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2017 年 3 月 のアーカイブ

東長寺。福岡大仏。

2017 年 3 月 20 日 Comments off
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聖福寺。

2017 年 3 月 20 日 Comments off
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平岡浩太郎墓。玄洋社創立者。頭山満の碑文が刻まれてましたw

2017 年 3 月 20 日 Comments off
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廣田弘毅首相の墓

2017 年 3 月 20 日 Comments off

廣田弘毅首相の墓。福岡出身の首相は廣田弘毅と麻生太郎の2人。

廣田弘毅は軍人ではなくてA級戦犯で絞首刑になった唯一の文官。優柔不断な首相で軍部の独走を止められなかったとも言われるし、自らが罪をかぶって昭和天皇を守ったともいわれる。その昭和天皇からはあまり信用されてなかったそうですが…。

毀誉褒貶激しい。時代に翻弄されたんでしょうな。南無阿弥陀仏。


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漢委奴国王印

2017 年 3 月 20 日 Comments off

ほんまもんの「漢委奴国王印」の大きさ(1寸。約2.3センチ。ビックリするぐらい小さい)を知ってると、この大きさは詐欺やないかと…w


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当事者研究スゴロクってなんですか?

2017 年 3 月 20 日 Comments off

「当事者研究スゴロクってなんですか?」「当事者研究スゴロクもやってみたいんですが、どうやればいいんですか??」といった質問が立て続けに来まして・・・ちょっと、まとめてみました。

まわしよみ新聞や直観讀みブックマーカーとは、また一味違うコモンズ・デザイン。機会があれば、ぜひやってみてくださいm(_ _)m

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■当事者研究スゴロクについて
2017/3/20 陸奥 賢 記

http://wp.me/pxlkK-27j

【当事者研究について】
当事者研究スゴロクの「当事者研究」とは、北海道浦河町にある「べてるの家」と「浦河赤十字病院精神科」ではじまったアセスメントとリハビリテーションのプログラムである。精神障害当事者の幻聴や幻覚は「治さないといけない病気」ではなくて「その人なりの自助」であると捉えるところに特徴がある。そして、それらを開示し、仲間や関係者と一緒に考えて、さらに「その人なりの生きやすい自助」のパターンを見つけようとする研究のことを指す。

もう少し具体的な研究の一例を挙げれば、べてるの家では精神障害当事者の若者Aが来て、幻聴に苦しんでいるとすると、その幻聴を「幻聴さん」と擬人化して客人のように扱う。そして幻聴が聞こえたとなると、その場にいる精神障害の当事者全員で、その場には見えない幻聴さんに向かって話かけていく。

若者A「最近、また幻聴さんがひどいんです」
当事者B「いま幻聴さん、何ていってるの?」
若者A「Kくんを殴れと幻聴さんはいってます」
当事者C「Kくんはなにも悪いことしてないよ」
当事者D「そんなことしたらダメだと幻聴さんにいってあげて」
若者A「幻聴さん、Kくんはなにも悪いことをしてません。だからぼくは殴れません」

このような幻聴さんとのやり取りが全員で続けられていく。そうすると、幻聴自身はなくならないが、いつのまにか幻聴さんの言葉の中身が変わってくるという不思議な現象が起きるという。つまり幻聴さんは来るが若者Aに対して「最近、がんばってるなぁ」「このあいだはよかったぞ」などと優しい幻聴さんになり、結果として若者は暴れなくなる。

これは幻聴という病状がなくなったわけではないので、医学的な「治療」ではない。依然として幻聴は聞こえ続ける。しかし、暴力的、自虐的な幻聴を、みんなで幻聴さんとして迎え入れると、なぜか優しい幻聴さんになってくる。べてるの家の独特の言葉で表現すると、これは「幻聴さんと友達になった」という状況を指す。こういった自分の病気やダメとされる部分…「弱さ」を治そうとするのではなくて、その「弱さ」を受け入れて抱えたまま、みんなで活かしていくことを当事者研究という。

