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2014 年 8 月 のアーカイブ

大阪七墓巡り2014。脇さんの投稿より。ありがとうございます~^^

2014 年 8 月 16 日 Comments off

大阪七墓巡り2014。脇さんの投稿より。ありがとうございます~^^


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大阪七墓巡り2014。ヒロツさんの投稿より。ありがとうございます~^^

2014 年 8 月 16 日 Comments off

大阪七墓巡り2014。ヒロツさんの投稿より。ありがとうございます~^^


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ひとはみんな、いずれ、無縁仏になる

2014 年 8 月 15 日 Comments off

終戦記念日。黙祷。

先だって、堺で、とてもお世話になっていた方が亡くなりました。人間、当たり前ですが、みんな、最後は死ぬわけで、死に方ってのは考えますな。

ぼくは311以降、「こりゃ、ほんまに、いつ死ぬかわからん。いつ死んでも悔いがないように」と死ぬ準備をはじめました。自分のやるべき仕事を、ちゃんとやっておきたいという思いがあって、この3年間ほどはそれに全力できてます。あと、これと、これと、これと・・・と、5つぐらいの仕事を完成させたら、自分として、悔いはないなとも思ってます。生きてりゃ、また、欲も出てくるかもしれませんが。

死んだら、どうなるのか?自分という存在はこの世から雲散霧消しますが、おそらくは自分の名前を記した墓ってのができるようです。墓も、しかし、いつまでもつかどうか?

よく墓参りにいくと、古びた墓があって、そこに「この墓地の関係者の方は名乗りでてください。何年何月何日までに名乗りがない場合は、無縁墓に改葬します」というような張り紙が貼ってあるのを見たことがありませんか?あれは平成 11 年 5 月に「墓地、埋葬等に関する法律」が変更された結果やそうで。無縁墳墓の改葬が公告されて、それに関係者が名乗りをあげないと、いつのまにか墓は粉砕され、捨てられ、無縁改葬することが可能になっています。なんでこんなことが起こっているのか?もちろんビジネスです。要するに、ここには古い墓を撤去して新しい墓地として売り出そう・・・というわけですな。

民俗学や人類学は、生者が死者をちゃんと鎮魂し、供養するということが、そのコミュニティの基礎的絶対条件であることを教えてくれます。これがないコミュニティはコミュニティとはいえない。死者を死者たらしめることで、生者は生者たりえるわけで、それを疎かにする集団は、恐ろしく不安定かつ無責任で、危険なヒステリー集団でしかありません。「死に方がわからんのに、生き方がわかるはずないやないか?」というわけですな。

無縁墓、無縁仏というのは、そんなに遠い存在ではないです。極論すれば、みんな、最後は必ず無縁化するといえます。事実、自分の父母や祖父母の墓まではわかりますが、3代前、5代前、10代前、30代前のご先祖さまになると、もはやどこに墓があるのかすらわからないという人が大半でしょう?それらは無残にも破壊されて改葬されている可能性は高いです(自分の先祖をずっとたどれるのは天皇家ぐらいです。天皇家ですら神武天皇の先祖というものをたどっていくと、やがて曖昧模糊なものになっていきます)自分の先祖がそうであるように、自分の墓や存在も、自分の子供や孫は記憶するかも知れませんが、それ以後は胡乱なものとなっていく。

要するに「ひとはみんな、いずれ、無縁仏になる」んですな。無縁が大前提。そして、これがわかれば、やがて「だから、無縁仏を供養しよう」という優しい知恵や慈悲は当然出てきます。人間は、みんな、やがて、無縁仏になる。ぼくも、あなたも。では、無縁仏を供養することで、自分も、あなたも、みんなも、一緒に供養できるのではないか?供養されない霊(残念さま)は怨霊化するという信仰も影響しているんでしょうが、しかし、こうすれば社会は無縁を畏れなくなる。その大阪的事例が「大阪七墓巡り」でした。

