ホーム > 雑感 > 400年前の慶長地震は伊予(9/1 愛媛)→豊後(9/4 大分)→畿内(9/5 大阪・京都)と続いた。かなり日数が近い。どうも中央構造線はそういう動きをすることがあるらしい。

400年前の慶長地震は伊予(9/1 愛媛)→豊後(9/4 大分)→畿内(9/5 大阪・京都)と続いた。かなり日数が近い。どうも中央構造線はそういう動きをすることがあるらしい。

2016 年 4 月 17 日

400年前の慶長地震は伊予(9/1 愛媛)→豊後(9/4 大分)→畿内(9/5 大阪・京都)と続いた。かなり日数が近い。どうも中央構造線はそういう動きをすることがあるらしい。

また中央構造線が動いて、その後、数年後ですが、今度は南海トラフが動いて大津波(1605年 慶長大地震)で数万人規模の死者がでてます。

ほんまそろそろ…かも知れません。避難場所や家族、友人、知人と落ち合う場所、防災情報なんかをチェックしときましょう。

※画像は大阪・安政大地震(1855年)の石碑。幕末期ですが、南海トラフの地震で、このときも大津波が起こって数万人の死者がでたといわれてます。

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■慶長伊予地震 – 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いと推定される地震。

■慶長豊後地震(大分地震)- 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者710人。中央構造線と連続している可能性がある別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。

■慶長伏見地震- 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。

■慶長地震 – 1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9~8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4~8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1~2万人を数えた。


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