当事者研究スゴロクは、この精神障害の現場で発生した当事者研究という考え方や思想に共感、インスパイアされて作られた人生スゴロクである。

【当事者研究スゴロク】

https://tk-sugoroku.jimdo.com/

※上記、サイトにてダウンロードが可能。

【当事者研究スゴロクの遊び方】
※用意するもの:当事者研究スゴロク、メモ、ペン、コマ、サイコロ

①基本は4名で1グループを作る。2名でも6名でも遊べるが推奨は4名。人数が多いときはチームをわけて実施する。

②自分の人生を振り返り、過去に経験した「失敗・挫折・苦労」のエピソードをメモに書いていく。ひとり何個でも構わない。「トラウマを泣きながら吐露する」といったものではないので、自分が冷静となって、書ける範囲、話せる範囲のエピソードで留めること。※ちなみに、このエピソードには「テーマ」を決めてもいい。例えば「恋愛(にまつわる苦労、失敗、挫折)」「就職」「家族」「上司」「お金」「介護」「DV」「LGBT」など。

③メモをお互いに見せあって、どんな苦労・失敗・挫折であったのか?詳しい内容を話し合う。

④メモ(エピソード)を一文にまとめて、四角い白枠に書きこんでいく。書きこむ白枠は全部で8枠あるので、4人1グループでやっているさいは、参加者ひとりにつき、2枠(2つのエピソード)を書きこむ。

⑤失敗・挫折・苦労のエピソードの「稀少レベル」を全員で6段階で評価する。よくある失敗、挫折、苦労のエピソードなどは「1コマ」となり、すごい衝撃(レアで稀な苦労、失敗、挫折)のエピソードなどは「6コマ」となる。聞いたことのない失敗、とんでもない挫折、想像を絶する苦労であればあるほど、高く評価される。コマ数を決めたら白枠の下にある「○コマすすむ」の中に数字を書きこむ。

⑥ようやく当事者研究スゴロクが完成。いよいよスゴロクで遊ぶ。4人分のコマをスタート地点に並べて、サイコロを振って、スゴロクをスタートする。

⑦最初の1コマから6コマは「自己病名」をつける。スゴロクの右欄にある「みんなの自己病名枠」に書きこむ。この自己病名とは医者がつける「統合失調症」や「双極性障害」といった医学的な病名ではなく、自分が現在、感じている苦労、失敗、挫折を織り込んだ自己流の病名のことである。※例:「問題先送り症候群」「なんちゃって優等生病」「すべてにおいて上の空シンドローム」など。

⑧「幻聴さんがやってきた!」のコマは「もしあなたに幻聴さんがやってきたら、いま、なんていっていますか?」という意味の問いであり、その答えを考えて「ふきだしの枠」の記載する。

⑨「今晩、イクメさんが来るよ」のコマは、あなたの言いたい本音が顔にイタズラ書きされるという幻視(イクメさんの仕業とべてるでは表現する)であり、自分にもイクメさんが来ると想像して、顔にかかれる「言葉」や「絵」をコマに記載する。

⑩「格言コマ」は読み上げる。この格言には当事者研究のエッセンスが込められている。

⑪全員のコマがゴールをすれば、終了。

※最初はなかなか「失敗、苦労、挫折のエピソードを書いて」といっても書きにくい。「初対面なので緊張する」という場合もあるし、「知り合いがいるので書きにくい」という場合もある。そのさいは失敗、苦労、挫折のエピソードを書くメモを匿名で書くとしても良い。そのさいは誰かひとりが進行役となって、メモを集めて、ひとつひとつ発表していく。いろんなエピソードを読みあげて、みんなで感想や意見を言い合う。このさいに「じつはそのエピソードは私です」と名乗り出たい人は、名乗りでてもいいとする。名乗り出た場合は、より詳細なエピソードが聞きだせる。匿名バージョンの当事者研究スゴロクの場合は、本人の自由意思を尊重して「このエピソードは誰ですか?」と詮索するのはやめましょう。

【当事者研究スゴロクの効果・ねらい】
①過去にあった人生スゴロクの大部分が「上昇していく生き方」を目指すが、当事者研究スゴロクは「下降していく生き方」こそが人生の醍醐味であると捉え、衝撃的な失敗、苦労、挫折の持ち主を「人生の偉大なる先達」「下降人生の達人」として褒め称える。

