贈与経済としての「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」
「まわしよみ新聞」も「直観讀みブックマーカー」もオープンフリーソースです。オープンフリーソースというのは正確にいうと「無料」ではなくて「贈与」です。ぼくは「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」で贈与経済の社会実験をやっているつもりです。世の中、無料というのは怪しい。では贈与経済というのは・・・え??もっと怪しいww
Iさんから相談をうけました。「ほなら、こうしたら?」ということで、結局、ぼくがプロジェクトをやることになった。それに対してIさんは「すいません。むつさん。お忙しいのに巻き込んでしまって・・・」としきりに申し訳なさそうにする。ぼくは「では、Iさんも誰かから何か頼まれたら、それに巻き込まれてください」と返しました。ぼくはIさんに「巻き込み」されましたが、それに「お金」で返すのではなくて、Iさんは他の誰か=Sさんに「巻き込み」されればいい。そして、Sさんもまた他の誰か=Hさんに「巻き込み」されて・・・これが延々と続いて、やがてぼくも他の誰か=Tさんを「巻き込み」したりすれば、贈与経済として完成します。
この「巻き込み」やら「お願い事」やら「善意」やら・・・要するに「贈与」によって、次から次へと連関して、それでみんなが動いていくことを「ソーシャル・キャピタル(Social capital)」=「人間関係資本」とかいうわけで。こうすればお金がなくても世の中は動いていく。お金があるとお金で払いますから。そして、お金を払うと「金の切れ目が縁の切れ目」で、人間の関係性はあっさりと終わるんですな。だから、お金を媒介せずに「善意の貸し借り」をやり続ける。お金がなければ、お金がないからでこそ、「贈与」という方法論で自分たちの関係性、ネットワークを構成することができる。なんでもかんでもお金で換算して、物事を動かそうとする。そういう世の中は、人間は、じつに貧しい。お金があっても人間関係がないですから。「人」という漢字はお互い支え合って人という漢字になっているんですよ(金八ww)。「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」がオープンフリーソースであるのは、贈与経済であるのは、そういう人間関係資本を世の中に構築したいと考えているからです。
ちなみに「贈与」(GIFT)というのはドイツ語では「毒」という意味もあります。素晴らしい贈与(贈り物)をされると、人は戸惑い、なにかしないといけないのでは?とついつい動いてしまうから。それはまるで魔法か、呪術か、毒のようでもあります。贈与経済は、そういう人間の性善論的な心理をついてたりもしますw