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オススメの大阪土産

2011 年 5 月 21 日

折角なので、ぼくが『週刊文春』編集部にオススメした大阪みやげ10点も記しておきます。大阪に来た際は、ぜひともお買い求めください。

『浪花ことばせんべい』(はやし製菓本舗)
昔懐かしい手焼きのせんべいにコテで「おおきに」「はんなり」「てんご」「かんにん」「いちびり」「てんこもり」「いとはん」「いけず」「べっぴん」「ちゃらんぽらん」といった浪花ことばが26種類ほど焼きつけられている。大阪万博開催時には「大阪らしいお土産」と地方からやってきたお客さんから大絶賛。万博が終わって40年以上経つがいまだに日本全国から熱い支持を集めている。全26種類の浪花ことばを駆使できればあなたも立派に明日から大阪人(?)

『えびすめ』(小倉屋山本)
江戸時代の大坂・船場の町衆は諸国の物流を扱い、北海道名産の昆布(グルタミン酸)と土佐名産の鰹(イノシン酸)から出汁をとると、旨み成分が約7倍になることを発見した。これが大阪料理の秘密で、現在の日本料理の味の原点。小倉屋山本は船場の老舗昆布商で、「えびすめ」はその名物の塩ふき昆布。「食い倒れ」「食の都・大阪」の、ほんまもんの味とはなにか?その答えがここにある。ちなみに小倉屋山本の3代目当主・山本利助の実妹が作家の山崎豊子。小説「暖簾」は実家がモチーフで見事、直木賞を受賞して出世作となった。

『台所包丁 銘 源昭忠』(水野鍛錬所)
大阪・堺市にある日本最大の古墳・仁徳天皇陵は西暦5世紀の遺跡。土師と呼ばれる祭祀集団が築造したが、彼らは様々な作業道具を用いた。これが堺のものづくりの原点で、戦国時代、信長が欲しがった堺の鉄砲技術もこれがルーツ。また鉄砲産業は平和な江戸時代には包丁産業へと転換した。水野鍛錬所は日本ではじめて河豚引き包丁を考案したという老舗刀鍛冶。国宝・法隆寺の五重塔には「魔よけの鎌」が備えつけられているが、それも水野鍛錬所が奉納したもの。台所包丁「銘 源昭忠」は水野鍛錬所オススメの逸品で、切れ味抜群で使い勝手も非常に良い。1500年もの長きに渡る堺のものづくりの伝統技を、とくとご堪能あれ。

『なにわの伝統野菜飴』(豊下製菓株式会社)
京都の九条ネギのルーツは大阪の難波ネギ。信州の野沢菜のルーツは大阪の天王寺蕪。そういうと驚かれるが、すべて本当の話。淀川、大和川といった二大河が運ぶ肥沃な土壌は、野菜生産に適した砂質土壌を作り上げ、大阪を日本有数の野菜の名産地に育て上げた。近代都市化によって野菜生産は衰退したが、「なにわの伝統野菜」はそうした大阪の野菜を復活させようというプロジェクトで徐々に成果を上げている。飴の豊下は老舗の製菓メーカーで「なにわの伝統野菜飴」は、大阪の伝統野菜の形状を模したもの。毛馬胡瓜飴、勝間南瓜飴、田邊大根飴など愛らしくユニークな形状で、女性ファンも多い。

『さつま焼』(株式会社末廣堂)
日本全国で2300社を超えるという住吉神の総本社で、今年2011年には御鎮座1800年を迎えるという日本きっての古社・住吉大社。その大社御用達が老舗・末廣堂のさつま焼。昭和天皇、皇太后が大社参詣のさいにもお召し上がりになられたという由緒ある和菓子。十勝小豆のこしあんを秘伝の皮で包み、竹串にさして卵黄を塗り、一本一本、心を込めて焼き上げている。かつて住吉界隈は薩摩芋の名産地で、そこで薩摩芋を模している。面白いのが薩摩芋といえば鹿児島だが、じつは島津藩の始祖・島津忠久公(父・源頼朝 母・丹後局)は住吉大社の境内で生まれたこと。また関ヶ原で負けて敵中突破をした島津義弘を、無事に鹿児島まで船で送ったのも住吉と堺の町衆だった。江戸時代、参勤交代の折には島津の歴代藩主は必ず住吉大社に参拝していて、住吉と薩摩は非常に縁が深い。さつま焼は意外な住吉と薩摩の交流の物語を彩る和菓子といえる。

