■4/24(木)19時より阿波座にて「DECO まわしよみ新聞編集長養成講座」開催!
https://www.facebook.com/events/554968387951001/
「なぜ、まわしよみ新聞をやっているのか?作るのか?」という「想い」の共有から、実際に参加者全員で「まわしよみ新聞」を作成しながら「まわしよみ新聞」の作成のコツ、場の運営のノウハウなどをお教えします。この講座を受けると「あなたも明日からまわしよみ新聞編集長(ファシリテーター)になれる!」というものです。受講者にはまわしよみ新聞実行委員会名義の公式の「修了証」も発行します。ご興味ある方はぜひともご参加してください。
■日時:4/24(木)19時~22時
■場所:阿波座ライズタワーズマンション1Fマークスタジオ
大阪府大阪市西区江之子島2-1-21
※地下鉄阿波座駅8番出口より西へ徒歩2分
■参加費:1000円+まわしよみたい新聞
■定員:各20名
■講師:むつさとし(まわしよみ新聞オーナー)
※まわしよみ新聞とは?
オールフリー&オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!「コモンズ・デザイン」(共的空間設計)によって開発された大阪生まれの新しい市民メディアの「エトス」(型)です。
http://www.mawashiyomishinbun.info/
鹿児島の地元新聞「南日本新聞」さんが「まわしよみ新聞教室」を実施するようです。鹿児島界隈の方はぜひともこの機会にご参加してみてください~!^^
■南日本新聞
春の新聞まつり~ミナミさんち大開放~
http://373news.com/_jigyou/syakoku.php?storyid=55926
南日本新聞社は26、27日の午前10時~午後4時、鹿児島市与次郎の南日本新聞会館で、「ミナミさんち大開放! 春の新聞まつり」を開きます。読者とのふれあいを目指し、記者のトークリレー、紙面印刷見学会、ゆるキャラと楽しむ「よむのび教室」など、多彩なイベントを開催。桜島を展望する12階社員食堂も開放します。ミナミさんち一同、みなさまをお待ちしています。お問い合わせは読者センター=099(813)5004。
■まわしよみ新聞教室
好きな記事を切り取って壁新聞を作る「まわしよみ新聞」も実施します。
4/18(金)20時から「スタンダードブックストア@心斎橋」さんのイベント「西加奈子x津村記久子トークショー決定!@書店員ナイト!」にて「直観讀みブックマーカー」をやることになりました!^^
映画『円卓』の原作者で織田作之助賞を受賞した西加奈子さん、芥川賞受賞の津村記久子さんのトークショーもあります。こっちのほうが絶対おもしろいでしょうけどもww よろしければご参加してください~!m(_ _)m
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■【EVENT】4/18西加奈子x津村記久子トークショー決定!@書店員ナイト!
http://www.standardbookstore.com/archives/66144813.html
4/18(金)20:00~25:00開催の『Calo Bookshop & Cafe presents 書店員ナイト リターンズ』で西加奈子さんと津村記久子さんに対談していただくことになりました!
6月に『円卓』の映画化を控えた西加奈子さんと芥川賞作家の津村記久子さんはお二人とも大阪育ち。これまでも誌面やweb上で対談されていますが、地元大阪での書店員がそろった場所でのイベント。ぶっちゃけたトークが期待できます。司会進行はもちろん書店員が担当。さらに大阪の書店員が作るこの対談を中心とした小冊子も制作予定!みなさん、お誘いあわせの上ご参加いただき、お二人に突っ込みを入れてくださいね!(対談は20時開始予定)
さらに『Calo Bookshop & Cafe presents 書店員ナイト リターンズ』では陸奥賢さんをお迎えして『直観読みブックマーカー』を開催します。
直観読みブックマーカーは簡単に言うと本を使ったお遊び。知らないモノ通しが集まったその場で盛り上がれます。私も先日イベントで陸奥さんとご一緒してやってみましたが、大いに楽しめました。こちらにもどうぞご期待ください!ちなみに陸奥さんは『まわし読み新聞』というのもされていてメッチャおもろい方です!
『Calo Bookshop & Cafe presents 書店員ナイト リターンズ』ではその他にも書店員によるトークなどを予定しております。書店員同士のみならず、書店員でない方もご参加いただき、普段疑問に思っていることを書店員になんでも尋ねてみてくださいね!
