生玉さんへ。門前にあるのが笠間藩士・島男也の旧居、水戸藩士・川崎孫四郎自刃の所の石碑。
幕末、一部の水戸藩士が桜田門外の変で井伊大老を暗殺するが、実は首謀者の高橋多一郎親子は大阪にまで逃亡し、それを匿ったのが島男也(生玉さんで道場を開いていた)と川崎孫四郎だった。ところが秘匿がばれてしまい、幕吏に囲まれて島男也は捕縛(江戸送りとなり、伝馬町で牢死)、川崎孫四郎は自刃した。明治維新以降、勤皇の士として顕彰され、それで石碑が建立された。
昔はそんなことなかったと思うが、なぜか、いつの頃からか、石碑の周りに石が奉納されるようになり、これは願掛けでもしているのだろうか?よくわからない。民間宗教というか、庶民信仰というか、フォークロアというか、興味深い。
いくだま歩道橋。なんと擬宝珠がついている。流石。いくたまさんの参道ですからな。
本来ならば上本町(上町筋)からいくたまさんまで一直線(馬場先といいます)でお参りできるはずが、谷町線拡張工事で分断されて参道が歩道橋になっている。なぜここに横断歩道を作らなかったのか?
一種のいやがらせのようなものを感じる。戦後、神社は「戦争協力した」というので憎まれた時代がありますからな。僕がこどもの頃には「絶対に自分は神社には参拝しない!」という古老とかよくいたものです。大抵、自分の父母、兄弟、娘息子など家族や親戚を戦争で亡くしたりしていました。
【大阪府】非常に興味深い企画です。岸和田・土生神社の阪井宮司が「岸和田七墓巡り」を考案しておられるようで、そのトライアル企画に招聘されました。
「岸和田七墓巡り」というのは歴史的にはおそらく存在しないもので(文献資料などは見たことはありません。記録にはないけども、誰かやっていた人が過去にいたかも知れませんが…)阪井宮司曰く「架空」のものですが、どういうルートで、どういう中身なのか?僕もまったく知りません。
大阪七墓巡りや堺七墓巡りは毎年、僕が「復活プロジェクト」と銘打って巡っていますが、一応、元ネタといいますが、歴史的に存在していたものを僕なりの解釈やアレンジで現代バージョンとして巡っています。しかし岸和田七墓巡りは元ネタがないので、そういう意味では実に新しい。真のオルタナティブであり、前衛ですw
また僧侶ではなくて、宮司さんがやるという点でも興味深いものがあります。このへんの経緯も阪井宮司にお聞かせ頂きたいところです。なぜ宮司さんが七墓巡りなのか?
ご興味ある方はぜひともご参加してください。3/23(土)。来年春のお彼岸です。
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■岸和田七墓巡りを土生から始める町歩き(陸奥賢さんを迎えて)
https://www.facebook.com/events/644272794579730/
陸奥賢さんの大阪七墓巡り復活プロジェクトや堺七墓巡りプロジェクトに触発されて今まで存在はしていないが架空の岸和田七墓巡りをまずは土生からスタートする町歩きをしてみようという企画です。
陸奥賢さんをゲストに迎えて土生町周辺を町歩きした後、町歩きを振り返りながら陸奥さんよりコメントをいただく予定です。どなたでもお気軽にご参加下さい。
■開催日時 令和6年3月23日(土)午後3時~
■集合場所 JR東岸和田駅改札口前
■参加費 カンパ制(後の懇親会参加の場合別途会費)
■連絡先 電話0724267287 土生神社 阪井
先だっての堺まち歩き。ザビエル公園にて。ここはザビエルが訪れたという日比屋了慶の屋敷跡だといわれている。
ザビエルという人は不思議な人というか、遠くスペインから、わざわざ極東のアジアの果ての日本・堺にまで来てキリスト教を広めようというのだから宗教的情熱というのは恐ろしい。比べるのも変だが僕は日本からわざわざスペインまでいって仏教いいですよ!神道最高ですよ!と広めるような宗教的情熱などこれっぽっちも持ち合わせていない。
ザビエルが所属していたイエズス会は宗教改革の時代に生まれた。新教(プロテスタント諸派)が欧州を席巻し、危機意識を覚えたカトリック側が「神の軍隊」として徹底したカトリック絶対主義の熱狂的エリート集団を作り上げる。その創設メンバーのひとりがフランシスコ・ザビエルだった。
