本日は近畿大学へ!藤田ツキト先生に呼ばれて文芸学部文化デザイン学科「プロデュース学特論Ⅲ」のゲスト講師に。
学生のみなさんは僕の長瀬まち歩き(長瀬から近大まで)を体験して、さらにその後、ツキトさんの進行で、まわしよみ新聞、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロクなどを体験。
むつの一連のコモンズ・デザインなども参考にして「遊び」を入り口にSDGsに親しむアナログ・ゲームを作ってみよう…という実に興味深い講義をやっておられます。
今日はその学生さんたちが4つのチームを作って、それぞれが考えたアナログ・ゲームの中間発表を聞いて、僕なりに思ったこと、感じたことをレビュー、アドバイスする…という講義でした。これがまた凄いレベルが高い。ほんまに面白いです。ビックリしました。最終発表が楽しみです!
近大にはまわしよみ新聞も掲示されてました!ありがとうございますー!( ´ ▽ ` )
桜宮ゴルフクラブ、桜宮スケートリンク、大阪冷蔵の歴史。川崎さんのご案内でした。勉強になりました。ありがとうございます!( ´ ▽ ` )
戦前の大阪冷蔵は高野豆腐(凍り豆腐)の製造で有名だった。じつは高野豆腐は軍隊食に採用された。戦場では食事の際に火を使うと潜伏場所がわかってしまう。そこを狙い撃ちにされる。
その点、高野豆腐は火を使わずに水だけで食べられる。さらに栄養価も高い。陸軍御用達になるのは必然であったろう。
それまで高野山のローカル食に過ぎなかった高野豆腐が全国シェアを獲得したのは、軍隊食に採用されたことが大きいという。
しかし太平洋戦争では「兵隊さんにお米をいっぱい食べてほしい」と内地の人間は雑穀を食べ、米はせっせせっせと軍隊に送ったといった話もある。
南洋諸島の鬱蒼と生い茂ったジャングルの中で日本軍はゲリラ戦を繰り広げ、隠れているが、末期になると米を食べたいと火を焚いて、もくもくと煙を上げた。米軍はそれをみて驚愕したそうな。ゲリラ戦を展開してるのに米を調理して煙が上がってる。WHY?!もちろん狙い撃ちにされて日本兵は次々と戦死したという。
そもそも米なんて調理のめんどくさい食材を戦場に送ること自体が日本人の戦争音痴の現れといえる。戦争の現実、リアル、残酷さ、非情さを知らない。
また兵隊も圧倒的物量差の前に絶対に米軍に勝てないのはわかっていた。周りを完全包囲され、援軍援助もなく、四面楚歌の絶望的状況。もはや最後ぐらい米を食って死にたい。そういう兵隊もいたという。もう知らん!俺は米を食う!爆撃するなら爆撃しろ!という開き直りの最後の晩餐。
この国の政府、官僚は、まずもって兵站ができない。要らないところに送り、必要なことに送らない。昔の話ではない。コロナでも支援金で無為無策無駄無能を露呈しまくった。まるで変わっていない。
淀川、大阪湾に鯨が迷い込んだ。珍しいが過去、なかったことではない。遠くは『万葉集』にも住吉津(大阪湾)に「勇魚」(いさな=鯨)が寄ったという記録などがある。
住吉大社には幻の「鯨祭り」というのもあった。時折、住吉津に鯨がやってきて大漁、豊漁となったのだろう。なんせ鯨は一頭仕留めれば七浦が潤うというほどの莫大な恩恵を漁民たちに齎した。
かつての西洋人(バスク民族など)は鯨を取っても鯨油を取るぐらいだったらしいが、大阪の漁民たちは肉や骨はモチロンのこと、ヒレ、ヒゲ、舌、胃、内臓、心臓、肝臓、はては睾丸、子宮まで使用(食べたり、加工品を作ったり、肥料にしたり)した。鯨全体で捨てるところは3箇所しかなかったそうで、鯨の99パーセントを使い切ったとか。
突然、迷い込む鯨さまは、鯨神であり、マレビトであり、福の神、えべっさんそのものであった。だから鯨の豊漁があるたびに、またの来訪を願って住吉の大神に鯨祭りとして奉納された。
鯨祭りは長く幻の祭りであったが、2011年に住吉大社創建1800年記念大祭のさいに奉納された。いい祭りであった。
かつてならば大阪湾、淀川に迷い込んだ鯨は漁民たちに神として崇められ、その血肉骨の99パーセントを利用され、祀られたことだろう。命を頂き、命を繋いだ。
また個人的には迷い込んだ時期が気になる…というのも丁度、いまはえべっさんの時期で。1/9、1/10、1/11と上方はえべっさんの祭礼のシーズンで、なぜこの時期にえべっさんの祭りがあるのかな?と前々から謎に思っていたが、もしかしたら大阪湾に鯨が迷い込む時期であったのかもしれない。不思議な符合である。
