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2022 年 4 月 8 日 のアーカイブ

『福島白河バージョン まち歩きフォトスゴロクノート』、ついに完成です!!!

2022 年 4 月 8 日 Comments off

去年の後半はこの仕事にドップリだったんですが『福島白河バージョン まち歩きフォトスゴロクノート』、ついに完成です!!!

福島県立博物館さんのポリフォニックミュージアムのプロジェクトにアーティスト枠として招聘され、白河の高校生と白河のまちを結びつけるワークショップとコミュニケーション・ツールの開発…ということで作成したのがこちらです。

元々、大阪ではフォトスゴロクを作成して、いろんな現場で使っていたのですが、それを編集、カスタマイズし、福島県バージョン、白河市バージョンのまち歩きフォトスゴロクを作成しました。

構成は大まかには5つ。

①白河まち歩きフォトスゴロクのワークショップの藤城 光さんのレポート(読ませます!)

②僕の白河リサーチのレポート「白河を逍遥しながら」

③「まち歩きフォトスゴロクの作り方」「まち歩きフォトスゴロクの効果」

④「陸奥賢作成の白河まち歩きスゴロク」(こんな感じで作ります…という一例の紹介です)

⑤みんなで実際に作ることができる「白河まち歩きフォトスゴロク」「福島まち歩きフォトスゴロク」

特に凄いのが⑤でして。このノートは去年の仕事の報告書であるのですが、それだけに収まらずに「あなたも実際にまち歩きフォトスゴロクが作れまっせ!ぜひとも作ってください!」という「遊びの仕掛け」が組み込まれています。

今回のプロジェクトはやりながら報告書で留まっていては勿体ない…という気がしていて出来ればプロジェクトのプロセスや方法論ややり方が開示され、共有され、実行され、社会化されていく…というカタチまで持って行きたかった。なので報告書+実践ツールを一体化してノートに纏めてみました。

僕はコモンズ・デザイナーと名乗って諸々の社会実験プロジェクトを展開してますが要するに「いつでも、どこでも、だれでも使用可能な社会財、共有財を作りたい」というのが常に念頭にあります。『まち歩きフォトスゴロクノート』はコモンズ・デザインの理念に則った最新作品です。

これはまた僕ひとりだけの力ではなくて福島県立博物館さん、白河のコミュニティカフェ「エマノン」のみなさん(とくに代表の青砥 和希さんには多大なご協力を頂きました。青砥さんがいないとこのプロジェクト成立してません!本当に感謝です!m(_ _)m)、白河の高校生のみなさん、白河各地のミュージアム関係者や白河市役所の方など、いろんな方にお世話になり、ご協力頂き、試行錯誤しながら完成しました。

いまはノートはミュージアムやアート関係者に配布されていると思いますが、数に限りがあります。PDF化して公開されて福島、白河のいろんな方にダウンロードしてプリントアウトしてもらい、あちらこちらでまち歩きフォトスゴロクが作られて欲しいなあ…と考えてます。

できれば、福島、白河の中学生、高校生たちにやってもらいたい。学生さん、若者たちが「わがまち」を発見し、語り合い、遊ぶツールになれば、これほど嬉しいことはありません。


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大阪まち歩き大学。大正区まち歩き。昭和山へ。山頂で三線の練習をしている方が。よろしおますな。

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昔、西成区の千本中に住んでいたときは、ふらっと渡船に乗って木津川を越えて平尾へ。沖縄そば食って帰ってました。

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大阪まち歩き大学。関西沖縄文庫。かじまや。うるま御殿。

昔、西成区の千本中に住んでいたときは、ふらっと渡船に乗って木津川を越えて平尾へ。沖縄そば食って帰ってました。

贅沢な遊びです。控え目にいいますが、最高でしたなあ。


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大阪まち歩き大学。世の中にはいろんな御神籤がありますが、たまに無料の御神籤があって。大今里の八剣神社(八王子神社御旅所)の御神籤もそのひとつ。

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大阪まち歩き大学。世の中にはいろんな御神籤がありますが、たまに無料の御神籤があって。大今里の八剣神社(八王子神社御旅所)の御神籤もそのひとつ。

