4月から「電話占い陸奥」ではなくて、西成・釜ヶ崎の「ひと花センター」で「まち歩き(散歩の会)」の講師をやることになりました。
「ひと花プロジェクト」は2013年7月からスタートした釜ヶ崎地の単身高齢で生活保護受給者の社会参加プログラムを行う事業(事業主管:西成区保健福祉課)です。「釜のおっちゃんたち」といえば毎月支払われる生活保護をもらった瞬間からお酒やらギャンブルやらに使い果たす…というような誤ったイメージがありまして、これはテレビの偏向報道の影響が大きいのですが(極々一部の人間の行いだけを切り取ってセンセーショナルに報道して、恰もそれが全体の状況であると見せるのがテレビの常套手段。はっきりいいますが大部分の釜のおっちゃんたちは、気前のいい、優しい、オモロイおっちゃんたちです)そういったマイナスイメージを払拭するために、色んな地域活動、社会活動に参加してもらおうというもんです。実際におっちゃんらがやっていることとしては、まちや公園、道路の清掃活動やら祭の手伝い、アーテイストと一緒にやる表現プログラム(作品作り、ワークショップなど)、農作業などなど。生活保護を渡してハイ終わり!ではなくて、仲間作り、関係性作りをやっていく。なんでこういうことを今までやってこなかったのか?不思議でしょうがないですが、遅ればせながらですが、こういう事業が始まったのはええことや思います。
また日本の高度経済成長を現場で支えてきたという人たちですから、兎に角、バイタリティがあって知的好奇心も旺盛。このあいだ初めて「まち歩き」をしましたが、大阪の昔話、思い出話に花が咲いて、ほんまに、おもろかったですな。貴重なまちネタが聴けて、ぼくの方が勉強させてもらってますww ありがたいお仕事です。感謝。
■ひと花センター「3/27 散歩の会」
http://hitohanap.org/327 散歩の会/
「9条」がノーベル平和賞を取ったら、幣原喜重郎という人の「狂気の平和思想」がもうちょっと世界に広まったら面白い。9条は「狂気の沙汰」なんです。9条を発案した幣原喜重郎自身がそういっている。
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「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」
平野三郎『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』
http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html
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こういう幣原の「狂気の平和思想」ってのは発想が大阪人的です。大阪人はこういう「逆転の発想」をよくやります。「対偶」から物事を考えてみる。じつに、ユニークで、面白い。「9条は素晴らしい狂気」という自覚を、日本人が持てるかどうか?それが今後の9条の行方にもかかってきます。
以下は昔の駄文。
■政治家不在の風土と大阪の首相(鈴木貫太郎と幣原喜重郎)
http://goo.gl/rqNYJ0
元々、大阪という土地柄は政治家を生みません。近代政治とはイデオロギー闘争。ところが大阪人はそもそもイデオロギーを信用してません。もっと実質的な、現実的なものに価値をおきます。算盤を弾く。民主主義?なんやそれ?食えるんかいな?食えるんやったらよろしい。そういう態度が人生の根底の部分にあります。幕末の動乱期でも「やれ攘夷だ」「開国だ!」「倒幕だ!」「公武合体だ!」なんてやってたのは薩長土肥会津といった田舎もんでして。大坂人は一切知らんぷり。鳥羽伏見の戦いも大坂の町衆は弁当もって高みの見学してました。幕末時に緒方洪庵や福沢諭吉といった偉大なる学問家、書生を生みましたが、彼らは志士でも政治家でもないです。
日本の歴代首相を見てもそうです。大阪出身の首相はわずか2名だけ。鈴木貫太郎と幣原喜重郎。この2人も非常に特殊な事業で日本国首相になりました。鈴木貫太郎は、日本の敗戦濃厚の時期に、昭和天皇から「頼む。もう鈴木しかいない。ぜひとも総理大臣になってくれ」と懇願されて、いやいやながら首相になったという人物。昭和天皇から頭を下げられて首相になったのは日本の歴史上、鈴木貫太郎のみといわれてます。鈴木貫太郎がやったことは和平交渉であり、連合国のポツダム宣言の受諾。「進め!一億火の玉だ!」「一億総玉砕!」なんて物騒なことを叫ぶ軍部の暴走をとめて日本を敗戦に導きました。終戦記念日を題材にしたドキュメンタリーブック『日本のいちばん長い夏』(半藤一利)なんかを読めば、鈴木貫太郎の仕事は、まさに命がけの仕事だったことがよくわかります。
