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2016 年 4 月 8 日 のアーカイブ

まわしよみ新聞は「語」やなくて「諧」の場である

2016 年 4 月 8 日 Comments off

まわしよみ新聞は「語」やなくて「諧」の場である・・・過去の、1年前の投稿です。FBが教えてくれました。おれ、こんなん書いてたんやw 

「スキマ」があるとなぜ語りやすくなるのか?・・・マニアとかオタクを想像してもらうとわかりやすいんですが、やたらとディープな情報ソースをもってる人と話をすると、会話や対話にならなくて、ただの「演説」というか、「一方的な場」になるんですな。相手が9割話して、片方は1割(せいぜい相槌ですな。「へえ」とか「そうですか」とか)ぐらいしか返すことができない。これがぼくのいう「スキマがない」という場でして。こういう場では「語」は決して「諧」とならない。

まわしよみ新聞はその場で新聞を広げて、情報ソースを選択します。「これに無我夢中なんです!」「100%好きなんです!」といった情報ソースと出逢うなんてことはほぼなくて(時々はありますが)。切り取られる記事は「ちょっと気になったんです・・・」「はじめて知ったんですが・・・」「なんとなく興味ひかれまして・・・」といった程度の記事なんですな。好き具合でいえば「50%好き」とか「60%好き」といった割合。そうした情報ソースには40%、50%の「スキマ」がある。だから、他者が「あ。いいですね」と自然と乗っかることができる。

熱狂的なファンと話をすると、怖いんですわ。「アイドルのAちゃん最高!!!」って人と話をして、それに付き合おうと思うと「ほんまやで!Aちゃん最高だよな!!!」と「同等レベルのハイテンション」でないと話にならない。「Aちゃんですか。かわいいですね」ぐらいの中途半端な好きの表明やと「お前はAちゃんのことがわかってない!!」と説教になりかねないw

他者と場を共有したいときは「スキマ」とか「余白」とか、そういったもんが大事なんですな。そうしないと「双方向の場」にならない。まわしよみ新聞は、そういう「スキマ」とか「余白」だらけの場になる構造、デザインです。だから場が自然と盛り上がっていく。

いまの世の中、どうも「一方的な場」が多すぎるように感じてまして。ぼくはなるべく「双方向の場」を作りたいと思ってます。もっともっと「スキマ」や「余白」がある場を。

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【以下、1年前の投稿】

龍谷大学の講師さんから「まわしよみ新聞を授業に取り入れたいです」とご丁寧なメールを頂く。関西学院大学の白波瀬さんがご紹介してくれたとか。ありがたいことです(白波瀬さん、ありがとうございます!w)。

まわしよみ新聞、オープンソースのメディア遊びで、大学はもちろん公民館、商店街、コミュニティ・センター、看護福祉施設、老人ホーム、小中高、会社、家、どこでも自由に使ってええというもんです。メディア遊びというてるから「所詮、遊びなんやろ?」と思われがちですが、じつはアクティブ・ラーニングには恰好の素材です。

先生・講師がトップダウン式で「これ(テーマ)について新聞を調べてきなさい」というもんやないんですな。生徒自身が「新聞読んでたら、こんな記事あった。ぼく、こんなん好きですねん」と語る・・・というボトムアップ式なんで、勝手に生徒の「当事者性が発動する」わけです。それを生徒同士でお互いにシェアするので「他者性を知る」(コミュニケーション・ツールになる)ということにも繋がっていくと。

面白いのがAさんがAという記事を切って話をしたら、BさんがAさん以上にAという記事について熱く語り出したり、それをうけてCさんがさらに思いっきり話を脱線させて・・・と、まるで誰の記事なのかわからないようになるという「乗っ取り現象」が起こるとき。これは「当事者性」と「他者性」が入れ替わって、二重螺旋構造のようになるんですな。この瞬間がまわしよみ新聞の最もエキサイティングな部分でして。「集団の物語」「共作のドラマ」が立ち上がるというか・・・なかなか言葉しにくいんですが、これはまわしよみ新聞をやったひとにしかわからない衝撃かもしれませんw 

