釜ヶ崎まち歩きにて
戦後日本は田中角栄の『日本列島改造論』に代表されるように、日本国中の山を切り開いて高速道路や高速鉄道を走らせ、緑豊かな村を水没させてダムを作り、美しい砂浜を埋め立てて巨大なコンビナートや港湾施設、空港を作り、都市部には役所やら何とかセンターやらの行政施設を建てて、要するに官僚と企業が結託して大型公共事業で奇跡の戦後復興、高度経済成長を牽引してきました。
ゼネコンこそが戦後日本経済の生命線だったわけですが、こうした巨大なハコモノを作るのは数年、数十年計画で大変です。いつ受注がきて現場が動くかわからない。時期がわからないのに数千人、数万人の現場労働者を抱えるなんてことはできない。あっというまに倒産してしまう。だから普段はサラリーマンのホワイトカラーだけを雇い、計画、立案、営業、プレゼンなどをさせて、いざ受注して現場が動くとなれば「ハコモノを作るぞ!」ということで一斉にブルーカラーが集められる。それが日雇労働者を産んできた基本的な経済構造の仕組みです。
ホワイトカラーは会社に所属してますから毎月の給料もあれば労災保険もあれば労働組合などもあり、退社してからも年金暮らしで労働者としては非常に優遇されています。しかし現場で実際に働く日雇労働者のみなさんは取っ払いで労災保険もなければ労働組合もなかった(いまは釜ヶ崎日雇労働組合や釜ヶ崎支援機構などのセーフティネットが多少は出来ていますが)。まさに使い捨ての労働者だったわけで、その人たちがカラダが動く若い頃はよかったんですが、一斉に高齢化してきて60歳代になって、現場で働けなくなった時に、社会にその「働けなくなった日雇労働者」に対する受け皿の用意がまったくなくて、諸々の問題が起こってきました。多額の生活保護受給やら貧困ビジネスやら孤独死、無縁死の問題やら色々とマスメディアやネットでも言われてますが、しかし、こういうのは別に一朝一夕に起こったことではなく、数年前からそうなると当然、判りきっていた話なんですな。少なくとも釜ヶ崎で活動してきた人々にとっては。
個人的にも今更の感が無きにしも非ずなんですが、しかし諸々の問題が、なんでもかんでも日雇労働者個人の責任に帰結するのではなく、これは戦後日本社会の構造的問題にも通じているのだということ。だからでこそ、非常に根深い社会問題であると知ることは大事だろうと思ってます。いま、若い人たちが派遣労働者として、相変わらず使い捨ての労働者にされている現実社会をみると、ますます、その思いは強く、深いです。
※画像は大阪府高齢者大学の講義で釜ヶ崎まち歩きをして「釜ヶ崎支援機構」にてココルーム代表の上田假奈代さんにお話をしてもらっているところ。