幣原喜重郎も昭和天皇から請われて成立した敗戦処理の臨時内閣です。幣原はすでに政界を引退していましたが、どうも近々、首相に任命されそうや・・・と鎌倉に引越して逃げようと荷物をまとめていたところで昭和天皇から呼び出されて直々に説得され、しぶしぶ首相になった・・・という人物。鈴木貫太郎も幣原喜重郎も首相になろうとしてなったのではなく逃げ回っていたわけで、こういうとこが、じつに大阪人的ですなw 幣原喜重郎は戦前から「幣原外交」と呼ばれる平和外交で有名でした。幣原路線でいっていれば日本は太平洋戦争を回避できたかも知れませんが結局、戦争拡大路線の田中義一派(長州出身。俗にいう田中外交)にやられて日本は破滅への道をひた走りに走ってしまった。また幣原はしぶしぶ首相になりましたが、一世一代の奇策を編み出しまして。それが「日本非武装中立宣言」。これが憲法9条に結びついて戦後日本の「重経済・軽軍備路線」が確定しました。最近は9条に対して「時代にそぐわない。改憲すべき」といった論調も数多くみられますが、幣原が「非武装中立」なんて言い出したときは現在の比ではなく「理想論」「狂気の沙汰」「非現実的」「老人の世迷言」「日本が滅ぶ」と散々に貶されました(なんせ当時は米ソ冷戦の幕開け時代でしたから)。しかし、この幣原の「非武装中立宣言」がなかったら、今日見られるような、戦後日本の空前絶後の経済的繁栄はなかったと断言できます。日本が戦争に負けてボロボロだったからでこそ編み出された、幣原外交の奇策中の奇策。じつに超々高度な政治的判断でした。
鈴木貫太郎が1945年4月から8月の4ヶ月間。幣原喜重郎が1945年10月から1946年5月までの7ヶ月間。ふたりあわせても1年にも満たないですが、この2人の大阪出身の首相が在任中にやったことは戦後日本にとって非常に大きい。太平洋戦争という歴史の大きな流れを個人の責任に帰結するのは横暴な話ですが、しかし開戦前夜の首相・・・近衛文麿(京都・公家出身)や東条英機(東京・軍人出身)がやった愚かしい太平洋戦争の尻拭いを大阪の首相2人でやったというのは紛れも無い歴史的事実です。日本という国が、ボロボロでどうしようもなくなったときに、さっと登場して、やるだけのことをやると、すぐに首相をやめていった。「大阪の首相」が登場したのは日本という国が非常に特殊な事情であっただけで、完全にこの2人の存在は大阪という政治家不在の風土からすれば「イレギュラー」であり「異分子」です。大阪はアンチ政治家の風土であり、ほんまは首相なんて出てくる土地柄ではないですから。時代のどうしようもない要請で、たまたま、偶然、そうなっただけ。大阪人が首相をやる時は、日本がおかしなったときですw
そういう馬鹿馬鹿しい時代が再び来ないことを祈りますよ。大阪人は政治なんてやるほどヒマやないんです。人生は短い。もっと有意義に、実質的に、一所懸命に、楽しまないといけない。
4月から「電話占い陸奥」ではなくて、西成・釜ヶ崎の「ひと花センター」で「まち歩き(散歩の会)」の講師をやることになりました。
「ひと花プロジェクト」は2013年7月からスタートした釜ヶ崎地の単身高齢で生活保護受給者の社会参加プログラムを行う事業(事業主管:西成区保健福祉課)です。「釜のおっちゃんたち」といえば毎月支払われる生活保護をもらった瞬間からお酒やらギャンブルやらに使い果たす…というような誤ったイメージがありまして、これはテレビの偏向報道の影響が大きいのですが(極々一部の人間の行いだけを切り取ってセンセーショナルに報道して、恰もそれが全体の状況であると見せるのがテレビの常套手段。はっきりいいますが大部分の釜のおっちゃんたちは、気前のいい、優しい、オモロイおっちゃんたちです)そういったマイナスイメージを払拭するために、色んな地域活動、社会活動に参加してもらおうというもんです。
実際におっちゃんらがやっていることとしては、まちや公園、道路の清掃活動やら祭の手伝い、アーテイストと一緒にやる表現プログラム(作品作り、ワークショップなど)、農作業などなど。生活保護を渡してハイ終わり!ではなくて、仲間作り、関係性作りをやっていく。なんでこういうことを今までやってこなかったのか?不思議でしょうがないですが、遅ればせながらですが、こういう事業が始まったのはええことや思います。
また日本の高度経済成長を現場で支えてきたという人たちですから、兎に角、バイタリティがあって知的好奇心も旺盛。このあいだ初めて「まち歩き」をしましたが、大阪の昔話、思い出話に花が咲いて、ほんまに、おもろかったですな。貴重なまちネタが聴けて、ぼくの方が勉強させてもらってますww ありがたいお仕事です。感謝。
■千里ニュータウン情報館平成26年度春季企画展
千里ニュータウン内で発行された新聞「千里タイムズ」「千里」「ニュータウン新聞」の3紙を中心に、千里ニュータウンで起こった様々な事件やエピソードを取り上げ、まちづくりの歴史を振り返ります。
★まわしよみ新聞
【場所:千里ニュータウンプラザ2階エントランス】(ラコルタとの共同事業)
昭和45年(1970年)頃の千里ニュータウンの新聞をまわしよみして、壁新聞を作ります。
日時:5月23日(金)午後1時30 分~3時30 分
申込不要。参加費無料。先着 20 名。