大阪府立農学校跡と宮澤賢治
2021 年 4 月 6 日
生野区民センター前にある大阪府立農学校跡。近代農業の最先端を学ぶ施設であった。これが出来たことが猪飼野、生野区発展のキッカケ。
この農学校がのちに堺・大仙に移転して、戦後は大阪府立大学となる。府大は、だから伝統的に農学部が強い。いまは農学からバイオサイエンスや生命環境となっているが。
大阪市立大学は大阪商業講習所が源流なので、商学系が強くて、だから市大と府大は性格、性質、方向性がまるで違う。合体して大阪公立大学とやらになるそうですが、持ち味が反目しあって、共倒れするんやないか?という気がしてなりませんな。よくある話やけどもw
この大阪府立農学校には、実は、あの宮沢賢治が若き頃に訪れている。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)の修学旅行で訪問したが、農学校はなぜか休校中(訪問する前に確認しーやw)で中の視察はできず、近隣の養鶏場を見学して帰ったとか。賢治は大阪府立農学校の周りをグルグルして、学校の近代的設備の素晴らしさを羨ましがっていたとか。
やがて人類は人工太陽すら創造し、人工降雨を実現させ、年がら年中、田畑は潤い、飢えや貧困がなくなり、この世はイーハトーブ(理想郷)となる…という近代ロマンの夢に邁進した法華主義者こそが宮沢賢治。
その夢の始源を、この当時最先端の大阪府立農学校に見たのかもしれない。
カテゴリー: 雑感