話をあわせるのが会話。対になるのが対話。まわしよみ新聞は会話でも対話でもなくて「共話」的な場なんやと思ってます。
話をあわせるのが会話。対になるのが対話。まわしよみ新聞は会話でも対話でもなくて「共話」的な場なんやと思ってます。
新聞から興味関心を覚えた記事を順番に提示していく。Aさんが最初に提示した記事、次にBさんが提示した記事、その次にCさんが提示した記事…それぞれの記事は「なんの関連性もない」ことが多い。話はいろいろと出てきますが、基本、話の中身は深掘りされないし、ただただ次から次へと「前の記事と何の関連性もない記事」が提示され、話がスライドして横滑りしていく。
世の中にいろんなトークの方法論、ワークショップはありましたが「ところでまったく話は変わりますが…」という場が延々と続く、まわしよみ新聞のような「共話のロールモデル」はあんまりなかったんですな。なんでまわしよみ新聞がこれだけ世の中で受けているのか?ってのは、こういう「共話」的な妙味が新しかったんやないか?と。肯定(会話)でも否定(対話)でもなくて話を「棚上げ」していく場(共話)です。
それで、ただ話を棚上げしていくだけでは場が突散らかる一方なんですが、その場を最後にひとつに纏めるのが「みんなで一緒に壁新聞を作る」という「共同体験」なんですな。要するに「言葉」で場を納めるのではなくて、最後は「ものづくり」という「体感」で場を納める。「記事のレイアウトはどうしようか?」とか「これはどこに貼ろうかな?」と一緒に考える(目的を作る)ことで、一気に場が納められるし、みんなが仲良くなるんですな。
共話+共同体験。まわしよみ新聞がやたらウケているカラクリは、おそらく、この辺にあるんやろな?と思います。2年半近くやってきて、ようやくこのカラクリを言葉にできるようになりました。長かった…。
画像は甘夏ハウスさんにて。「新聞作り=共同体験」してるところw