「まわしよみ新聞」も「直観讀みブックマーカー」もオープンフリーソースです。オープンフリーソースというのは正確にいうと「無料」ではなくて「贈与」です。ぼくは「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」で贈与経済の社会実験をやっているつもりです。世の中、無料というのは怪しい。では贈与経済というのは・・・え??もっと怪しいww
Iさんから相談をうけました。「ほなら、こうしたら?」ということで、結局、ぼくがプロジェクトをやることになった。それに対してIさんは「すいません。むつさん。お忙しいのに巻き込んでしまって・・・」としきりに申し訳なさそうにする。ぼくは「では、Iさんも誰かから何か頼まれたら、それに巻き込まれてください」と返しました。ぼくはIさんに「巻き込み」されましたが、それに「お金」で返すのではなくて、Iさんは他の誰か=Sさんに「巻き込み」されればいい。そして、Sさんもまた他の誰か=Hさんに「巻き込み」されて・・・これが延々と続いて、やがてぼくも他の誰か=Tさんを「巻き込み」したりすれば、贈与経済として完成します。
この「巻き込み」やら「お願い事」やら「善意」やら・・・要するに「贈与」によって、次から次へと連関して、それでみんなが動いていくことを「ソーシャル・キャピタル(Social capital)」=「人間関係資本」とかいうわけで。こうすればお金がなくても世の中は動いていく。お金があるとお金で払いますから。そして、お金を払うと「金の切れ目が縁の切れ目」で、人間の関係性はあっさりと終わるんですな。だから、お金を媒介せずに「善意の貸し借り」をやり続ける。お金がなければ、お金がないからでこそ、「贈与」という方法論で自分たちの関係性、ネットワークを構成することができる。なんでもかんでもお金で換算して、物事を動かそうとする。そういう世の中は、人間は、じつに貧しい。お金があっても人間関係がないですから。「人」という漢字はお互い支え合って人という漢字になっているんですよ(金八ww)。「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」がオープンフリーソースであるのは、贈与経済であるのは、そういう人間関係資本を世の中に構築したいと考えているからです。
ちなみに「贈与」(GIFT)というのはドイツ語では「毒」という意味もあります。素晴らしい贈与(贈り物)をされると、人は戸惑い、なにかしないといけないのでは?とついつい動いてしまうから。それはまるで魔法か、呪術か、毒のようでもあります。贈与経済は、そういう人間の性善論的な心理をついてたりもしますw
近松門左衛門の浄瑠璃『一心二河白道』にて「七墓巡りの坊主」が登場するのを発見。近松が七墓をテーマに書いた『賀古教信七墓廻』の上演が元禄15年(1703)。『一心二河白道』は元禄11年(1698)の作品なので、『賀古教信七墓廻』よりも古いことになります。
ちょっと気になるのが『一心二河白道』は京・四条の「都万太夫座」での上演やったそうで、当時、すでに京にまで「大坂七墓巡り」が知れ渡っていたということなのか・・・?
うーむ。謎ですな。
■近松門左衛門の浄瑠璃『一心二河白道』にて「七墓巡りの坊主」
http://wp.me/pxlkK-G4
近松門左衛門の浄瑠璃『一心二河白道』にて「七墓巡りの坊主」が登場するのを発見。近松が七墓をテーマに書いた『賀古教信七墓廻』の上演が元禄15年(1702)。『一心二河白道』は元禄11年(1698)の作品なので、『賀古教信七墓廻』よりも古いことになります。
ちょっと気になるのが『一心二河白道』は京・四条の「都万太夫座」での上演やったそうで、当時、すでに京にまで「大坂七墓巡り」が知れ渡っていたということなのか・・・?
うーむ。謎ですな。
団塊の世代。夜行の汽車で大阪や東京に出て、集団就職する。いやな上司がいる。殴る。会社を辞める。友人や同僚に相談すると「まぁ、釜ヶ崎でもいったらどや」。釜ヶ崎に来る。日雇いの仕事はアホほどある。そのうち仲間もできる。仕事はきついが、普通に生きていけた。
平成大不況の若者たち。会社を首になったら「行く場所」がない。「釜ヶ崎に行く」という選択肢が思いつかない。昔なら釜ヶ崎に行った。いまは「釜ヶ崎だけには行くな」「釜にいったら地獄やぞ」。マスメディアのイメージなどで釜ヶ崎の良さがまったく知られていない。伝わらない。行き場を失った若者たちはネットカフェ難民かホームレスになってしまう。
秋葉原で通り魔事件があったとき。Oさんは酔いながらいった。「可哀想に。釜に来たらよかったんや。ここやったら仲間もできたやろうに」。通り魔事件の犯人はネットで殺人の予告を何度も書き込み、誰からも止められず、無視され、荒らされ、ついに実際に犯行に及んだ。Oさんは「釜やったら誰かが止めてるわ」と。