要するに「語り」(言+吾)というのは「一人称(吾)の言葉」に過ぎないわけです。それが「諧」(言+皆)という「みんな(皆)の言葉」になると笑いが起きるし、ユーモアになると。まわしよみ新聞は「語」(ひとりの言葉)を「諧」(みんなの言葉)にする場やと思えば、わかりやすいです。

※なんで「語」が「諧」になりやすいのか?というと新聞記事が「スキマだらけ」であるからです。これについてはまた機会があれば書きます。書かないかも知れませんがw

まわしよみ新聞は「語」やなくて「諧」の場である・・・過去の、1年前の投稿です。FBが教えてくれました。おれ、こんなん書いてたんやw 「スキマ」があるとなぜ語りやすくなるのか?・・・マニアとかオタクを想像してもらうとわかりやすいんですが、…

Posted by 陸奥 賢 on 2016年4月7日


カテゴリー: 雑感 タグ:

まわしよみ新聞は「語」やなくて「諧」の場である

2016 年 4 月 8 日 Comments off

まわしよみ新聞は「語」やなくて「諧」の場である・・・過去の、1年前の投稿です。FBが教えてくれました。おれ、こんなん書いてたんやw 

「スキマ」があるとなぜ語りやすくなるのか?・・・マニアとかオタクを想像してもらうとわかりやすいんですが、やたらとディープな情報ソースをもってる人と話をすると、会話や対話にならなくて、ただの「演説」というか、「一方的な場」になるんですな。相手が9割話して、片方は1割(せいぜい相槌ですな。「へえ」とか「そうですか」とか)ぐらいしか返すことができない。これがぼくのいう「スキマがない」という場でして。こういう場では「語」は決して「諧」とならない。

まわしよみ新聞はその場で新聞を広げて、情報ソースを選択します。「これに無我夢中なんです!」「100%好きなんです!」といった情報ソースと出逢うなんてことはほぼなくて(時々はありますが)。切り取られる記事は「ちょっと気になったんです・・・」「はじめて知ったんですが・・・」「なんとなく興味ひかれまして・・・」といった程度の記事なんですな。好き具合でいえば「50%好き」とか「60%好き」といった割合。そうした情報ソースには40%、50%の「スキマ」がある。だから、他者が「あ。いいですね」と自然と乗っかることができる。

熱狂的なファンと話をすると、怖いんですわ。「アイドルのAちゃん最高!!!」って人と話をして、それに付き合おうと思うと「ほんまやで!Aちゃん最高だよな!!!」と「同等レベルのハイテンション」でないと話にならない。「Aちゃんですか。かわいいですね」ぐらいの中途半端な好きの表明やと「お前はAちゃんのことがわかってない!!」と説教になりかねないw

他者と場を共有したいときは「スキマ」とか「余白」とか、そういったもんが大事なんですな。そうしないと「双方向の場」にならない。まわしよみ新聞は、そういう「スキマ」とか「余白」だらけの場になる構造、デザインです。だから場が自然と盛り上がっていく。

いまの世の中、どうも「一方的な場」が多すぎるように感じてまして。ぼくはなるべく「双方向の場」を作りたいと思ってます。もっともっと「スキマ」や「余白」がある場を。

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【以下、1年前の投稿】

龍谷大学の講師さんから「まわしよみ新聞を授業に取り入れたいです」とご丁寧なメールを頂く。関西学院大学の白波瀬さんがご紹介してくれたとか。ありがたいことです(白波瀬さん、ありがとうございます!w)。

まわしよみ新聞、オープンソースのメディア遊びで、大学はもちろん公民館、商店街、コミュニティ・センター、看護福祉施設、老人ホーム、小中高、会社、家、どこでも自由に使ってええというもんです。メディア遊びというてるから「所詮、遊びなんやろ?」と思われがちですが、じつはアクティブ・ラーニングには恰好の素材です。