いまはただ「迷い鯨」としてニュースソースになり、お茶の間の話のネタになるだけ。「淀ちゃん」ですからな。淀ちゃんて。
ちぬの浦
いさな寄るなる
をちかたは
ひねもす霞む
海恋しけれ
堺(大阪)の浦は
鯨が寄ってくるという
遥か彼方の水平線は
終日、霞んでいる
そんな堺(大阪)の海が恋しい
与謝野晶子の短歌である。堺・出島浜に石碑がある。
陸奥家ファミリーヒストリー。曽祖父・陸奥利宗の兄・陸奥龍彦。高知・越知の国学者・郷土研究家らしいのですが、その陸奥龍彦の弟子が結城有(たもつ)という。
この結城有について書かれたのが佐川町発行、明神健太郎著の『わが町の人びと』。この本によると結城有は県会議員の息子だそうですが、病弱だったので学校通いではなくて家庭教師を雇ったらしい。その家庭教師が陸奥龍彦だったそうです。
結城有は青年時代は共産活動に身を投じたこともあるようで、当時の有産階級の息子にはよくある話ですが、なかなか面白い経歴の方です。
結城家というのは代々、代官を務めたという名門らしく、その蔵の中にあったというのが『八幡荘伝承記』という書物。結城有は興味を惹かれ、師匠の陸奥龍彦に見せたところ、これは「世にも珍しい、大変貴重な書物である」と太鼓判を押された・・・という話になっています。これがしかし、いま現在に至っても世の中には出回っていない「幻の歴史書」となっているらしい。
本の中身は高知の南北朝時代のことが書かれた歴史書らしく、結城有も高知の史学会などに『八幡荘伝承記』を引用して、いろんな記事、エピソードを紹介していたそうですが、原本自体は、なぜか外部の方には見せず、門外不出のものにしてしまったという。
しかし写本がいくつかあるようで戦後に下村效という歴史学者が、それらを調べたところ、どうも使われている文言、語句などに明らかに時代考証的におかしな部分があり、「偽書である」と認定されたとか。原本も出てこないし、正確な検証もできず、結果、今に至るまでも高知史学会から黙殺されているらしい。
要するに南北朝の頃に高知の人たちが南朝方として戦った…というようなことが書かれている歴史書ですが、そこにいつのまにか時代精神の天皇万歳、皇軍万歳(実際に書物の中に、中世には絶対に使われなかった皇軍なんて言葉が出てくるらしい)というプロパガンダ的な記述が含まれてしまったようで・・・。史料的価値に疑問符がついてしまった。
陸奥龍彦のことを調べていたら戦前の高知史学会の謎(闇?)のような話が出て来て至極、驚いた次第ですが、しかし、それにしても陸奥家のご先祖さまが「貴重な本である」と太鼓判を押した(そういう意味でいえば龍彦も歴史捏造?に加担した側かもしれないw)ものですから、やっぱり、いつの日にか世の中に出てきてほしいものです。
最近は歴史を捏造し、ニュースを隠蔽し、フェイクだらけの世の中ですから。メディア・リテラシー向上のためにも「偽書研究」は重要な仕事になってます。『八幡荘伝承記』も誰か取り上げないかな…?
ちなみに二枚目の画像にある『八幡荘伝承記』の写本は庄田・宮ノ原寺の亀鳳法印という方が幕末の頃に写した…という話らしいのですが、この宮ノ原寺(廃仏毀釈で残念ながら廃寺)にあったのが「宮ノ原塾」で、その宮ノ原塾で学んだのが陸奥龍彦です。
謎に包まれた『八幡荘伝承記』で、誰がどのような経緯で捏造したのか?というのもわかりませんが、本の由縁、由来には、どうも宮ノ原寺(宮ノ原塾)の関係者がチラホラ見え隠れするのが実に興味深い。
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※追記
『八幡荘伝承記』に関してはこちらの方のブログが面白かったです。
■もう一つの歴史教科書問題:『八幡荘伝承記』と『東日流外三郡誌』
http://rekisi.tosalog.com/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%8D%98%E4%BC%9D%E6%89%BF%E8%A8%98%E3%81%A8%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C
越知史談会・吉良武氏は「佐伯文書が第一級の歴史資料とすれば、伝承記の内容もきわめて精度の高い歴史資料といえよう」として高く評価しています。こういう方もいる。嬉しい。
【福島県】大阪七墓巡りの男が、いわき七浜海道を語ります!w 場所はお馴染みのGuesthouse&lounge FARO Iwakiにて!