コミュニティ難民の、セーフティネットとしての釜ヶ崎。現代社会にコモンズがあるとしたら、それはやっぱり釜ヶ崎で。もうちょっと、このまちの可能性を知ってほしいですな。
4月から「電話占い陸奥」ではなくて、西成・釜ヶ崎の「ひと花センター」で「まち歩き(散歩の会)」の講師をやることになりました。
「ひと花プロジェクト」は2013年7月からスタートした釜ヶ崎地の単身高齢で生活保護受給者の社会参加プログラムを行う事業(事業主管:西成区保健福祉課)です。「釜のおっちゃんたち」といえば毎月支払われる生活保護をもらった瞬間からお酒やらギャンブルやらに使い果たす…というような誤ったイメージがありまして、これはテレビの偏向報道の影響が大きいのですが(極々一部の人間の行いだけを切り取ってセンセーショナルに報道して、恰もそれが全体の状況であると見せるのがテレビの常套手段。はっきりいいますが大部分の釜のおっちゃんたちは、気前のいい、優しい、オモロイおっちゃんたちです)そういったマイナスイメージを払拭するために、色んな地域活動、社会活動に参加してもらおうというもんです。実際におっちゃんらがやっていることとしては、まちや公園、道路の清掃活動やら祭の手伝い、アーテイストと一緒にやる表現プログラム(作品作り、ワークショップなど)、農作業などなど。生活保護を渡してハイ終わり!ではなくて、仲間作り、関係性作りをやっていく。なんでこういうことを今までやってこなかったのか?不思議でしょうがないですが、遅ればせながらですが、こういう事業が始まったのはええことや思います。
また日本の高度経済成長を現場で支えてきたという人たちですから、兎に角、バイタリティがあって知的好奇心も旺盛。このあいだ初めて「まち歩き」をしましたが、大阪の昔話、思い出話に花が咲いて、ほんまに、おもろかったですな。貴重なまちネタが聴けて、ぼくの方が勉強させてもらってますww ありがたいお仕事です。感謝。
■ひと花センター「3/27 散歩の会」
http://hitohanap.org/327 散歩の会/
「9条」がノーベル平和賞を取ったら、幣原喜重郎という人の「狂気の平和思想」がもうちょっと世界に広まったら面白い。9条は「狂気の沙汰」なんです。9条を発案した幣原喜重郎自身がそういっている。
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「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」
平野三郎『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』
http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html
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こういう幣原の「狂気の平和思想」ってのは発想が大阪人的です。大阪人はこういう「逆転の発想」をよくやります。「対偶」から物事を考えてみる。じつに、ユニークで、面白い。「9条は素晴らしい狂気」という自覚を、日本人が持てるかどうか?それが今後の9条の行方にもかかってきます。
以下は昔の駄文。
■政治家不在の風土と大阪の首相(鈴木貫太郎と幣原喜重郎)
http://goo.gl/rqNYJ0
元々、大阪という土地柄は政治家を生みません。近代政治とはイデオロギー闘争。ところが大阪人はそもそもイデオロギーを信用してません。もっと実質的な、現実的なものに価値をおきます。算盤を弾く。民主主義?なんやそれ?食えるんかいな?食えるんやったらよろしい。そういう態度が人生の根底の部分にあります。幕末の動乱期でも「やれ攘夷だ」「開国だ!」「倒幕だ!」「公武合体だ!」なんてやってたのは薩長土肥会津といった田舎もんでして。大坂人は一切知らんぷり。鳥羽伏見の戦いも大坂の町衆は弁当もって高みの見学してました。幕末時に緒方洪庵や福沢諭吉といった偉大なる学問家、書生を生みましたが、彼らは志士でも政治家でもないです。
日本の歴代首相を見てもそうです。大阪出身の首相はわずか2名だけ。鈴木貫太郎と幣原喜重郎。この2人も非常に特殊な事業で日本国首相になりました。鈴木貫太郎は、日本の敗戦濃厚の時期に、昭和天皇から「頼む。もう鈴木しかいない。ぜひとも総理大臣になってくれ」と懇願されて、いやいやながら首相になったという人物。昭和天皇から頭を下げられて首相になったのは日本の歴史上、鈴木貫太郎のみといわれてます。鈴木貫太郎がやったことは和平交渉であり、連合国のポツダム宣言の受諾。「進め!一億火の玉だ!」「一億総玉砕!」なんて物騒なことを叫ぶ軍部の暴走をとめて日本を敗戦に導きました。終戦記念日を題材にしたドキュメンタリーブック『日本のいちばん長い夏』(半藤一利)なんかを読めば、鈴木貫太郎の仕事は、まさに命がけの仕事だったことがよくわかります。
