いくたまさん
いくたまさん。崖縁占(がけっぷち占い。ほんまに上町台地のがけっぷちにありますw)。應典院。西鶴。織田作之助。米澤彦八。産湯稲荷。比賣許曾神社。おたぬきさま。桃山跡。中馬馨大阪市長と左藤義詮大阪府知事とヤクザの小緑組組長の石川彌太郎の玉垣が仲良く並ぶ。時代やなあ。大阪モダン寺。感應寺。成田山修験大教会上総寺の末寺。
いくたまさん。崖縁占(がけっぷち占い。ほんまに上町台地のがけっぷちにありますw)。應典院。西鶴。織田作之助。米澤彦八。産湯稲荷。比賣許曾神社。おたぬきさま。桃山跡。中馬馨大阪市長と左藤義詮大阪府知事とヤクザの小緑組組長の石川彌太郎の玉垣が仲良く並ぶ。時代やなあ。大阪モダン寺。感應寺。成田山修験大教会上総寺の末寺。
應典院にてお寺ミーティング「宿坊は寺院を救えるか?」。秋田住職と宿坊研究会の堀内さんとトーク。
堀内さんからお聞きした、成功している宿坊は、代替不可能な「自分だけに用意された物語」が感じられる場所やないかな?という気がしましたな。そして、その物語の核となるのは、シチュエーション(半径5キロに人がいない宿坊)やシステム(1日1人しか宿泊を受け付けない宿坊)もありますが、やはり「僧侶」というヒューマンウェアに寄るところが大きいんやないか?とも。いっぺんいかなわかりませんな。これは。しかし。宿坊に。泊まらなわからん。
また下寺町和空は、当然の如く下寺町にあるわけで。下寺町は聖と俗の境目にあるのがオモロイんですな。聖の上町台地やなくて、俗のミナミでもなくて、そのあいだに位置する。聖俗が、陰陽が、生死が、日常と非日常が入り混じり、交錯する稀有な空間。高野山や比叡山のような宗教的に純化された静謐なる山上伽藍やのうて、都市の喧騒の、カオスモスの辺縁にある。だからでこその「場の力」があるように思うんですな。
僧侶というヒューマンウェアと、下寺町というシチュエーションと、和空というシステムが重なって、人生を揺さぶるような観光体験…仏教との逢着が産まれることを期待してます。
※画像はトークのあとの反省会というかぶっちゃけの会。清濁アルコール合わせ飲むのが下寺町應典院ですww
2011年3月11日は、ぼくは大阪商工会議所で記者会見をしていました。「大阪あそ歩’2011春」と、ついに完成した『大阪あそ歩まち歩きマップ集1~3』の発表やったんですな。2年半ほどかけて文字通り全身全霊、魂を込めてやってきた仕事がついに完成した日。
https://www.osaka-asobo.jp/common/maplist
大阪あそ歩は、やっぱ、ぼくの人生の中でもひとつの金字塔で。我ながらようやったなと今でも思うし(できなかったこともいっぱいあるんですが・・・)、100年後に『まわしよみ新聞のすゝめ』はなくなっても『大阪あそ歩まち歩きマップ集』は貴重な大阪の郷土資料として残るやろうと思ってます。「平成の浪速百景を作りたい!」とぼくは思ったし、『大阪あそ歩まち歩きマップ集』はその役割を果たしてくれると思ってます。
「大阪あそ歩完成」の記者会見は、ある意味、ぼくの人生の最も輝かしいハイライトで。ところが、その瞬間に起こったのが東日本大震災。自分の仕事がついに完成したと思ったら、そんな仕事なんか吹き飛ぶような歴史的な天災・人災が起こってしまった。笑い話やないですが、記者会見中に緊急電話がかかってきて記者さんがみんな外に出ていくんです。最初は10名ぐらいプレスいたのに、最後は2人ぐらいしかいなかったw
当時のぼくは大阪あそ歩の、大阪市の観光プロデューサーとして、あらゆる大阪の「まち」を歩きまくって、まちの発生・発祥、まちが出来上がっていくプロセス、その変遷などを、それなりに知っている、多少はわかっているという自負がありましたが、東日本大震災と福島原発事故はちょっと想定外でした。とくに放射能汚染によって「まちはそのまま残っているが、ひとがひとりもいないまち」なんてのは、まるで怪談かホラーのような現象で・・・日本の歴史上、かつて、一度も、そんなまちはなかった。「なぜ、そんなまちができたのか?」・・・「まち歩き」をずっとやってきた人間として、こうした「歩けないまち」の現出は深く考えさせられました。
その結果、ぼくの中で生まれてきたプロジェクトが「大阪七墓巡り復活プロジェクト」です。
https://www.facebook.com/osaka7haka/
