「わからないもの」を抱え込んで生きていくこと
「わかる」というものは狭いし、浅い。「わからない」ものこそが深いし、広い。大事なことは、「わからないもの」を「わからないから」といって捨てるのではなく、「わからないなぁ」と思いながら、小脇に抱えこんで、生きていくこと。
荷物は重くなりますが、そうやって生きていくと「よりわからないもの」が出てきた時にも「あーあ。また、わからない荷物が、ひとつ増えたなあ」と小脇に抱えて生きていくことができる。わからないものが1つから2つ3つ4つに増えても、まぁ、大差ないことですから。
ところが「わからないもの」をすべて捨ててしまって「わかる」ものだけに囲まれて生きていると、それは身軽で安心かも知れませんが、じつは危ない。なんせ人生は「わからないもの」だらけですから。いつ、どこで、どんなときに「わからないもの」と出会うかわからない。要するに「わからないもの」に対する耐性がないと危ない。ちょっとした「わからないもの」が出てきた瞬間に「え!?なにこれ!?わからない!」と混乱して、ヒステリーになって、すぐにクラッシュしてしまう。
「わからないもの」を抱え込んで生きていくこと。「わからないもの」への耐性をつけておくこと。それが「わからない世の中」を渡っていくために必要なことらしい。