僕は三番。吉でした。


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大阪まち歩き大学。大正区まち歩き。姫島山専稱寺。 大正区の三軒家はかつて姫島と呼ばれていたという伝承がある。この姫島がアカルヒメ伝説(古代の新羅王子アメノヒボコの妻。DV夫だったので大阪に逃げてきたという)と結びつく。

2022 年 4 月 8 日 Comments off

大阪まち歩き大学。大正区まち歩き。姫島山専稱寺。

大正区の三軒家はかつて姫島と呼ばれていたという伝承がある。この姫島がアカルヒメ伝説(古代の新羅王子アメノヒボコの妻。DV夫だったので大阪に逃げてきたという)と結びつく。

ところが姫島は三軒家だけではく西淀川区姫島にもある。西淀川区姫島のみなさんは「アカルヒメがやってきた姫島はうちや」といい、大正区三軒家のみなさんは「いやうちこそアカルヒメがやってきた姫島や」という。

僕は西淀川区姫島をまち歩きするときは「あのアカルヒメがやってきた姫島です!」といい、大正区三軒家をまち歩きするときは「ここがアカルヒメがやってきた姫島です!」と案内してます。
天下御免の日和見です。


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大阪まち歩き大学。大正区三軒家。近代紡績工業発祥の地。三軒家公園。

2022 年 4 月 8 日 Comments off

大阪まち歩き大学。大正区三軒家。近代紡績工業発祥の地。三軒家公園。

明治15年(1882)に澁澤栄一や藤田伝三郎の出資で、ここに大阪紡績会社(現在の東洋紡)を設立した。
『あゝ野麦峠』や『女工哀史』のような話があるのかと思いますが、大阪紡績は男どもの夜這いが酷かったとか。女工ばかりだから寮に忍び込もうとした。

地方の紡績工業だと逃げ出さないように外側から女工の部屋のカギをかけたそうですが、大阪は女工たちが内側からカギをかけたとか。あんまりにも大阪の男どもが忍び込んでくるので面倒臭かった。

昔、大正区の郷土研究家で生き字引といわれたMさんから聴いた話。Mさんももう亡くなられて10年ぐらいになるが、そのMさんが直接、大阪紡績の女工さんから、そういう裏話を聞いたとか。

なんの文字の記録がないから、ほんまかどうか、ちょっとわかりません。わかりませんが紡績工場といっても場所や時代によって、いろいろな労働環境があり、女工の実態があったということでしょう。


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本日はグランキューブ中之島。大阪府高齢者大学の入学式。僕は毎年、まち歩きの講師をしている。

2022 年 4 月 8 日 Comments off

本日はグランキューブ中之島。大阪府高齢者大学の入学式。僕は毎年、まち歩きの講師をしている。

今年も2300名を超える受講生で日本一の社会人大学といわれている。「入学式」があり、その会場がグランキューブ中之島というのも凄い。今年で15年目を迎える。

大阪近郊のシニアのみなさんには一度、オススメします。凄いネットワークです。知人、友人がようさんできまっせ。


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大阪まち歩き大学。西長堀。大阪木材市売市場発祥の地。

2022 年 4 月 8 日 Comments off

大阪まち歩き大学。西長堀。大阪木材市売市場発祥の地。

大阪は材木市場のまちだった。木材は切って、すぐ使えるわけではない。切ったばかりの木材は生木で、まだ木の内部に養分が生きている。生木をそのまま木材として使ってしまうと芽が出たり、成長(膨張)したりして家具が歪む。

切ったあとは乾燥させることで質の良い木材となる。近代は専用の乾燥室などがあるが江戸時代にはそんなものはない。だから水中乾燥という方法が使われた。木材を池や沼地の貯木場に沈めて、そうして木の養分をゆっくりと抜いていく。

水中に入れることで乾燥はゆっくりとなる。切った木材を外に放置していると乾燥が早く割れやすくなる。水中乾燥はその心配がない。ただ木の種類にもよるが長いものは10年20年と寝かしたりするという。