一旦、メルトダウンを起こすとアンダーコントロールなんて不可能になる危険な原発を、なぜ、まちに誘致するのか?それは儲かるから。結局のところ、生きている人たちの経済的理由なんですな。しかし「まち」というのは過去の死者から受け継がれ、将来やってくる未来者(=未だ来たらざる者)に手渡していくものであって、現在、生きている人たちだけで勝手に専横していいものではない・・・という思いから、このプロジェクトは動いてます。
つまり、過去の死者たちの祭礼(大阪七墓巡り)を掘り起こして、復活させて、未来者に伝えていく大阪七墓巡り復活プロジェクトをやっていれば、「まちは一体、だれのものか?」ということを、自然と教えてくれるやろうと。そのぼくの考え、想いが伝わっているかどうかはわかりませんが、大阪七墓巡り復活プロジェクト自身は、どんどんと認知は広がっていってます。そのうち、ぼく以外の「巡礼者」が出てくることも大いに期待してます。
また東日本大震災の情報、報道、マスメディアの在り方について疑問を持って、一体、なにを信じていいのかわからん・・・となった時に思いついたのが「まわしよみ新聞」だったりします。
http://www.mawashiyomishinbun.info/
ぼくひとりでは、この世界の複雑怪奇さは到底、処理できない。しかし専門家ってのも、どうも信用できない(日本の最高学府・東大の教授が「プルトニウムを飲んでも大丈夫」なんていって原発を推進してきたわけですから・・・)。そこで老若男女、多様な人が集まって情報を読み解きあい、シェアし、「集合知」が発動する場(=コモンズ)を作ればええんやないか?と思ったわけですな。このプロジェクトは、あっというまに日本全国各地に広がり、ぼくの想像以上のムーブメントとなり、現在にいたってます。
要するに「大阪七墓巡り復活プロジェクト」も「まわしよみ新聞」も、東日本大震災が生んだということです。この未曾有の天災・人災がなければ、ぼくは決して、これらのプロジェクトをやっていなかった。
おそらく、311によって無くなってしまったものはいっぱいありますが、それによって世に産まれ出てきたものも多いんやないか?とぼくは思ってます。それはまだまだ幼く、小さく、力を持たないかも知れないけど、これからの社会をよりよいものにする可能性を秘めている。それらを大事にしたい。大切に育てていきたい。311を体感した、すべての人間には、その社会的使命があると思ってます。
祈りをこめて。合掌。
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こちらも紹介。検索が応援になるそうです。
※3.11、検索は応援になる。|3.11応援企画 – Yahoo! JAPAN
https://fukko.yahoo.co.jp/
震災から6年がたちました。まだ助けを必要としている人たちはたくさんいます。時の流れとともに被災地を想う機会が減りつつある、これも現実です。それでも、私たちは一年に一度、必ず「3.11」に帰る時がきます。2017年3月11日、ヤフーで「3.11」と検索してみてください。Yahoo! JAPANで「3.11」というキーワードで検索された方おひとりにつき10円が、東北復興にたずさわる団体に寄付されます。
3/19、五斗長ウォーキングミュージアムツアーです!
去年はぼくもガイドの一員として育波港から育波川を遡上して五斗長に入る…というコースを担当しました。おもろかったでんな。まち歩きというよりも川歩き、山歩き、集落歩きなんですが、都市化されていないんで、縄文、弥生、古代、中世、近世、近代の育波、五斗長の痕跡が、むき出しで、生々しく、残されている。ひとり、興奮してましたw
五斗長(ゴッサと読みます)は、常隆寺(伊勢の森とも呼ばれてます。太陽信仰の聖地。さらに政争で敗北した早良親王墓がある。怨霊信仰の結界なんですな)の西側丘陵地帯で、ここから弥生時代最大規模の鉄器製造集落があります。
太陽と鉄。これは深い。太陽が東の山から登り、西の海に沈み、また東の山から再生・新生するかのように、鉄もまた、いったんサビたとしても熱(太陽!)で叩き直せば、何度でも蘇る。鉄を握るものこそが、地上の王であり、太陽の子(天孫族)として君臨できた。五斗長は、その聖地なんですな。鉄を、王を産んだ土地。
いまその土地に淡路島アートセンターのプロジェクトで現代アートの作品群が展示されてます。古代の遺跡から現代のアートまで。山川を巡りながら、3000年分の物語を体感するツアー。オススメです。感じる人はビシバシ感じるw ぜひともご参加ください!m(_ _)m