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大阪電燈と東京電燈の「交流・直流論争」~なぜ関西電力の周波数は60ヘルツで、東京電力の周波数は50ヘルツなのか?~

2011 年 5 月 3 日

明治20年(1888)、東京電燈が直流電送を開始。翌年に大阪電燈(1889)が出来て、こちらでは交流電送を開始しました。当時は世界各国でも「直流か?交流か?」で電力会社は悩んでいたんですが、大阪は「交流のほうが直流より長距離送電に向いている」として60ヘルツの交流方式を採用したんです。

ここで東京電燈と大阪電燈のあいだで有名な「交流・直流論争」が起きるんですが、東京電燈はメンツがあるので、これまで通りの直流方式(50ヘルツ)を採用。その後「直流は古い。交流の方が効率ええで」ということになって、大阪の大勝利!で話が決着するのですが、ここで東京電燈は嫌らしく、なんと明治28年(1895)になって「50ヘルツの交流発電」を始めました。

「直流と交流では負けた。しかし大阪と同じにするのは癪に触る。交流にはするが50ヘルツのままだ!」というわけです。こういう非効率な送電を推し進めた国家は日本だけやそうです。この東京電燈の後進が、ご存知、東京電力。原発事故でなぜ東日本が電力不足に陥って、西日本はお構いなしに賄えるか?というと、こういう歴史的経緯があります。

最初から東京電燈が素直に「60ヘルツの交流発電」にしておけば、現在のような原発事故が起こっても関西、西日本から電力を回すことができたはずなんです。今後、東日本が電力不足で「やはり東西の周波数を揃えよう」という話になったときは「大阪方式の60ヘルツに」と言いたいですな。つまらない意地を張って、今日の災厄を招いているのは東京電燈(東京電力)の責任ですから。


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