大阪七墓巡りは無縁仏を供養しようという祭礼です。無縁仏とはなにか?それは忘れられた民。過去の先人たち。それでいて、それは未来のぼく、未来のあなた自身でもある。人口減少時代。限界集落はやがて滅び、だれもいなくなる村やまちが出てくる。どんどんと無縁化していく社会だからでこそ、無縁のための祭礼が、知恵や慈悲が必要だろうと思ってます。

■2014/8/15(金)夜23時より「大阪七墓巡り2014」
https://www.facebook.com/events/1440548432877859


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『まわしよみ新聞のすゝめ』寄稿集より抜粋

2014 年 8 月 15 日 Comments off

『まわしよみ新聞のすゝめ』の魅力として寄稿がバラエティ豊かで豪華!!ってのがあります。続々、寄稿者のみなさんの原稿が集まってまして。これが読んでて、ほんまに面白いww ちょっと抜粋してご紹介します。

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『「まわしよみ新聞」のように既存の新聞を躊躇せずザクザク切り刻み、自分たちの新聞をつくるという発想は、なかなか思いつかないことだし、小気味よい。』
 下之坊修子

『言語芸術的な素材を含め、一つの紙面に編集するこのまわしよみ新聞の共同編集作業そのものもまた、限界芸術として捉えることができる。つまり、連句会の現代版である。』
 小暮宣雄

『陸奥やまわしよみ新聞は救世主にたとえられるべきではない。せいぜいのところ、洗礼者ヨハネであり預言のプロジェクトである。まわしよみ新聞は、次の世界の先触れが現れたるためにあるのだろう。』
 岸井大輔

『ちょうど、集団的自衛権行使容認に関する記事が一面になった日にまわしよみ新聞を行いましたが、参加学生はその記事に十分注意を払いつつ、あえて他の記事を切り抜き、新しいテクノロジーの話やヤンキー文化の展示会など様々な記事を切り抜きました。』
 吉村茜

『情報化が著しく進んだ今日の大学では、教員から学生に向けた垂直型の授業の有効性は限定的なものとなっています。そうしたなか、学生同士の学び合いを促進する水平型の授業の構築・充実が喫緊の課題となっています。新聞記事データベースを用いた「まわしよみ新聞」は、こうした水平型の授業のツールとして活用意義が高く、学生の「島宇宙化」した日常を異化するアプローチとして効果的です。』
 白波瀬達也

『そんな場所のすみっこで新聞を切り貼りしながら、ああだこうだと言い合ったあの時間は何だったのだろう。メディアの周縁か地図の裂け目か。いつのまにか大阪中で、日本中で行われるようになったけれど、その意図は場所により人によりさまざまだ。まわしよみ新聞はただ媒介となって、その場そのときに必要とされる言葉が交わされているのだろう。おや、これって市民メディアのひとつの理想なんじゃないか。』
 茂木秀之

『しかし、「まわしよみ新聞」は、単に新聞から得られる情報を共有しているのではない。読み手を編集者の側へと押し上げて、新聞を使って新聞ではないものを編み出していく方法論を共有しているのである。これはおそらく、新聞史上においてきわめてユニークなムーブメントだ。』
 杉本恭子

『これは結構、なんでもないようなことですが、かなり重要なことだと思っています。というのも、まわしよみ新聞の見落とされがちな点として、まわしよみ新聞は新聞記事を読んだり、情報交換したりする「メディア体験の場」として捉えることもできるのですが、じつは当初は「作品(新聞)を作って展示する」という「アート体験の場」として構想されたわけです。』
 釜中悠至

『まわしよみ新聞への理想はこんな風に高いわけだが、実際は鴎外の「椋鳥通信」のように人生のくねくね道の出来事を拾っては笑い、ケチな出来事を風刺し、風刺したからといって社会が劇的に変わるわけでもなく、でも乾いた笑い声で日常を転がしてゆくことで、今日を生き抜き、いのちをつなぎ積み重ねていくだけのこと。』
 上田假奈代

