」をとるにはどうすればいいか?自分の失敗エピソードを話すことです。「このあいだこんなことあってなぁ・・・」というのは決して自慢話、成功話であってはいけない(そんな奴は嫌われますw)。失敗話をする。小さい失敗でええんです。それをうけて相手側は「おまえ、アホやなぁ!そういえば、おれ、このあいだなぁ・・・」といって「返し」は「さらに酷い失敗話」をする。ここが肝要です。決して、相手の失敗をあげつらったり、糾弾したりしてはいけない。こうやって「小失敗」「中失敗」「大失敗」「特大失敗」「超絶大失敗」を交互にいいあうのが、大阪的コミュニケーションの基本形です。

大阪ってのは商売のまちですから。商売の基本というのは、信用です。信用を得るにはどうすればいいのか?それは「お互い、腹を割る」ということです。腹を割って話をする。「おれはこんなこともできる!あんなこともできる!」と大きなことをいう人ほど、危ない。いざという時に飛んでいったりする。できることはできるといい、できないことはできないという。自分を取り繕うことはしない。武士のまち・江戸やと「腹を割る」なんてことはできません。「武士は食わねど高楊枝」でなければいけない。つらいですな。大阪やと「腹を割ったもん勝ち」です。大阪人は「自分の弱さをさらけだす」という文化土壌があるということです。こんなまちは、あまり、他にない。なぜか?その答えは、歴史的に大阪というのは「敗北都市」であるからや・・・と、ぼくは思ってるんですな。

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大阪人は社交として「笑い」を用います。それは大阪が「敗北都市」として実に長い歴史を有するからです。記紀神話の時代からこの土地は連綿と敗北者が連なるまちで、長脛彦、河内王朝、物部氏、聖徳太子、孝徳天皇、菅原道真、楠正成、大坂本願寺、豊臣家、豪商淀屋、大塩平八郎、大村益次郎などなど・・・皆、大阪の地で敗北し、「浪華のことは夢のまた夢」(秀吉の辞世)の生涯を送りました。権力を産みだしますが、短命で、一代限りで潰えるのが大阪という土地の宿命のようです。自然、大阪の人々は「判官贔屓」で、敗北者に優しい。人生の価値を「勝ち負け」に置きません。そういった「勝ち負け」に拘らない「笑い」というものに価値判断基準を置く。「笑い」は権力者を笑いますが、また障害者をも笑い飛ばします。「笑い」は人生の四苦八苦を横滑りさせて、陽転させようとする実に大人のテクニックなのです。そして「この大阪人的逆転の発想転換が当事者研究にもある」というのが、ぼくなりの当事者研究理解でした。

■『当事者研究スゴロクについて』 陸奥賢
(應典院「仏教と当事者研究」資料より転載)
http://wp.me/pxlkK-Ms

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自分で自分の文章を引用しましたがw つまり、上記のような歴史的経緯から、大阪は「弱さ」「敗北者」に対して寛容なんですな。「自分の弱さを、みんなでシェアしあって生きやすくする」(当事者研究)という知恵は、じつは大阪人の十八番です。「当事者研究スゴロク」が大阪で生まれたのは、その証左であるし、これは大阪的風土の可能性といえる。

「降りていく生き方」「降りていく社会」を知りたいなら、大阪にきたらええってことですわ。釜ヶ崎なんかは「降りていく人生の先輩・名人・達人」揃いでっせww


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