ぜひとも遊びにきてください~!^^
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■陸奥さんと!七浜海道サイクリングロードを語ろう!トークイベント
https://www.facebook.com/events/698220358561030/
1月18日~19日、観光家でコモンズデザイナーの陸奥賢さんをいわきにお呼びして、共に「いわき七浜海道サイクリングロード」を駆け抜けていきます。
19日の夜19時からは、いわき駅前の「Guesthouse&Lounge FARO」さんにて、七浜海道を完走しているであろう陸奥さんと帯同したメンバー、それからこのイベントにお集まりいただいた皆さんとともに、七浜海道について語らいあう会を実施します。
今後の七浜海道での活動についてのアイディアが飛び交うかも・・・?ぜひご興味ある方は、遊びに来てくださいね!
【日時】1月19日(木)19時~21時
【場所】いわき駅前Guesthouse & Lounge FARO iwaki(〒970-8026 福島県いわき市平三町目8−2)一階ラウンジ
【定員】10名程度
【予約】以下のフォームからご予約ください
https://forms.gle/exnSWoMVtKaCekhL7
★ワンドリンクオーダーいただきます
(ドリンク・フード追加オーダー出来ます)
★出入り自由です!
【お問い合わせ】a-terazawa@jpcfweb.com/090-9898-1553
【ゲストプロフィール】
陸奥賢(むつさとし)
(観光家/コモンズデザイナー/社会実験者)1978年生まれ。
「大阪あそ歩」(観光庁長官表彰受賞)「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」(読売教育賞最優秀賞)「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」「歌垣風呂」(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)「死生観光トランプ」などを手掛ける。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。大阪まち歩き大学学長。
★陸奥さんのことが気になる方はこちらをチェック!
http://mutsu-satoshi.com/profile/
【主催】いわき自転車文化発信・交流拠点ノレル?
僕のプロジェクトには特にプランやエビデンスなどないことが多いw
要するに「直観」「閃き」「なんとなく」「思いついたから」「やってみた」というのが大抵の僕のプロジェクトの動機、本心、本音だが、そうなると僕のプロジェクトは日々「PDCAサイクル」とか「マーケティング」とか「リスクヘッジ」といったお堅いビジネス思考に染まった世間の人を、どこか不安がらせる要素がある。端的にいって信用されないw
だから、そういう「お堅い人たち」にもそれなりに届きそうな言葉として「僕のプロジェクトは社会実験です」と名乗るようにしたわけです。
大阪七墓巡り復活プロジェクトも直観讀みブックマーカー~本と人との新しい出逢い方~も当事者研究スゴロクも歌垣風呂~風呂は現代の歌垣になりうるか?~も死生観光トランプも一連のコモンズ・デザインはすべて社会実験であります。
社会実験という言葉は、なかなか便利な言葉で、この言葉ひとつで極私的(?)なプロジェクトでも、どこか公共的な性質が感じられる。
「むつのやってることはよくわからんが、そうか。社会実験か。まあ、そういう社会実験もアリかも知れないなあ」というお目溢しが発生する。発生してほしいという狙いがあるw
それぐらい世間の中にビジネスマインド、ビジネス思考、損得感情が浸透しているんですな。損とか得とか金になるとか金にならないとか、算盤弾いてから動くというのが当然、必然、常識という人にとっては僕のやることなすことは珍獣のように見られてしまう。
そういう「ビジネスの呪縛」のようなものから逃れるために「社会実験」という言葉の持つ面白さに着目したわけです。
「エビデンスは?」とか「リスクヘッジは?」とか「マーケティングは?」とか、うっせえうっせえうっせえわ…という気分、ないですかね?みなさん?
