【シェア大歓迎!】コモンズ・デザイン(贈与の社会実験)はドネーション(寄付)でしかマネタイズできないようです。オープンソース、オープンフリーのウィキペディアもたまに「寄付のお願い」がでますが、贈与⇔寄付のシステムでしか活動を維持できないのでしょう。
まわしよみ新聞の公式サイトに「まわしよみ新聞サポーター」のページを作りました。ご寄付頂いた方のお名前を記しています。
http://www.mawashiyomishinbun.info/supporter/
3度目の緊急事態宣言もあり、昨日、シンカブル(寄付サイト)やPayPayでのご寄付を呼びかけましたが、わずか1日で16名の方から15万8396円のご寄付が集まりました。本当にありがとうございます!( ;∀;)
https://syncable.biz/campaign/1647
シンカブルでの寄付の目標支援金額は「1円」にしています。だから、これは、もう達成しましたw ご寄付の金額は「1円」でも構いません。シンカブルは設定上、500円以上の寄付になるようですが、PayPayでは、1円でも送金、可能です。1円でもご寄付頂いたら、まわしよみ新聞サポーターとして、お名前を記させていただきます。※PayPay ID「mutsusatoshi」で検索してご寄付可能です。
まわしよみ新聞、コモンズ・デザインという方法論、スタイルの協力者、支援者、支持者を「見える化」「可視化」したいなぁという思いがあります。そうすることで、コモンズ・デザインは、それなりに活動資金が調達できるとなれば、「第2、第3のコモンズ・デザイナー」「新手の社会実験者」が出てくるかも知れません。
何卒、よろしくお願いします。
実はこっそり観に行っていたりする(なんせ仕事がキャンセルだらけ涙)『ノマドランド』
アカデミーの作品賞、監督賞の受賞は正直、驚いた。
主人公の家の裏の砂漠。あれが現代アメリカ人の心象風景なのかもしれない。ロードムービーと紹介されているが、これは「旅」なんてものではない。もっと淡い。漂泊。浮瀬。逍遙。あだしが原の道の霜。
緊急事態宣言の影響で仕事のキャンセル続く。ゴールデンウィークは稼ぎ時なわけで。この怒りを何処にぶつければいいのか。Twitter一揆ではなくてファミコンの「いっき」がやりたい。#おもしろおかしい時代劇ゲーム
日本万国博覧会公式ガイドを入手しました。
大阪万博の開催、モータリゼーションの影響で大阪は市電を廃止し、長堀川、西横堀川を埋め立てて四ツ橋を破壊し、水都を終わらせた。特に四ツ橋が残っておれば水都大阪の一大シンボルになっていたのに…と毎回、四ツ橋界隈をまち歩きするたびに無念に思っております。
同じことは船場を歩くたびに「御堂筋の拡張がなければ…」と思たりもするんですが。「大阪大空襲がなければ…」とかw
五輪や万博といった国家主導の超大型イベントは都市を大改造する。その大改造が一概に正しい、正解、都市の繁栄に繋がるとは限らない。
実際に大阪万博以降、大阪は「イベント体質」「国家依存」「政商化」が進み、大阪企業の東京移転が増え、経済的に没落していったのではないか?国家に隷属する、東京資本による大阪占領…という一面も大阪万博にあるのではないか?大阪万博の負の遺産。それも考えなくてはいけない。
1978年生まれの僕は「万博体験」してない。だから「万博幻想」もありまへん。
金夜オンライントーク全八夜。死生観光トランプも取り上げます。参加者募集中!浄土真宗若手僧侶グループワカゾーさんからのご依頼で産まれたのが死生観光トランプ。そもそも「死生観光」というのは僕の造語で、これには大阪七墓巡り復活プロジェクトが関係してます。僕の経験上、プロジェクトが次のプロジェクトに繋がる…というパターンは、良い流れです。「問い」が更新されることで、そういう流れになる。
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■金夜オンライントーク(全8回)陸奥賢さんの活動を聞いてみよう!⑥8/6(金)22時より「死生観光トランプとは?」
https://www.facebook.com/events/296344872076959/
大阪まち歩き大学。大阪城公園は、戦前は第四司令本部や砲兵工廠などがあり、西日本最大の陸軍基地であった。
かつては戦争の記憶が生々しくあり、「大阪城には行きたくない」という人が大勢いたとか。それが「太閤秀吉の大阪城イメージ」に塗り替えられるのは1983年の「大阪城築城400年祭」辺りから。大阪ビジネスパークの開発などもそれを後押しした。
「天下人」といった秀吉の「美名」で、戦争記憶を無くそうとしたというのが戦後大阪城のイメージ戦略。そのイメージ戦略は成功し、最近は「城テラス」「ミライザ」「御座船」なんていって海外の観光客も多かった(コロナでいない。だから過去形)。
本当に伝えるべき歴史は「帝國陸軍時代の大阪城」やと思いますな。画像は「大阪国防館跡」。隣に「真心碑」があり、これは女子防空通信隊のみなさんが建立した。
戦争末期は男性が少なく、10代後半〜20代前後の女性が通信隊として活動した。西日本各地からB29来襲の第一報が入ると大阪市内には僅か9分で到達した。この9分以内に敵機の種類、方角、数などの情報を整理して陸軍司令本部に送る。空襲警報の発令もここから。タイムラグもあるので、防空通信隊は5分以内にそれらの仕事をこなす必要があった。
大阪国防館は、こうした女子防空通信隊の宿舎だったが、大阪空襲により壊滅。いまは碑だけが残る。