幣原喜重郎も昭和天皇から請われて成立した敗戦処理の臨時内閣です。幣原はすでに政界を引退していましたが、どうも近々、首相に任命されそうや・・・と鎌倉に引越して逃げようと荷物をまとめていたところで昭和天皇から呼び出されて直々に説得され、しぶしぶ首相になった・・・という人物。鈴木貫太郎も幣原喜重郎も首相になろうとしてなったのではなく逃げ回っていたわけで、こういうとこが、じつに大阪人的ですなw 幣原喜重郎は戦前から「幣原外交」と呼ばれる平和外交で有名でした。幣原路線でいっていれば日本は太平洋戦争を回避できたかも知れませんが結局、戦争拡大路線の田中義一派(長州出身。俗にいう田中外交)にやられて日本は破滅への道をひた走りに走ってしまった。また幣原はしぶしぶ首相になりましたが、一世一代の奇策を編み出しまして。それが「日本非武装中立宣言」。これが憲法9条に結びついて戦後日本の「重経済・軽軍備路線」が確定しました。最近は9条に対して「時代にそぐわない。改憲すべき」といった論調も数多くみられますが、幣原が「非武装中立」なんて言い出したときは現在の比ではなく「理想論」「狂気の沙汰」「非現実的」「老人の世迷言」「日本が滅ぶ」と散々に貶されました(なんせ当時は米ソ冷戦の幕開け時代でしたから)。しかし、この幣原の「非武装中立宣言」がなかったら、今日見られるような、戦後日本の空前絶後の経済的繁栄はなかったと断言できます。日本が戦争に負けてボロボロだったからでこそ編み出された、幣原外交の奇策中の奇策。じつに超々高度な政治的判断でした。
鈴木貫太郎が1945年4月から8月の4ヶ月間。幣原喜重郎が1945年10月から1946年5月までの7ヶ月間。ふたりあわせても1年にも満たないですが、この2人の大阪出身の首相が在任中にやったことは戦後日本にとって非常に大きい。太平洋戦争という歴史の大きな流れを個人の責任に帰結するのは横暴な話ですが、しかし開戦前夜の首相・・・近衛文麿(京都・公家出身)や東条英機(東京・軍人出身)がやった愚かしい太平洋戦争の尻拭いを大阪の首相2人でやったというのは紛れも無い歴史的事実です。日本という国が、ボロボロでどうしようもなくなったときに、さっと登場して、やるだけのことをやると、すぐに首相をやめていった。「大阪の首相」が登場したのは日本という国が非常に特殊な事情であっただけで、完全にこの2人の存在は大阪という政治家不在の風土からすれば「イレギュラー」であり「異分子」です。大阪はアンチ政治家の風土であり、ほんまは首相なんて出てくる土地柄ではないですから。時代のどうしようもない要請で、たまたま、偶然、そうなっただけ。大阪人が首相をやる時は、日本がおかしなったときですw
そういう馬鹿馬鹿しい時代が再び来ないことを祈りますよ。大阪人は政治なんてやるほどヒマやないんです。人生は短い。もっと有意義に、実質的に、一所懸命に、楽しまないといけない。
4月から「電話占い陸奥」ではなくて、西成・釜ヶ崎の「ひと花センター」で「まち歩き(散歩の会)」の講師をやることになりました。
「ひと花プロジェクト」は2013年7月からスタートした釜ヶ崎地の単身高齢で生活保護受給者の社会参加プログラムを行う事業(事業主管:西成区保健福祉課)です。「釜のおっちゃんたち」といえば毎月支払われる生活保護をもらった瞬間からお酒やらギャンブルやらに使い果たす…というような誤ったイメージがありまして、これはテレビの偏向報道の影響が大きいのですが(極々一部の人間の行いだけを切り取ってセンセーショナルに報道して、恰もそれが全体の状況であると見せるのがテレビの常套手段。はっきりいいますが大部分の釜のおっちゃんたちは、気前のいい、優しい、オモロイおっちゃんたちです)そういったマイナスイメージを払拭するために、色んな地域活動、社会活動に参加してもらおうというもんです。
実際におっちゃんらがやっていることとしては、まちや公園、道路の清掃活動やら祭の手伝い、アーテイストと一緒にやる表現プログラム(作品作り、ワークショップなど)、農作業などなど。生活保護を渡してハイ終わり!ではなくて、仲間作り、関係性作りをやっていく。なんでこういうことを今までやってこなかったのか?不思議でしょうがないですが、遅ればせながらですが、こういう事業が始まったのはええことや思います。
また日本の高度経済成長を現場で支えてきたという人たちですから、兎に角、バイタリティがあって知的好奇心も旺盛。このあいだ初めて「まち歩き」をしましたが、大阪の昔話、思い出話に花が咲いて、ほんまに、おもろかったですな。貴重なまちネタが聴けて、ぼくの方が勉強させてもらってますww ありがたいお仕事です。感謝。