『釣鐘まんじゅう』(総本家釣鐘屋)
聖徳太子が593年に建立した日本最初の官寺・四天王寺。ユネスコの世界文化遺産の法隆寺(607年建立)よりも古く、また幾度の戦火や天災にまみれながらも、創建当時から伽藍の配置が全く変わっていないという奇跡の名刹。その四天王寺の参詣客に深く愛されているのが、四天王寺にかつてあった世界最大の大梵鐘を模した釣鐘まんじゅう。大梵鐘は明治36年(1903)に聖徳太子御遠忌1300年に発願されたものだが、残念ながら太平洋戦争の金属供出でその姿を消した。ありがたい梵鐘は戦争でなくなったが、美味しいまんじゅうはちゃんと生き残った。じつに大阪らしいエピソードをもつ四天王寺名物。

『大寺餅』(大寺餅河合堂株式会社)
慶長元年(1596)に堺の開口神社境内に茶店を構え、その神社が「大寺さん」と呼ばれていたことから大寺餅と呼ばれるようになった。餅をあんこで包んだあんころ餅だが、江戸時代からすでにその味は全国に轟き、伊勢の赤福(1707年創業)や御福餅にも影響を与え、実際に伊勢の和菓子職人が大寺餅に修行にきていたこともあるという。堺といえば与謝野晶子の故郷だが、晶子は実家が「駿河屋」という和菓子屋。ところが和菓子屋の娘でありながら、ライバルであるはずの大寺餅が大好きで、よく購入していたという。エッセイでも「ソボクな味」が良いと絶賛している。

『おこし』(あみだ池大黒)
創業文化2年(1805)のおこしの老舗。当時のおこしの原材料は「粟」が基本だったが、あみだ池大黒は「米」を使ったおこしを考案。これは初代小林利忠が船底や米倉に零れ落ちていた米を安く買い取って、それを原料としたという。つまり誰も見向きもしなかった捨米のリサイクルで「売り手よし・買い手よし・世間よし」の大阪・船場商法の最たるものだった。また「身をおこし、家をおこし、財をおこし、福をおこし」と縁起もいいので大阪土産としてはやはり外せない。ちなみに「あみだ池」というのは創業地近く(現在も本店がある)の池のこと。ここに百済の聖明王から送られた日本最初の阿弥陀仏が捨てられ、それを拾ったのが本田善光で、彼が建立したのが、あの信州の善光寺。

『箱寿司』(吉野壽司株式会社)
天保12年(1841)創業の名店。鯛・海老・穴子などの高級食材を用いて、二寸六分の木箱で押して作る。色鮮やかな見た目が美しく、大阪寿司の代表格として「二寸六分の懐石」とも呼ばれる。現在は寿司といえば江戸前の握り寿司が主流だが、かつては大阪の押し寿司が主流だった。握りは早寿司と呼ばれるようにスピード感があるが、押し寿司は調理に手間暇がかかる。それだけに真心を伝えることができる。スピードや効率化が叫ばれる時代。そういう時こそ、スローフードの押し寿司のよさを尊重したい。ちなみに「あんた江戸っ子だってね?寿司食いねぇ」で有名な任侠者の森の石松だが、これは押し寿司のこと。森の石松が淀川の船旅の最中に江戸っ子を見つけての名台詞で、当時の淀川の船旅に江戸前は出ない。江戸っ子を見つけて大喜びで大阪寿司を勧めるところが、森の石松の愛嬌で、おかしみともいえる。

『大阪あそ歩まち歩きマップ集その1~3』
(大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会)

大阪でいま大流行しているのが、地元ガイドが地元のまちを案内するまち歩きプロジェクト「大阪あそ歩」(http://www.osaka-asobo.jp/)。マップ集は、その大阪あそ歩で使用される全150コースのイラストマップを3分冊で完全収録したもので「キタ(梅田)」「ミナミ(道頓堀)」「新世界」といった定番はもちろん、初代天皇・神武天皇が通ったという伝説が残る「今里」、安倍晴明の生まれ故郷「阿倍野」、国歌・君が代の本歌が歌われたという「姫島」、日本に儒教と漢字を伝えた王仁博士の墓が眠る「福島」、松下幸之助が起業した「大開」など意外な大阪の歴史名所のまち歩きコースを多数収録している。大阪を知るには格好の入門書で、このガイド本を読めば、もう一度、大阪を訪れたくなることまちがいなし。


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