②失敗・挫折・苦労エピソードを話すが、その「稀少レベル」「衝撃レベル」をみんなで評価することで、自分の失敗、挫折、苦労を「大変だと思ってたけど3コマぐらいなんだ…(自分の失敗や苦労や挫折なんてまだまだである)」とか「6コマレベルですごいといわれた!(失敗のエピソードだが、人生の達人と褒められた。嬉しい)」といったように相対化できる。

③当事者研究スゴロクを体験すると、いざ人生の失敗、苦労、挫折が起きた時に「これで、いいスゴロクコマのネタができた…」と考えることもできる。失敗や苦労、挫折の経験を「スゴロクのコマ」というものに「外在化」して切り離すことに成功しているわけで、痛みやショックを和らげることができる。

④やればやるほど「6コマレベル」を目指したくなるので、どんどんとみんなが、より衝撃の失敗・挫折・苦労エピソードを語りだす。「弱さの情報公開」が進むわけだが、「Aくんはそういうところがある」「Bさんてそういう人間なんや」とその周知や理解が生きやすさに繋がっていく。

⑤医療の現場で誕生した、高度で専門的な「当事者研究」であるが、それを全く知らない人間でも気軽に楽しめる、アイスブレイク的なコミュニケーション・ツールである。

⑥大阪は商人のまちだが、商いは「自分はこれはできないが、これはできる」と「弱さの情報公開」をして、腹を割って話をしないと先に進まない。「できるというので、やらせてみたができませんでした。逃げました」といったように「武士は食わねど高楊枝」と自分の実力を大きくいう見栄っぱりな人間は嫌われる。しかし、自分の弱さを情報公開するのはなかなか難しい。そこで「笑い」によって、それを自然に成し遂げる。「大阪人の笑い」というのは基本的に「自分の失敗話」であり、Aくんが「最近、こんな失敗したんや」と話をすると、それをうけてBくんは「お前、アホやなぁ!おれは、このあいだこんなことあったわ」と話す内容は、Aくんよりもさらに酷い失敗話を繰り広げる。そうやって「笑い」でオブラートに包みながら、自分の弱さを徐々に情報公開しながら、相手の弱さの情報公開を聞き出して、「ぼくはこんなダメな人間ですが、よろしければお付き合いください」「いえいえ。ぼくこそ、こんなにダメな人間ですが、よろしくおつきあいください」と弱さを基軸に社交していく。当事者研究スゴロクをやっていると、自然と、こうした「大阪的笑いのコミュニケーション」が獲得できる。

⑦日本では「世間さま、他人さまに迷惑をかけてはいけない」といって育てられるが、インドでは「人間はカンペキな存在ではない。自分は絶対に他人に迷惑をかける。だから他人に迷惑をかけられても文句はいわないで助けてやれ」と育てられるという。人間は弱い生き物で、変でダメな存在だが、それは「お互いさま」であり、だから「許しあおう」「助け合おう」という思想が広まる。「迷惑をかけるな」という社会からは、寛容性がなくなっていき、その結果、どんどんと「生きづらい社会」になっていく。誰もが互いに弱さを認め合える社会こそが、多様な生き方を肯定できる社会につながっていくのではないか?当事者研究スゴロクには、そうした思想が込められている。


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まわしよみ新聞+演劇

2017 年 3 月 19 日 Comments off

全国まわしよみ新聞サミットにて。五味さんの報告。五味さんは「まわしよみ新聞+演劇」をいろいろとやってはります。終戦記念日をテーマにしたり、元ホームレスの人や60歳以上の高齢者と実施したとか。

元ホームレスのみなさんとのまわしよみ新聞+演劇には、イギリスのブリティッシュ・カウンシルの関係者も参加していたとか。感想は「こんなに美しいワークショップは観たことがない」と大絶賛やったそうです。

「美しい」は嬉しいですな。イギリスでも「まわしよみ新聞+演劇」をやろうという動きもあるとか。ぜひ実現して欲しいなあ。五味さん、期待してます!w


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全国まわしよみ新聞サミット2017

2017 年 3 月 19 日 Comments off

全国まわしよみ新聞サミット2017「新聞で遊ぶ。未来を語る。」!楽しい時間でした^ ^ 関係者さま、参加者さま、支援者さま、はじめて会ったみなさま、ほんまにありがとうございました!m(_ _)m