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良い本になりそうです。ほんまに。


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「大阪七墓巡り2014」レジュメその①「死生観光の旅」

2014 年 8 月 15 日 Comments off

■2014/8/15(金)夜23時より「大阪七墓巡り2014」
https://www.facebook.com/events/1440548432877859

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「大阪七墓巡り2014」レジュメその①

■死生観光の旅
アフリカのモシ族は、誰かが死ぬとコミュニティの中で公式に埋葬されるまで「クリタ」と呼ばれる女性がその死んだ人の代わりに生活をする。死んだ人の家で、その人の服を着て、その人として生活する。その後、「クレ」と呼ばれる埋葬の日にはクリタが頭をそり、儀式を終了する。

アイヌ民族は人は死んだら「下界」にいくと考える。下界は現世とそう変わらない世界で、しかし、現世が昼なら下界は夜、現世が夏なら下界は冬・・・とアベコベの世界。だから人が夏に死んださいは冬の恰好に。冬に死んださいは夏の恰好で埋葬する。

北欧のヴァイキングは戦争こそが最大の喜びであり、人間の価値、生きがいという思想が強い。だから死んでも戦場に行って、そこで永遠に戦えるという。また昼は戦い、夜は酒宴で大騒ぎ。その戦場のことを「ヴァルハラ」と呼ぶ。

『魏志倭人伝』によれば、3世紀の倭人は「人が死ぬと棺の中にいれ、土で封して塚をつくる。その後、十余日は肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく」とある。

古代エジプト人は人が死ぬと魂が抜け、死者の国にいくと考えられた。魂は永遠不滅で、いつか再生することが可能とも信じられた。だから「ミイラ」を作って、いつか魂が返ってきて再生することを願う。ちなみに「猫のミイラ」なんてのもあった。

ジプシーは人が死ぬと「そんな人間はこの世にいなかった」ということになる。名前も口にしない。思い出話もしない。遺品も残さない。つまり「誰も死なない」。この世には常に生きている人間しかいないとする。

アメリカ・インディアンは「肉体が魂を持っているのではなく、魂が肉体を持っている」と考える。死によって肉体がなくなることで、魂は新しい肉体を得て別の世界にいくと考える。また新しい死後の生のために、遺体のそばには、その人の生前の所持物や、大事にしていた道具や武器、料理の道具が置かれる。

チベット密教では人は死ぬと大空を舞う鳥に運ばれて魂が天に導かれるとする。だから死体は食べやすいように切り刻んで、鳥に食わせる。俗にいう「鳥葬」。

イスラム教では「審判の日」に大天使ガブリエルがやってきてラッパを吹くと死者は全員蘇ると固く信じられている。さらに復活後に「アラーの審判」があり、善行を積んだものは平安を。しかし悪行を積んだものは永遠の苦しみを与えられる。

ブラジルのヤノマミ族は、産み落とされたばかりの子供はまだ人間でなく「精霊」とされる。子供を人間として迎えるか、精霊のまま天に還すかを母親が決める。子供を天へ送るときは、へその緒がついた状態でバナナの葉にくるみ、白蟻の塚に放り込む。蟻が子供を食べつくすのを見計らい、塚を焼いて精霊になったことを神に報告する。 寿命や病気などで民族が亡くなった場合も同じことが行われる。「蟻葬」ともいう。

オーストラリアのアボリジニは人が死ぬと、まず土葬をし、10ヶ月位して土を掘り返し、白骨化した骨に残った肉を削ぎ取り、森に持って入り、親族で焼いて食する。死者の残った肉を食することで、その人のパワーを引き継ぐと考える。

フィリピン・マノボー族は、死んでも何も変わらない。「イブー」という死の国があるが、それは現世の延長線上にある世界という。そこで結婚したり、子供を産んだり、仕事をしたりして、日常の生活が永遠に続いていく。