ザビエルはスペイン人とよく紹介されるが、これは正確ではなくて、じつはナバラ王国の貴族の息子でバスク人だったりする。このナバラ王国はフランス・スペインの争いに巻き込まれてスペイン領となり、ザビエルの父(大臣、宰相クラスの大物であったらしい)はその紛争の最中に逝去している。
自分が生まれた故郷の王国が滅亡し、ザビエルはスペインの人間として育ち、そしてフランスのパリ大学で哲学を学んだ。多感な青年期に歴史の動乱、激動に巻き込まれ、おそらく自分のアイデンティティ・ロストに直面したことだろうと思う。そんなザビエルの支えとなったのがカトリック教会だった。
イエズス会は国境や国家、民族、人種を超えて人間は誰しもカトリックの教えの下に神の子として平等であるという「世界宣教」をモットーとした。大航海時代という時代精神もあるが、ザビエルの生まれ育ちも、その高邁な志に同調、共鳴したように思われる。ナバラ王国の貴族でバスク民族でスペイン人でパリジャンのザビエルには。
ザビエル公園には、そんなザビエルの堺来訪を記念して「聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅碑」が建立されている。碑文がなかなかエモい。
「天文19年2月 聖ザビエル堺に上陸し日比屋了慶の館に入った
是れ西洋文明傳来の始で近世日本文化は茲に花と匂った」
和泉そぞろ!国分峠をゆく。
国分といえば国分寺。ご住職から和泉国分寺の歴史についてお教え頂く。面白いのが「千人風呂跡」。和泉国分寺は高台(国分峠)の上に寺院があるが、その崖下は湧水地で、そこにかつて光明皇后ゆかりの千人風呂があったという。
あくまでも伝承・伝説の類だが、しかし、じつはちゃんと千人風呂の建屋の材木が発見されていて、年代を測定すると694年頃に伐採されたものという。7世紀の柱!その材木が和泉国分寺の境内にどーんと置かれている。じかに触れる。
いやあ、凄い歴史資料だと思うんですがね。こんな感じで、さりげないところに和泉の歴史の奥深さを感じる。いや、和泉、凄い。怖いw
大阪市南区史跡油掛地蔵尊。いまはなき南区の表記が熱い。
ミナミ、千日前といえば法善寺さんの水掛不動尊が有名だが、江戸時代は船場の明善寺さんの油掛地蔵尊も有名だった。「法善寺と妙善寺」「水掛と油掛」で韻を踏んでいて、この辺りのシンメトリカルな感じが面白い。
不動明王は炎を背負っている。あの炎は衆生の煩悩を浄化する炎らしいんですが、町衆にはそんなありがたい教義や宗教的救済など難しいことはわからない。どう見ても背中が燃えていて危ない。
なんせ法善寺はまちの中にありますから。江戸時代は周りは木造建築だらけ。なによりも炎が危険。火が出て類焼して、大火事になれば家や財産を失って一文無しになってしまう。だから不動明王に「火災除け」「災難除け」を祈願して水を掛ける。
煩悩を浄化するはずの炎を、町衆の煩悩の力(家財を失いたくない)で日夜、水を掛け続け、いま法善寺の不動明王は立派な青青とした苔に覆われてますから。実に都市的というか、まあ、なかなか人間さまは度し難いですな。
油掛地蔵尊も同じように火災が怖いという町衆の切実な思いがあり、こちらは地蔵尊に油を掛けました。炎は油で燃やされる。油が倒れたり、跳ねたりすると火事が起こる。だから水ではなくて油をかけて地蔵さんに「油(火)の管理、頼んまっせ」とお祈りした。
こちらはこちらで長年、町衆が油を掛けすぎたので真っ黒になってます。油でテカテカして黒光している。じつは背面に「天平十一年安曇寺」という銘が刻まれていたという伝承がありますが、もはや油で真っ暗すぎて何もわからない。天平(奈良時代)の石仏なら文化財級でしょう。確認ができないのが惜しい。油かけすぎや。
僕が前々から気になっているのがお堂手前にある「中山寺 紫雲講」の石碑。宝塚の中山寺と船場の油掛地蔵尊に、どういう由縁、繋がりがあるのか?よくわからない。謎です。
本日は和泉そぞろ!坪井町をゆく。大阪市内からやと、まぢで、めちゃくちゃ遠いのが坪井町。来るたびに和泉市の広さに驚く。
