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観光という哲学的実践は、じつは境界を越えやすい

2016 年 4 月 30 日

MJBにて打ち合わせ。シナモントーストと冷コー。オモロイ企画進行中!別にこの企画やってもぼくは一切、全く、儲かりはせんのですがww

タックスヘイブンで企業は税金を納めない。結果、近代国民国家が瓦解、崩壊しつつある。近代国民国家がなくなっても構わないが、では近代国民国家以外に誰が社会の秩序やセーフティネットを担保するのか?もしかしたらコミュニティに、その可能性があるかも知れない。コミュニティはしかし当事者のみで構築されて「他者」(マレビト、流れ者、敗北者、難民、漂泊の民、トリックスター、無縁などなど)を考えない。コミュニティから疎外される「他者のセーフティネット」としてはコモンズが考えられる。

こうした他者性と出逢い、想像させるメディア遊びがまわしよみ新聞やら直観讀みブックマーカーで、コミュニティ外まで当事者性を拡大させてみようという社会実験が当事者研究スゴロク。境界を超えるのは「遊び」や「実験」が都合がいい。他者性と出逢う仕組みや仕掛け。これはじつは「観光」の範疇で、観光という哲学的実践は、じつは境界を越えやすい。だからコモンズ・デザインには観光的アプローチが適している。

そない難しいことやのうて。「やってみなはれ」でええんですわ。ほんまに。やってみなはれ。


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