早く乾燥させたいときは海水につける。海は塩水だから浸透圧の関係で木の養分の抜けが真水よりも早い。しかしあまり早く抜けると木の香りなども抜けて木が死んでしまう。

いちばんいいのが真水と海水をブレンドにすること。そして、これが大阪の堀川だった。大阪は満潮や干潮によって時には淀川、大川の水が流れ込み、また時には大阪湾の海水が流れ込む。汽水のエリアで真水と海水が入り混じる。これがじつは木の乾燥にいっちゃん適している。

海水で他よりも早く木の成分が抜け(商品として市場に出るのが早い)、しかし川水で、木の香りなどは保たれる。大阪の堀川は良質な貯木場であり、だから木材市場が立ち、殷賑を極めた。その最大の市場が西長堀川界隈だった。

大阪は位置もよかった。畿内半島には紀州があり、日本最大の木材生産地で大阪は近い。さらに大阪湾は瀬戸内海の東に位置していて、四国や九州の山々の良材も運び込まれた。船でそのまま大阪湾に入り、大阪市中の堀川で貯木された。

僕もこどもの頃は西道頓堀川あたりで木が浮かんでいたのを覚えている。こどもがよく遊んでツルッと滑って川に沈んでしまい、不幸な事故も多かったという。「絶対にこどもは貯木場では遊んでいけない!」というのが決まりだった。それを破ると本気で親や木材屋に殴られたという。

貯木場は近代は大正区に多かった。その後、大正区の貯木場の大部分は埋め立てられ、住之江区あたりに移転した。南港、平林あたりには今も巨大な貯木場が並んでいる。

モノレール越しに貯木場を眺めるのが好きだが正直、あまり木は浮かんでいない。どこか寂しい光景となっている。しかし、それがまた良い。時代の流れというやつだろう。


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新潟市内を歩いていた時に発見した石宮神社

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新潟市内を歩いていた時に発見した石宮神社。石が神さん。こういう神社は好きですな。江戸時代の「流作場」というエリアにあったとか。

新潟は文字通り、潟ばかり。すぐ水につく。いろんなものが流れていく。流作場なんてのは名前からして危険。そういう場所にあっても流されない巨石であったのだろう。神の石として崇められる。

また、実は、あえて「流作場」なんて大変な名前をつけることで、しかし年貢を免除してもらう…という意味合いもあったりする。「ここは田畑作ってもダメなんですわ大変なんですわすぐ流されるんですわ(=だから免税地にして)」PR。

荒田とか窪田とか沼田とか泥田とか、なんでそんなダメな地名に?と思いますが、実は、あえて、そういう名前にして免税地、税金免除を狙ったりしたとか。

農民は、庶民は、常に、したたかであります。


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新潟市立歴史博物館。坂口家と新潟。新潟新聞の人々。新潟の新聞と地主文化。

2022 年 4 月 8 日 Comments off

新潟市立歴史博物館。坂口家と新潟。新潟新聞の人々。新潟の新聞と地主文化。

新潟県立歴史博物館(長岡市)は以前に行ったことがあったが、新潟市立歴史博物館は初であった。地味にアクセスしにくいところにあるし…。「安吾風の館」は5回ぐらいいってるのですがw

新潟市立歴史博物館での安吾関連の展示はちょっとだけ。そりゃそうかw

安吾の父・仁一郎は新潟新聞の社長で、政治家でもあった。新潟新聞は民政党系の新聞だが、そのライバルが新潟毎日。こちらは政友会系の新聞で「新潟新聞」と「新潟毎日」は常日頃から紙面上でお互いを罵りあっていた。

当時のメディアはプライバシーや人権に対する概念が低い。個人攻撃も激しく社長の仁一郎の家族にもそれが及んだ。安吾の母(仁一郎の妻)はそれでノイローゼ状態になり、いろんなストレスから安吾への接し方が歪み、育児放棄、ネグレストのような状況になったらしい。

母との確執は安吾の自伝的小説群に詳しい。これがいずれも名作、傑作揃い。僕は多大な影響を受けておりますw


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