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大阪の民(共)の精神は?

2015 年 5 月 18 日

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「公共」とひとくくりにして言ってしまうが、本来、「公」(パブリック)と「共」(コモンズ)はちゃうんですな。公の主体は「官」であり、共の主体は「民」。

江戸時代は「士農工商」の絶対封建社会。商人=町衆は、いちばんの最下級の人間やった。まちを歩いていて前から武士が来る。町衆が刀に触れてしまうと、その場で「切捨御免」されても文句はいえなかった(江戸初期は特に。江戸中期になると、町人階級が力を持ってきて、そうした事情も変わってきますが)。

19世紀の江戸の人口は100万人。そのうち半分の50万人は武士。まさに「官のまち」といえる。対して大坂は30万都市。しかし9割以上が商人=町衆やった。「最下級の人間」「民草」が集まって作られたまちが大坂。要するに大坂には官がいなくて民しかいなかった。「公」やのうて「共」のまちやった。

江戸時代の大坂の「共」「民」の強さは町人たちが町を治めるために定めた「町式目(町会式目)」の条目数でわかります。江戸は50項目ほど。京都や奈良は200項目ほど。大坂の町式目の条目数は500項目もあって、江戸の10倍以上、京都や奈良の2倍以上あった。日本でいっちゃん自治意識が髙い都市が大坂やった。

面白いのが大坂には「軒親」(のきおや)なんて制度があったこと。朝、起きると、家の前(軒の下)に「捨て子」があった。こういう場合、どうすればいいか?現在なら役所(行政=官)に連絡しますな。江戸時代の大坂はちゃいます。捨てられていた家が捨て子の養育費の50パーセントを負担する。隣の家がそれぞれ20パーセントを負担し、向いの家が10パーセントを負担して、みんなで「軒親」となる。大体、その子を5歳ぐらいまで育てて、あとは丁稚奉公で商家にやってしまう。※画像は「軒親」の図。ヘタですんまへんw

捨て子というのも、だから貧しい家の前には置きまへん。天王寺屋、加島屋、加賀屋、住友、鴻池といった大坂を代表する大豪商の軒の前に捨てる。貧しいとかいろんな事情で、自分らでは子供を育てられないとなったら、そういうセーフティネットが当然のように機能していた。

大坂名物の「くいだおれ」というのも「共」の精神の発露です。大坂は水の都。橋も多い。浪華八百八橋。橋の建設費や維持管理費を負担したのも町人たち。幕府や藩が作った橋は「公儀橋」というが、大坂は「町橋」だらけ。橋はしかし津波や大雨や高潮で流される。朽ちていく。「杭」を何度も何度も作り直す。その費用が嵩む。「杭倒れ」しそうになるぐらいまちのために力を尽くす。これが大坂の町人の名物で誇りだった。

明治維新によって近代国民国家が作られ、あらゆる日本の都市は官主導となります。「地租改正」(入会山を官地か私地に編入する)や「村斬り」(違う共同体を合併したり分割したりする)などによって民(共)のシステムやルールを崩壊していく。それでも大阪は、まだかすかに民(共)の精神が残っているほうやと思ってますが・・・。また現在「公共」というとき、そこに「共」はありまへん。「共」は「公」に侵犯され、奴隷と化している。

「共」が「公」の奴隷になっている判り易い事例は日本のNPO法人。NPOは共的な組織といえます。しかし大部分のNPO法人が官(行政)の助成金、補助金に頼っている。税金が官(行政)を経由してから民(NPO法人)に渡るので、いつまでたってもはNPO法人は官の奴隷か下請けのような状態にある。官(公)は年々、メタボ化し、民(共)は先細る。「認定NPO法人制度」ができましたが、もっと民(共)を育てる仕組みが欲しい。※クラウドファンディングなんかにはちょっと期待してますが・・・。

今回の大阪都構想の住民投票の結果で、大阪の民(共)の精神は?と、それが気になってます。近代国民国家が産まれて150年。いろんな意味で官(行政)は制度疲労してます。「自分たちのまちのことは、自分たちでやろう」「自分たちでやるしかない」という自治精神が芽生えたら、それがいちばん長い眼で見て、ええことちゃうか?と思ってます。


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