坪井の集落はみかんで財を成した。明治期に、ある坪井の行商人のひとりが地域名産の横山みかん45キロを背負い、なんと遠く石川県の加賀まで売りに出た。帰りは加賀で菅笠を購入し、これが和泉で高値で売れた。この和泉のみかんと加賀の菅笠の商売が当たり、マネをする人間が出てきて、和泉の横山みかんは有名ブランドとなった。
また井上楠吉という人物が横山みかんを遠く東京まで売りに行き、成功。和泉と関東の販路を開拓したことで、ますます坪井集落は繁栄を誇った。組合ができて横山みかんの生産、管理、流通を担い、だから「坪井みかん共同貯蔵所」が今もある。
和泉に住んでいる人でも、坪井はなかなか縁遠い。この貯蔵所も知られていない。その巨大さに圧倒される。
【いわき時空散走】フェスティバル2023が無事に終了したというノレルさんの報告記事です。
ツアーの告知を開始して僅か2日で全ツアーが満員御礼。10名ツアーのところを拡大して14名まで受付て実施しました。全ツアー参加したという方もいるし、30年ぶりに自転車に乗ったという方もいたし、自転車を購入した(!?)という方もいたし、奈良からやってきた(!?)という方もいました。
いわき(正確には福島県)の自転車人口は日本全国でも下位です。下から数える方が早い。圧倒的にクルマ社会です。※ちなみにいっちゃんチャリ人口が多いのは大阪です。大阪人はイラチやから歩いてる人いません。みんなチャリです(うそ)
じつは今年の夏、某大手企業(知らない人はいないと思われます)が浜通りで自転車イベントを実施しようとして数名しか申し込みがなくて集客が出来ず、開催中止になったというような事態もありました。ノレルさんの関係者の方もイベントに尽力していたのですが、某大手企業が大々的にキャンペーンを張っているのに、それでも集客に苦戦、失敗するほど福島の自転車人口は厳しいということだろうと思います。
いわき時空散走を準備しながら、その話を聞いて愕然として正直、プロデューサーとしては不安を覚えました。いわき、福島の条件、環境としては、やはり、かなり不利、無謀な条件でサイクル・ツーリズムをやろうとしているのだなあと再認識したわけです。
我々は某大手企業のような予算もないし、そんな宣伝キャンペーンも貼れません。地域を回り、いろんな方に今度、サイクル・ツアーをやりますから!遊びにきてください!と頭を下げまくるしか出来なかった。
そしてツアー準備ができて、いよいよ実施します!と告知すると、あっという間に三ツアーとも満員御礼で、これが如何に凄いことか。関係者各位のみなさんのエネルギー、熱量、パッションがこういうカタチで結実したのだと思っています。本当に感謝しかありません。ありがとうございました。
いわき時空散走は今年の秋はリハーサルの意味も強く、来年度の春から本格的なスタートだろうなあと思っていますが毎回、満員御礼とか毎回、奈良から参加者がくるとか狙ってません(来てもええんやで!Kさん!)。課題もいろいろとあります。山ほどありますw
課題は山ほどありますが、いわきは最高に面白い。どこもかしこもエキサイティングです。海があり、まちがあり、山があり、城下町、天領、温泉街、鉱山町なんてのもある。大阪市には温泉街や鉱山町はありません。農業、漁業、林業、工業、商業、エネルギー産業(勿来火力発電所)がいわきの中にある。14市町村合併というのもウルトラCですが、さすがかつて「日本一広い市」で、ある意味「日本の縮図」ではないか?と思います。いわきにくれば、日本がわかる。
そのいわきの面白さ、凄さ、可能性を、ぼちぼちと、ひとつひとつ、カタチにして、みんなと共有して楽しんでいけたらなあと思っています。乞うご期待ください。そして遊びにきてください!ツアー参加者に、そしてツアーのサポーター、仲間になってほしい。コミュニティ・ツーリズムを支えるのはコミュニティですから。プロデューサーからの切実なお願いです。
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#いわき時空散走フェスティバル2023
無事終了いたしました!
