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「わかりあう会話」ではなく「わかりあえない対話」を。

2015 年 1 月 10 日

「会話」は「話を会わす」わけです。合意形成がなされる。「対話」は基本的には合意形成とはならない。対照的、対立的、対抗的、対峙的な話し合いですから。だからモヤモヤする。イライラする。なんで?って疑問が産まれてくる。

要するに「会話」からは「答え」が産まれ、「対話」からは「問い」が産まれる。

民主主義は会話ではなくて、対話を尊重しなければならない。なかなか歩み寄れない。答えがでない。しかし、だから、何度でも対話を積み重ねる。容易に、スマートに、合意形成しない。できない。ところが「そんなもんまどろっこしいわい!」という人間たちが会話に走る。しかし政治が会話的手法でやられると危ない。それは談合であり、利権であり、やがて全体主義となる。

「話しあうことは大事」とよくいいますが、この会話と対話の違いは重要で。大体、みんな、会話をしようとしている。そして、その目的は結局のところ、自分を正義というか、正統化することなんですな。中には相手の話を聞かないどころか、ウソでもハッタリでもいいから、兎に角、相手を力技でもねじ伏せて黙らせて合意形成(自分の意見を飲ませる)に持ち込もうとする人間なんてのもいる。例としてあげるならば、どっかの某H市長なんかは判り易くて、彼は会話の天才なんでしょうなw しかしあんまり対話を尊重するようには思えません。ビジネス狂時代ですからな。ビジネス的思考が蔓延し、どんどん結論を急ぎ、短絡的で破滅的なまでにスピードを求める世の中になってきている。だから彼のような政治家に人気も集まる。

「わかりあう会話」ではなく、容易に合意形成しない、「わかりあえない対話」を。ゆっくり、じっくり、焦らず、ぼちぼち、やりまひょ。


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