フランス・ブルターニュの民間信仰では、人が死ぬと魂が抜け、それはハエになる。アイルランド民間信仰では魂はチョウになる。フィリピン・スーロッド族はコオロギになる。

エスキモーのイヌイット族は肉体は滅びても魂は永遠だという死生観のもと、生まれてきた子に死んだ人の名前をつけ、死者の魂を再び宿らせる。

道教では人が死ぬと魂は抜け、残った肉体は「魄」(ぱく)となる。これが恨みを残したりすると魂のない魄の妖怪=「キョンシー」(僵尸)になる。

スイスでは遺灰を使ってダイアモンドにする会社がある。スウェーデンでは遺体を粉末にして堆肥にする会社がある。アメリカでは遺灰をカプセルにして宇宙に飛ばして流れ星にする会社がある。

アメリカには蘇生が可能になる未来まで人間を冷凍保存する会社がある。すでに70人ほどが冷凍保存されている。全体は12万ドル。頭部のみは5万ドル。

死生観光の旅_01


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『まわしよみ新聞のすゝめ』クラウドファンディング、80万円満額達成しました!まだご寄附は最終日(8/19の23時59分)まで受け付けております!さらなる良い本にするためにも何卒、よろしくお願いします!

2014 年 8 月 13 日 Comments off

『まわしよみ新聞のすゝめ』クラウドファンディング、80万円、満額達成しました!!!みなさん、ほんまに、ありがとうございます!!!涙

締切一週間前の達成でした。途中全く動かずで、ひやひやしましたが、そういうもんなんですかね・・・^^; まだしかしご寄附は最終日(8/19の23時59分)まで受け付けております!さらなる良い本にするためにも、何卒、よろしくお願いします~!1000円のご寄附でもほんまに嬉しいです!m(_ _)m


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クラウドファンディング

2014 年 8 月 13 日 Comments off

クラウドファンディングってのはなかなか感動的で、色々と可能性を秘めてます。

大阪市の観光プロデューサー時代から、行政の助成金やら補助金やらはあかんという思いがずっとありました。助成金には担当の官僚がいるわけですが、どこに助成金を分配するか?いろんな学者、先生やら有識者を招いて審査するんですが、採用結果をみてもどうも首をひねることが非常に多かった。「結局、助成金ってのは、みんな他人事なんやな」というのがぼくの中での結論で。税金というのは、それを扱う官僚にとっても、これはやっぱり「自分のお金」(税金ですからみんなのお金)ではないんです。自分の懐をまったく傷めない。その結果、どうしても審査する方も甘くなってしまうし、また役所機構の場合は数年経てば担当官も部署も変わりますから。いつまでたっても審美眼なんてのは育たない。

昔の大阪にはタニマチってのがいました。タニマチは資産家です。若いアーティストを囲って、そのパトロンになる。自分のお金で芸術家を育てますから。失敗したら、自分の懐が痛む。だから自然と審査するのも真剣です。資産家はまた一流の目利きでもあって大阪には平瀬露香、藤田男爵、岩下清周、岩本栄之助、芝川照吉、小林逸翁・・・などなど伝説のタニマチにも事欠きません。審美眼が違う。おそらくは無数の失敗、えらい大失敗なんてのも経験してきたと思うんですな。しかし、そうした痛みの中から、ほんまもんを見抜く眼が養われる。

クラウドファンディングはネットを利用した寄附システムです。小口かも知れませんが、市民ひとりひとりがタニマチになる、パトロンになる・・・ということは素晴らしいことやと思うんです。失敗するかもしれませんが(『まわしよみ新聞のすゝめ』は面白いですよ!たぶん・・・)、そういう失敗を経験することで、審美眼が鍛えられるし、社会知が向上して、それに耐える、ほんまもんの何か(アートやらソーシャル・ビジネスやら)ってのが誕生してくるかも知れない。

いわば寄附の当事者性ですな。クラウドファンディングのようなシステムがもっと幅広く認知されて、世間に当然のものとなり、無責任な助成金システムを駆逐するような市民社会となることを祈ってます。


