大阪的コミュニケーション術
「当事者研究スゴロクってなんですか?」…大体、当事者研究スゴロクのコマをFacebookにあげると、毎回、質問されるんですがw
これ、簡単に、ひとことでいうと「大阪的コミュニケーション術」です。
大阪で友達を作るにはどうすればええか?カンタンです。「この前、こんなことあってん…」と「自分の失敗談」をいうんがベターなんですな。そして相手はそれを受けて「お前、アホやなあ!おれなんかなぁ…」といって「さらに酷い失敗談」を出す!これが礼儀です!ここ、大事!テストでるから!
ここで「え?まぢドン引きなんですけど」とか「こわっ」とか「ないわー」とか、冷静に、冷たい眼で、クールに、小声で、失敗談を批評され、切り捨てされるのが、いっちゃん大阪人にはキツイ。耐えられへん。というか、一生、友達になれん!それぐらいの心の距離を感じます。
そうやって「相手の失敗」に「自分の失敗」で打ち消すことで、対等の立場になろうとして、互いの中に産まれるヒエラルキーを無くし、仲良くなるのが、大阪的コミュニケーション術の本道。マイナス(失敗談)にマイナス(失敗談)をかけることで「笑いというプラス」に変えて、仲良くなっていく。
「お前は失敗した!マイナス1点。おれはマイナスしてないから、お前より上な。おい。牛乳買ってこい」みたいな失点主義な社会(武士社会とか会社人間とか官僚組織とかは、基本的にそういう構造してます)は、ギスギスするし、イヤになるし、まず何よりも人間が陰険になりますわ。嫉妬社会。ああ。いやらしい。気持ち悪い。
大阪は「負けるが勝ち」やないですが「負け」をスタンダードにしながら社交していく。グリコの「おまけ」は「お負け」で、これは大阪弁でして。大阪人は「負けること」に「お(御)」と美称をつけて褒め称えるw それぐらい「負け」に親しい。慣れている。これ、社交術としては、かなり高度なテクニックです。
では、大阪的コミュニケーション術の、その最大のメリットは一体、なにか?なによりも「優しい社会」になるんですな。人間のダメさ、アカンとこ、弱さ、罪、悪、ビョーキ、愚かさ、貧しさ。汚らしさ。それらを許容していく。大阪的キャパシティの広さ。深さ。大きさ。せやから、大阪はヘンな人が多い。ぼくを含めてww ぼくなんかは大阪やないと、反社会分子すぎて抹殺されてますよ。いや、ほんまに。
「幸いなるかな。心の貧しき者。天国は汝らのものなり」(『新約聖書』)
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)
これらの言葉は、宗教的逆説というやつですが、しかし、大阪人には、これらの言葉の中に内包される「救済の真実性」が嗅覚としてわかる。ダメな人間こそ、愛す。そう。だから、大阪こそは神の国や阿弥陀浄土に最も近い都市といえる。(ほんまか?)
ダメな人は、大阪にきたらええ思いまっせ。よりダメダメになりますがww しかし安心を得る。救われる。生きていける。