先生・講師がトップダウン式で「これ(テーマ)について新聞を調べてきなさい」というもんやないんですな。生徒自身が「新聞読んでたら、こんな記事あった。ぼく、こんなん好きですねん」と語る・・・というボトムアップ式なんで、勝手に生徒の「当事者性が発動する」わけです。それを生徒同士でお互いにシェアするので「他者性を知る」(コミュニケーション・ツールになる)ということにも繋がっていくと。

面白いのがAさんがAという記事を切って話をしたら、BさんがAさん以上にAという記事について熱く語り出したり、それをうけてCさんがさらに思いっきり話を脱線させて・・・と、まるで誰の記事なのかわからないようになるという「乗っ取り現象」が起こるとき。これは「当事者性」と「他者性」が入れ替わって、二重螺旋構造のようになるんですな。この瞬間がまわしよみ新聞の最もエキサイティングな部分でして。「集団の物語」「共作のドラマ」が立ち上がるというか・・・なかなか言葉しにくいんですが、これはまわしよみ新聞をやったひとにしかわからない衝撃かもしれませんw 

要するに「語り」(言+吾)というのは「一人称(吾)の言葉」に過ぎないわけです。それが「諧」(言+皆)という「みんな(皆)の言葉」になると笑いが起きるし、ユーモアになると。まわしよみ新聞は「語」(ひとりの言葉)を「諧」(みんなの言葉)にする場やと思えば、わかりやすいです。

※なんで「語」が「諧」になりやすいのか?というと新聞記事が「スキマだらけ」であるからです。これについてはまた機会があれば書きます。書かないかも知れませんがw


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「まわしよみ新聞の作り方」のインターナショナル版

2016 年 4 月 8 日 Comments off

昨日、相愛大学人文学部の新入生のみなさんにまわしよみ新聞を実施したんですが、「参加する新入生80名のうち、約半分の40名が海外からの学生です」・・・と聞いて焦りまして。急遽「まわしよみ新聞の作り方」のインターナショナル版(・・・といっても韓国語、中国語、英語だけですが)のレジュメを作成しました^^; グーグル翻訳を張り付けただけですが(ヘンな文章でも許してくださいw)、またこういう機会がくるかも知れないので、ご参考までにシェア。

イラストもあるんで「直観的にわかってもらえるんやないかな・・・?」と思ってたんですが、結構、わかってもらえたようですw よかったよかったw
※以下は文章部分m(_ _)m

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■「まわしよみ新聞」の作り方
“돌려 요미 신문 ‘을 만드는 방법   
如何使“转读报纸。”   
如何使“轉讀報紙。”
How to make a “turn reading the newspaper.”

①新聞を読みます。面白いと思った記事を切り取ります。切り取るのは広告、写真、漫画でも構いません。
신문을 읽습니다. 재미 있다고 생각한 기사를 잘라냅니다. 잘라내는 광고, 사진, 만화라도 상관 없습니다.
看报纸。切,我认为有趣的文章。不介意的广告,照片,甚至卡通削减。
看報紙。切,我認為有趣的文章。不介意的廣告,照片,甚至卡通削減。
Read the newspaper. Cut the article that I thought interesting. Does not mind advertising, photo, even cartoons to cut.

②切り取った記事を紹介します。みんなで話し合いましょう。
잘라낸 기사를 소개합니다. 모두 이야기합시다.
我们将介绍晋级文章。让我们大家一起交谈。
我們將介紹晉級文章。讓我們大家一起交談。
We will introduce the cut articles. Let’s talk with everyone.

③全員の記事を編集して「まわしよみ新聞」を作ります。完成したら壁に貼りましょう。
전체 기사를 편집하여 “돌려 요미 신문」을 만듭니다. 완성되면 벽에 붙여 보자.
编辑所有的文章将创建一个“转读报纸。”完成曾经让我们坚持到墙上。
編輯所有的文章將創建一個“轉讀報紙。”完成曾經讓我們堅持到牆上。
Edit the all of the article will create a “turn reading the newspaper.” Complete Once Let’s stick to the wall.


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そして豊岡劇場へ!まわしよみ新聞やります! 偶然なんでしょうけど「はなちゃんのみそ汁」やってましたww

2016 年 4 月 8 日 Comments off
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