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朝活ニュースカフェ まわしよみ新聞149号~吉田ラストデイ~

2014 年 8 月 9 日 Comments off

ぼくはまわしよみ新聞の「生みの親」ですが、「育ての親」がいるとしたら、それはまちがいなく、西日本新聞社の安武さんと吉田くんです。このおふたりと出逢ったことで、まわしよみ新聞のフェーズが変わりました。これは「大学でまわしよみ新聞をやりました!」とか「行政がまわしよみ新聞を実施!」といった話とはちょっと次元の違う、実に異色な出来事で、要するに「新聞業界の外の人間」(ぼく)と、「新聞業界の中の人間」(安武さん、吉田くん)が、まわしよみ新聞をやることで、社会的なうねりを産みだすことになりました。

例えるなら禅語の「啐啄同機」。鶏の雛が卵から産まれ出ようとするときに、殻の中から卵の殻をつついて音をたてますが、これを「啐」といい、また、そのとき親鳥が外から殻をついばんで破ることを「啄」というんですが、この「啐」と「啄」が同時であって、はじめて殻が破れて雛が産まれる。物事を変革する時は、こういう「啐啄同機」のような奇跡がないとダメで、それがぼくと吉田くん、安武さんの出会いでした。

その吉田くんですが、西日本新聞社での契約を8月で終えて、次の新しい職場に転身ということになりました。今日が吉田くん最後の「朝活ニュースカフェまわしよみ新聞」。たくさんのひとが駆けつけてくれたようです。愛される男・吉田くん。ぼくも駆けつけることができたら駆けつけたかったですが、さすがに仕事で動けませんでした。ごめんなさい。

でも、また10月に九州いくので、そのときに感謝の宴をしたいと思いますw 吉田くん、ほんとにありがとう!あと、ご参加いただいたみなさん、ほんとにありがとうございました!m(_ _)m

以下の吉田くんの記事よりシェアです。

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朝活ニュースカフェ まわしよみ新聞149号~吉田ラストデイ~

こんにちは!事務局の吉田です。本日付けでニュースカフェから巣立つこととなり、今日で最後の朝活ニュースカフェとなりました。みなさま、大変お世話になりました。昨年11月から平日毎朝実施してきました。申し込み不要、飛び込み参加OKなので、主催側も会場にいってみないと誰か来るかわかりません。「今日はどんな人がきて、どんな記事を紹介しあい、どんな話が出来るかな?」と、毎朝ワクワクでした。初対面でも楽しめる、2度、3度一緒にすると、相手をより深く知ることが出来ます。故に、仲良しになれます♪ 「久々に新聞を読んだ!」「新聞でこんなに盛り上がれるなんて!」 新聞を楽しむ人、増えています。「自分でやってみたい!」「こんなところで活用したい!」 まわしよみ新聞編集長もどんどん増えていきます。デジタルの時代に、FACEBOOKやLINEではなく新聞を通して人と人が繋がっていきます。とてもステキな連鎖がおきています。

今朝はそのステキな連鎖の協力者がたくさん集まってくださりました。
・福岡市役所で実施してくださった小嶋編集長
・西南大学クロスプラザ局のゆきぼー編集長
・地元の公民館で実施した原口編集長
・宮若モス局の編集長であり、ボクの後任者の二島編集長
・書斎りーぶる局の真鍋編集長
・九州初!まわしよみ新聞(2013年9月18日)を開催した会場桜坂山ノ手荘の牛島さん
・初朝活ニュースカフェ(2013年10月10日)会場のカフェパンデローの山田さん
・まわしよみ新聞の虜となり何度も参加してくださった久保山さん、つぐまさん、泊さん。
・初ウェブ参加、折田さん笑

ありがとうございます!!とてもうれしく、おかしく、今朝は記事がまったく頭に入りませんでした。まだまだステキな連鎖は続きます。大人から子どもまで、新聞を繋いでいくまわしよみ新聞、ネバーエンディングストーリー♪

※ニュースカフェで出会った皆さま、大変お世話になりました。みなさまのおかげで今の私がいます。感謝!! 
ニュースカフェ事務局 吉田卓人


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「農業雇用支援サービス farm+biz(ファームビズ)」さんからのご依頼で、9月13日(土)14時~17時に大阪市難波にある「まちライブラリー@大阪府立大学」にてトークイベントをやることになりました!