今年度、サミット幹事長の西日本新聞社の安武さんは映画、絵本、食育に関する講演や記事執筆で日本全国各地を飛び回ってめちゃくちゃ忙しく、なかなかまわしよみ新聞活動は出来ていなかったそうで「誰もサミットなんて来ないのでは…」と思っていたそうですが、蓋を開けてみれば第1部、第2部で総勢70名を超える参加者が来てくれはりました。

これ、考えたら凄いことですな。福岡では、西日本新聞社さんだけがまわしよみ新聞の担い手やないというわけです。むしろ西日本新聞の読者が、市民が、主体的にまわしよみ新聞を発行して、その活動を広めていってくれている。そういう市民文化、新聞文化、福岡文化を醸成しつつある。だから、安武さんがなかなか動けない中でもサミット参加者は増えた。

さらに今年は河北新報社の畠山さんのはからいで「仙台ファイブブリッジ会場」もできましたから。そちらの参加者は13名やったそうで、足すと83名。大台の100名はいかなかったですが(ザンネン!w)、1回目・2回目が50名程度やったんで、過去最高の参加者数となりました。いやあ、凄い。ほんまに来年のサミットは100名を超えるかも知れません。

あと「全国まわしよみ新聞サミットは持ち回りもええねえ」という話も出てきました。北海道開催!広島開催!青森開催!なんて声も。日本全国各地で「全国まわしよみ新聞サミットまわし」ができたらええなあと思ってますw

まわしよみ新聞自体はまだ4年目。今年の9月29日で、ようやく5年目になります。破竹の勢いで、北海道から沖縄まで、日本全国各地にまわしよみ新聞編集長がいる。いろんな名(迷?w)編集長、プレイヤーが出てきてます。まわしよみ新聞関係者、ひとがオモロイんよなあ。新聞関係者でも、まわしよみ新聞に着目してるひとは、ちょっと会社で浮いてる気がしますww

来年のサミットも、また多様なひとがくるんでしょう。マレビトよ。こぞりて来たれ。多様性ことがまわしよみ新聞の華です。



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歌垣風呂の毎日新聞さんのツイート。結構、リツイートされてます。ありがたいことですm(_ _)m

2017 年 3 月 17 日 Comments off
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フォーラムシアター@應典院

2017 年 3 月 17 日 Comments off

應典院スタッフで役者の沖田さんの投稿をシェアm(_ _)m

4/7(ぼくはこちらにでます)と4/8に「フォーラムシアター」を應典院でやります。「被抑圧者の演劇」とも呼ばれているとか。25年前の翻訳なんで、ちと、コトバが古いですな。政治的なニュアンスも強い。今風に治すと(結構、乱暴な意訳ですがw)「弱者(社会的弱者)のための演劇」になるんやないかな?もしくは、「当事者(障害当事者)演劇」といってもいいのかも知れませんな。

以下は演出家の大岡淳さんのフォーラムシアターの解説。

『俳優たちが特定のコミュニティに入り、そのコミュニティにおいて発生している、政治的・社会的な問題を提供してもらう。俳優たちはその問題を描写する、10~15分程度の短い場面を、演劇として制作する。そしてコミュニティのメンバーを集め、彼らの前で1度上演する。そして、ジョーカーと呼ばれる司会進行役が「このままでいいのか?」と観客に問題提起し、短い場面が再び上演されるが、今度は演劇を観ながら「もし○○が××したら事態は改善するんじゃないか?」と気づいた時点で、その観客は俳優と交代して自らその○○を演じ、別の可能性を提示する。俳優たちも、観客の介入に従って、即興的に上演の内容を変えていく。このようにして次々に観客が上演に参加し、ありうべき未来の選択肢が無数に提示され、それらを実現する困難さや可能性が吟味される。ジョーカーや俳優は、観客を特定の解決策に誘導することはせず、解決策はあくまで観客が身体を動かしながら、自身で発見することが求められる。このように、民衆=観客を、単に俳優の演技に感動するだけの消極的な存在から解放し、俳優にかわって自ら積極的に行動し、現実を変革する主体へと変えていくのが、ボアールの考える「被抑圧者の演劇」である』