ま、社会実験者と名乗ることで僕がその手の「ビジネスの呪縛」から逃れられてるかどうかは不明ですがねw 結局、珍獣扱いは変わってない気がするので…。
まあ、しかし、みんな社会実験するがいいですよ。社会実験者になるがいいですよ。じつは生きてることは、なにかやるということは、須く、全て、社会実験であります。
本日は立命館大学へ!山口 洋典先生に呼ばれて『現代社会のフィールドワーク』の講師。
学生さんたちがチームを作り、自分たちの社会環境、世の中を鑑みて気になることから「問い」を立てデスクワーク、フィールドワークで検証し、一枚もののレポートに纏める。講義では、そのレポートの発表を聞き、僕が感じたこと、思ったところなどを含めて講評する。
毎年、やっていますが、学生さんたちの現代社会へのまなざしのようなものが浮かび上がり、それが個人的に興味深く、面白かったりします。僕には全く思いつかない「問い」ばかり。
しかし、どんな「問い」からでも学びは始められるし、また現代社会の複雑怪奇さは一朝一夕でわかったり、解けたりしないもので、要するに「答え」なんてない。
そういう「答えのない問い」をチームで取り組む。なるべく、ひとりではなくて、みんなで考える。対話を積み重ねる。※中にはソロで取り組む学生さんもいますが。
学生さんたちはいろいろと試行錯誤しますが、めちゃくちゃ身のある、実践的で、重要な講義やなあと毎回、思う次第です。山口さんのアドバイスがこれまた的確で、ほんとに素晴らしい。毎回、講師のフリして、山口さんの講義を僕が学んでるようなものですw
学生さんたちには、こういう「答えのない問い」の講義をちゃんと経験して、真摯、誠実に取り組んでほしい。社会、世の中に出るにあたっての必須スキル能力だろうと思います。
陸奥家ファミリーヒストリー。僕の曽祖父・陸奥利宗の兄の陸奥龍彦。高知県・越知の国学者・郷土研究家だったと記録を発見したのが2022年末。
なんとなく僕の仕事に似ているので陸奥龍彦の経歴や仕事がいろいろと気になって改めて戸籍謄本を調べてみたら、じつは大正2年(1913)に改名していて、それ以前は「陸奥斌雄」(おそらくはタケオ)という名前だったことが判明。
「陸奥斌雄時代」に、では何をしていたか?とリサーチしてみたら『土佐清水市史』に名前がありました。明治時代「下ノ加江小学校」や「宗呂小学校」というところで校長をしていたらしい。「歴代校長」の中に名前があった。
下ノ加江小学校は現在も残っているとか。いっぺんいってみたいですが。
宋宗小学校の方は残念ながら2009年に休校。児童数が少なくなったようです。場所を知らべてみたら足摺岬のさらに西の山間。これは過疎化が大変そうですな…。
休校になったので『宗呂小学校休校記念誌』というのが発刊されたらしい。これがしかし残念ながら高知県内のすべての図書館でも一冊しかない。日本最大級の古本通販サイト「日本の古本屋」で調べても出てこない。売ってたら買うのになぁ。
大体、小学校の記念誌とか歴代校長の写真などが掲載されているものですから。もしかしたら陸奥龍彦(陸奥斌雄)のご尊顔がわかるかも知れない。本をリサーチするためには高知までいかないかん…。
いろいろと正月から書き仕事のリサーチ。息抜きに陸奥家ファミリーヒストリーをするw
僕の曾祖父・陸奥利宗は次男坊で兄に陸奥龍彦という人がいた。この人は最近、『佐川町史』『越知町史』などで高知の国学者、郷土研究家だったことが判明した。
また弟もいて三男坊が陸奥巌雄という。厳しい名前だが、この人も大蔵省専売局の書記をやっていた。長年、勤めていたので叙勲までされている。
大蔵省専売局以外の経歴はまったく不明であったが戦前、昭和12年(1937)の発明推進協会の雑誌に名前が掲載されていた。「実用新案五九七〇:釣魚用被セ玉」なるものを発明したらしいw
僕は釣りは全くの門外漢、無知でこの「釣魚用被セ玉」とやらがどのような仕掛け、仕組みのものかサッパリわからない。売れたりしたのか?まあ、売れてないでしょうなw
同年にたまたまだが松下幸之助の名前も発見した。電燈ケースの実用新案。時代を感じる。
堺の光竜寺小学校というのが僕が通っていた小学校だが、一時期、飼育係になったことがある。
小学校には兎小屋があり、兎のお世話をしたが兎はツガイで飼うと1日中、交尾しまくっている。絶倫。だからアメリカのプレイボーイのイメージキャラクターは兎。
ちなみに兎小屋以外に鶏小屋、孔雀小屋があった。年に何回か鶏が脱走する。孔雀が脱走した時もあった。てんやわんや。なかなか楽しい小学校であった。