2014 年 8 月 8 日 Comments off

ファームビズトークショーチラシ (1)_023

「農業雇用支援サービス farm+biz(ファームビズ)」さんからのご依頼で、9月13日(土)14時~17時に大阪市難波にある「まちライブラリー@大阪府立大学」にてトークイベントをやることになりました!

ぼくは「遊」というテーマでトークディスカッションをします。場所が場所なんで「直観讀みブックマーカー」をやろうかなぁ?とか思ってますが「当事者研究スゴロク」なんかももっていきたいと思ってます。「ART」というテーマには花村さん、ツキトさんもいらっしゃいます。ご興味ある方はぜひとも~!^^

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■farm+biz一周年トークイベント「地域×人ヂカラ」開催 
参加者も一緒にディスカッションしよう
http://farmbiz.jp/magazine/talkevent0913/

地域が元気になるためには、“人の活性化”が欠かせないキーワード。農業雇用支援サービス farm+biz(ファームビズ)がスタートして、もうすぐ1年。高知県での農業インターンシップの 運営、就農をサポートする取り組みの中で、人の成長、交流の輪が地域に大きなチカラをもたらすことを再認識しました。そこで9月13日(土)14時~17時、大阪市難波にある「まちライブラリー@大阪府立大学」で、farm+biz1周年トークイベント「地域×人ヂカラ」を開催します。

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■farm+biz 一周年トークイベント「地域×人ヂカラ」
日時/9月13日(土)14時~17時

【第1部 farm+biz講演会「地域×田舎・農業」】
●林佳吾(farm+biz 現地サポート責任者、株式会社FPI地域活性マネージャー)
「地域×インターンシップ」

●藪ノ賢次(farm+bizサイト運営、クックビズ株式会社代表取締役)
「人材の6次化なくして、農業の6次産業化なし」

●川村幸司&圭子(ゲスト講師)※詳細本文参照
「山カフェから見えたこれからの田舎暮らし」

【第2部 テーマ別トークカフェ「地域×人×!?」】
「農・食・暮・遊・ART」の5つのテーマから自由にチョイス

会場/まちライブラリー@大阪府立大学
大阪市浪速区敷津東2丁目1-41 南海なんば第1ビル 3F
南海なんば駅 中央出口より約800m (徒歩約12分)

http://opu.is-library.jp/

参加費/1000円(ドリンク+軽食付・定員50人・要予約)
お申し込み・お問い合わせ/TEL 06-6374-9912  
担当:farm+biz(ファームビズ)杉谷


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■ひと花センター「7/29遠出散歩の会」

2014 年 8 月 8 日 Comments off

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個人的に最近とても面白いのが、この仕事。ひと花センターの散歩の会の講師。「ひと花プロジェクト」といって、釜ヶ崎の単身高齢者で生活保護を受給している方の社会参加や生活支援のプログラムを行う事業ですわ。釜のおっちゃんやおばちゃんを連れて、大阪中をあちらこちらと歩いてます。

ぼくのおとん、おかん世代ですが、まちを歩きながら、思い出話が色々とでてきて、それがとても楽しい。みなさん、ほんまに呆れるほど波瀾万丈人生ですが、いろいろあったんでしょうけど、明るいんですな。ぼくもこういう高齢者になりたいと憧れてます。

画像は「ひと花センター」の公式サイトより。

■ひと花センター「7/29遠出散歩の会」
http://www.hitohanap.org/729遠出散歩の会/


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