なぜ「まわしよみ新聞」がうけるのか?・・・それは小さいけれども「世界を作る手仕事感覚」があるからです
「まわしよみ新聞」の制作には3つのプロセスがあります。
①新聞をまわしよんで記事を切りぬく
②切り抜いた記事をプレゼンしてみんなで話し合う
③記事を四つ切画用紙に張り付けて壁新聞を作る
このどれもが欠けると「まわしよみ新聞」にならないわけで、とくに一番重要なのが、じつは「③」で。例えば新聞をまわしよんで、おもろいと思う記事を赤丸つけて、それを話し合って終了・・・としてもいいんですが、ぼくはあえて新聞記事を切り取って、みんなで1枚の壁新聞として再編集しなおすという「エトス」(型)にしたんですな。これは、おもろい記事、興味深い記事を切り取ることよりも、それを上手にプレゼンしたり、話し合うことよりも、みんなで1枚の壁新聞をクリエイト(創造)することにこそ、「トポス」(場)の面白さが最大限に発揮されると考えたからです。①と②はいってみれば「個人芸」の範疇なんですが、③は「全体芸」になるというわけです。切り抜いた記事をどういう風に並べようか?貼っていこうか?この記事とこの記事を並べたら別の意味がでて面白いのでは?どう色づけしていこうか?タイトルや日付はだれが書こうか?スキマや空白をどうしようか?イラストでも描いてみようか?・・・要するに調整や構成や交渉や編集する能力が問われてくるわけです。①と②をうまいことやれても③はダメという人が世の中にはいるし、逆に①と②はダメでも③となると俄然、力を発揮するという人もいる。こうして、「まわしよみ新聞」を作ることで、ひとつの「小さな社会」「小さな世界」を創造することになり、「社会性」「世界性」を習練するステップにもなるわけです。
また非常に重要なのがハサミやノリで新聞の記事を切り取ったり、貼ったりという作業は「手仕事」で、この「手仕事感覚」こそが脳化してしまった情報社会に、もっともロストされている感覚だったりします。子供が無意味にハサミでヒモを切ったりするように、無意味にあちらこちらの壁にシールを貼るように、「ハサミで新聞を切る」とか「ノリで記事を貼る」とかいう作業は純粋に楽しいんですな。こういう「触覚的喜び」をみんなで共有できる体験って、大人になると、まったくないですから。そういう意味でも③のプロセスは非常に重要です。
それで、このプロセスはなにかに似ているなぁ?と前々から思っていたんですが、じつはこれは河合隼雄先生の「箱庭療法」に似ているということに気づきました。「四つ切画用紙」はいってみれば「箱庭」なんですな。まわしよみ新聞はそこに「新聞記事」というメディアを置いていきますし、箱庭療法ではそこに「おもちゃ」というメディアを置いていく。新聞記事は「2次元」で、おもちゃは「3次元」という違いはありますが、メディアを置いて「小さな社会」「小さな世界」を創造するという意味では、やってることは一緒です。ちなみに箱庭療法の発案者マーガレット・ローエンフェルド(Margaret Lowenfeld)は、箱庭療法のことを「世界技法」(The World Technique)と呼んでいたとか。まさに「世界を作る」という「手作業」なんですな。
なぜ「まわしよみ新聞」がうけるのか?・・・それは小さいけれども「世界を作る手仕事感覚」があるからです。やってみればわかりますが、これは非常に魅力的な体験です。自分がなにをやっているのかわからないほどに細分化された産業社会の住人であるぼくらには、これほど魅力的な体験はありません。
■まわしよみ新聞公式サイト
http://www.mawashiyomishinbun.info/
■まわしよみ新聞facebookページ
http://www.facebook.com/mawasiyomisinbun
画像は『河合隼雄と箱庭療法』と「まわしよみ新聞」の制作の様子。