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11月23日から26日にかけて「いわき時空散走フェスティバル2023」が開催され、無事全ての行程が終了いたしました!
今年の1月に、プロデューサーの陸奥賢さんとともに、いわき七浜海道を駆け抜けるところからスタートした「#いわき時空散走」。5月から本格的にプロジェクトを始動させ、「大野・玉山」「小川郷」「植田・佐糠・金山」エリアの3つのエリアでリサーチを続けてきました。
一緒にプロジェクトを作り上げてくださった皆々様のおかげで、無事ツアーとマップのお披露目ができたこと、改めて感謝申し上げます。
各地域で様々な活動をしている皆さんが、サポーターとなり、参加者こそが主役となる「#サイクルコミュニティツーリズム」。地産地消の観光を通じてまちづくりの活性化を狙う本プロジェクトは始動したばかり。
期せずして、ノレル?オープンから2周年のタイミングと重なりましたが、地域の皆さんとともにノレル?の核となるプロジェクトを始動させることができて嬉しい限りです。
最終的に30のマップを作っていくことを目標に引き続き活動を続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。
細かいレポートは別途sns、noteにて上げていきますのでお楽しみに!
<撮影:#鈴木穣蔵>
#いわき時空散走
#散走
#ノレル
#福島県
#いわき市
【いわき時空散走】四倉・大野・玉山ツアーの最後はサポーターの松本さんのご実家へw
じつは今回のいわき時空散走のツアー、植田・佐糠・金山ツアーはサポーターの正木りなさんのご実家に行き、小川郷ツアーはサポーターの櫛田さんのご実家に行き、全ツアーでサポーターさんの実家を訪問しております。そんなツアーがあっていいのか?いいんですw なんせコミュニティ・ツーリズム(地元観光、地産地消の観光)だから。
それで松本さんの地元の後輩のSさんが持ってきてくれたのがこちらのバラバラの石炭。ほんまはひとつの大きな石炭であったらしく、しかし、風化(?)して割れてしまった。じつは常磐炭鉱の浅貝炭鉱集落が閉山される時の最後の石炭とか。ラスト石炭。
そんな儀式が常にあるのかどうかは知りませんが浅貝炭鉱集落では閉山して山を降りることになった時に仲間たちで巨大な石炭を形見分けのようにして持ち帰ったとか。このラスト石炭はSさんの父が持っていたものだそうです。
どういう思いで山を降りたのか。泣けますな。ラスト石炭。
【いわき時空散走】11/26(日)は四倉・大野・玉山コース。2023年秋の3コースのラストでした。
思い返せば2023年1月にいきなりノレルさんに呼び出しされて、極寒(気温0度!)のいわき七浜海道70キロを有無を言わさず走らされて「どや!?」と感想を求められる…という無茶振りの一年のスタートでしたが、いろいろと紆余曲折を経て「いわき時空散走」というカタチでサイクル・コミュニティ・ツーリズムのプロジェクトがスタート。
その第一弾のリサーチが松本さんのご案内による大野・玉山でしたが、これがもうとんでもなく面白かった。そして大野・玉山でこんなに面白いサイクル・ツアーができるなら、いわきの彼方此方でも同じようなツアーが可能ではないか?と直観したんですな。そして植田・佐糠・金山コース、小川郷コースなどが出来上がっていった。
要するに四倉・大野・玉山コースは、いわき時空散走プロジェクトの記念すべき第一弾コースで、それがようやく実施できて、また参加者のみなさんが大いに楽しんでくれたようで、本当に感慨深しいものがありました。参加者にはわざわざ奈良県から来てくれた方もいました。奈良県?!
なにはともあれ事故もなく無事に終了し、また、いずれのコースも満員御礼で感謝しかありません。参加者のみなさん、関係者、サポーター、事務局のみなさん、本当にありがとうございました。感謝です。