釜ヶ崎芸術大学の学生証
ココルームが素晴らしいのは運営者がいってみれば全員、素人であり、市井の人たちであるから。釜ヶ崎というまちの中で、止むに止まれず(基本は「アートNPO」ですから。しかし諸事業で釜ヶ崎に来たことで、自然と釜ヶ崎の問題を考えざるをえない状況に陥ったわけで・・・)、ホームレス支援やニート支援や障害者支援や介護福祉のようなことをやっていますが、ココルームのスタッフの誰もが医者でも専門家でも宗教家でもないわけです。市井のひとが、市井のなかで、市井のひとたちの問題に取り組んでいる。ここが素晴らしい。
いまの世の中は、医療も介護も福祉も機能主義に陥っています。ガンの医者は患者のガンしか見ません。決してガン患者を人間として見ない(患者が死ぬたびに号泣する医者は医者ではありません)。しかし本当に人生にとって重要なことは「人間と人間」の関わりです。なんでもかんでも細分化され、資本化された世の中は「人間と人間」の関わり方ではなくて、「患者と医者」「生産者と消費者」「サービス提供者とサービス享受者」といったような関係性に落とし込めていく(こうするほうがお金がとれますからな)。しかしココルームは近代社会で疎かになった「人間と人間の関係性」を再構築することを担う。
素人とはいっても、ココルーム代表の上田假奈代さんはプロの詩人で素晴らしい才能の持ち主です。では、その假奈代さんがココルームで一体、何をしているか?といえば、例えば「歩かないと話が出来ない」という老女が突然ココルームにきたので「では、わたしが話を聞きましょうか?」と延々、寒空の中を一緒に歩いて、半日近くも話を聞いたりしている。ついには老女の家まで案内され、招待されたとか。詩人である前に人間であろうとする。だからこんなオモロイ結果になるw
これは要するに「あなたでもできる」ということです。何の取り得もないとか、才能がないとか、頭が悪いとか、そういうことではない。ただただ人間としてあれ。人間として人間が困っているときに、何か自分なりにできることをやろうと。ココルームの場合は、具体的には「まぁ、お茶でも飲んで、話をしましょうか」「とりあえず、一緒にご飯でも食べましょうか?」ということです。ココルームはそういう場所であり、だからここは「みせ」ではなくて、「いえ」的です。
専門家はいません。ケースワーカーとか介護福祉士とかヘルパーとかそういう免許をとっている人はスタッフの中にはいない。詩人や声楽家や演劇制作者や主婦やカメラマンや女優です。ココルームのスタッフのみなさんは医療、介護、福祉といった専門分野の中では全くの素人。しかし人間として玄人です。釜ヶ崎のまちの人たちの喜怒哀楽の人生模様の中に入って同じように喜怒哀楽している。そこが本当に素晴らしい。
写真は釜ヶ崎芸術大学の学生証。これはアートの仕事w しかし、ココルームの本質は、こうしたアート活動と並行する「日々の暮らし」の中にあります。
■ココルーム
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■釜ヶ崎芸術大学
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