■「ヤマアガリのレジリエンス(復元力)」(コモンズの可能性)
宮本常一を読んでいたら面白いものを発見しました。コモンズの話。
—————————————-
「村に食うことに困り、租税もおさめることができないというものがあると、その山に入らせて百姓をさせ、一人前にたちなおるようにさせました。これを「ヤマアガリ」といっております。共有山へは、西日本では、どんなに貧しいものでも、身分の低いものでも行くことができたのですが、東の方では、被官とか水のみといわれる身分の低い百姓は権利がなくて、御館や本百姓のゆるしがないと行けないところが多かったのです。」
『宮本常一著作集7 ふるさとの生活、日本の村』(未来社)
—————————————-
コミュニティ(村)の人間に何か問題が発生して破産しそうになると、まず村に持っている土地を売り払う。それで村から追放するのではなくて、コモンズ(入会山・共有山)に入らせる。そこで数年、生活すると、村のツキアイがないから出費がまずなくなる。山菜採りや、田畑の収入も全部自分のものにできるから、借金を徐々に返済することができる。中には財を成す人間がでてくるほどだったという。そうやって借金返済が終われば、また村に帰ってくることができた。西日本の共有山は「どんなに貧しいものでも、身分の低いものでも行くことができた」というからスゴイですな。東の方は、やっぱりコモンズですら権力が握っている。いやな土地ですw
コミュニティから零れ落ちるものが必ず出てくる。そこをどうやって救済するべきか?コミュニティの落伍者のセーフティネットとしても、コモンズは必要となってくる。コミュニティとコモンズの補完によって、社会は潤滑に回っていく。近代の悲劇は、まさしくコモンズ=入会地、共有地を「国有」か「私有」にしたことです。
要するに「ヤマアガリ」のようなことがないとしんどい。これから、ますます、日本は貧しくなるわけで、「ヤマアガリ」をどうやって確保するか?が問われてきます。つまり「社会のレジリエンス(resilience)=復元力」です。失敗しても立ち直れる場。やり直せる特区。そうしたものを、もっと世の中に作らないといけない。いまのところ、釜ヶ崎がそういう場なんですが・・・。