基本、ドキュメンタリーな演劇者に対して「なぜ?」とか「ちがう」とか「こうだ!」とか、被抑圧者・社会的弱者・当事者が混入して、ロールプレイやフィードバックを重ねて「いろんなストーリーの可能性」を提示していく・・・。これ、精神科医では有名な「SST」(ロバート・リバーマン教授が考案。ソーシャルスキルトレーニング)にも似てますな。

■ウィキペディア「ソーシャルスキルトレーニング」

https://goo.gl/oZCNfc

ただ、SSTは演劇者ではなくて当事者同志でロールプレイをしていく。フォーラムシアターは、一端、外部化するというか、演劇者でやることで、さらに舞台という場でやることで、射程範囲が広いというか、参加者層の多様性を獲得し、社会的訴求力を強めることができるんかも知れません。基本、政治的なんですなw

ただ、今回の應典院でのフォーラムシアターでは、どこまで踏み込んでやれるのか、ちょっと未知数なところがあります・・・その辺は演出家の泉さんの腕の見せ所ですがw ぼくは「パネリスト」(これはボアールいうところの「ジョーカー」的役割とはちと違う気がする)という立場で参加するんですが、ほんまは、ぼくだけやのうて、現場にいる誰もが介入・混入していく方が、豊かで、可能性が広がって、オモロイ。なんせ脚本のテーマは「恋愛」ですからな。恋愛に関して当事者でない人はいないはず。観客のみんながみんな「私ならこうするわ!」とかいうて話しだしたら、混乱して、意味不明になって、大失敗になりそうやけどw

試行錯誤的な場になりそうですが、こういう果敢なこと(いうても20年以上前の実験演劇らしいですけどw)をやっていかな、日本の、大阪の、小演劇界はあかんのちゃうか?という気もするので。いや、ほんまに。応援支援の意味も兼ねて、ぜひ遊びにきてください!m(_ _)m

※舞台上で輝かしいスポットライトを浴びる「演劇者」は、政治でいうと選挙で選ばれた「代議士」みたいなもんですな。でも、ほんまは、政治は、ひとりひとりの市民で決まる。「代議士」とは「(あなたの)代わりに議会にでる人」でしかない。間接民主主義にはいろんな弊害がある。本来は「代わり」である人が権力を握った途端、専横を初めて、結局、民意が反映されない。直接民主主義の方が、当たり前やけど、直接民意を反映する。いろんな紆余曲折を経るでしょうが、やがて、そういう方向に舵をとっていく。近代政治(間接民主)から現代政治(直接民主)になっていく。※電子的直接民主主義にはいろいろと注目しています。

■ウィキペディア「電子的直接民主主義」

https://goo.gl/Q6rwVP

演劇者だけが、あいも変わらず近代(間接演劇者)をやっていても世間から置いてけぼりを食らうだけです。ひとりひとりの市民を、直接演劇者に、演劇当事者にしないといけない。そのためのアプローチが、これからの演劇者の仕事やないか?と思ってます。フォーラムシアターはまさしくその流れやとも。

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ブラジルの演出家アウグスト・ボアールが提唱した「被抑圧者の演劇」をご存じですか?著書が出ているのですが、現在は絶版で、買おうとすると数万円の価値がついているとか・・。しかしなぜか、應典院の本棚に、あったんです。

ボアールの演劇方法論の一つである「フォーラムシアター」。日本では馴染みがあまりないように思いますし、やるとなると少し編集しないとやりにくいという声もあるようです。そんな中、應典院ではこんな取り組みがはじまります。

OMS戯曲賞を受賞した戯曲『愛情マニア』作:サリngROCK(突劇金魚)を元に、シーンを上演しながら現代における恋愛という関係性について語らうという催しです。

双方向性演劇体験。初めての試みなので、どのようになるのか緊張です・・。ぜひご一見いただき、叱咤激励ください。

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▽上演日時
4月7日(金) 19:00
4月8日(土) 13:00

▽チケット料金
一般 1500円
学生・應典院寺町倶楽部会員 1200円
共通パスをお持ちの方 1000円
沖田に直接メッセージいただけたらご予約いたします。詳細はリンクURLをご覧ください。お運びをお待ちしております。


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