小さい偶然
記紀神話によれば、イザナギとイザナミが舞い降りて、国産みをした場所が「おのころ島」。「おのころ」いうんは「おのずところがる」(自ら転がる)という意味で。つまり偶然に身を任せることが、最大の神性や霊性を呼び起こす。
そもそも、この世に誕生することが偶然の所作なんですな。男と女がセックスしても受胎するかどうかは全くわかりませんから。意志ではなく偶然によって人間はこの世に生まれてくる。ぼくらは偶然、誕生し、この世に強制的に投げ込まれたわけです(ハイデガーのいうところの被投性ですわw)。世界を創造(また破壊)する、圧倒的な力が、偶然には宿っている。
しかし近代人は大抵、都市の中にいます。都市にいると、あらゆるものが人工です。都市的人工空間に囲まれていると、なんや世界全体を制御できるような気がしてしまう。ほんまはそうやないんです。人工(都市)の外は偶然性(自然)の驚異に常にさらされている。いきなり大地が割れ、海の水が都市に襲いかかってくる。そういうこともある。
また人間そのものも、よくよく観光(これをぼくは内観光といってますがw)してみれば、じつは自然性に満ち溢れている。セックスしても受胎するかどうかわからないのは、ぼくらが自然物であるからです。こんなのは当たり前のことなんですが、人工都市の中にいると、どうもそれがようわからなくなってくる。
要するに世の中には「大きい偶然」(地震や津波など)や「小さい偶然」(受胎や恋に落ちるとかw)があるいうことですわ。そして、「直観讀みブックマーカー」はこの「小さい偶然」を用いて遊びましょか?というもんです。
なんでそんなことをするのか?人工都市の中にいるぼくらは「偶然の力」を見くびっているか、気づいてないからですわ。「小さい偶然」でもいいから、それを数多く体験することで、ぼくらは間違いなく「偶然の世界」に生きる「世界内存在」(あ。またハイデガーでてきたww)であることを認識しようというわけです。
我ながら、直観讀みブックマーカーは、じつに深い。そして何より、面白いww
※以下の画像は梅山くんが作成した『与謝野晶子童話集』の直観讀みブックマーカー。「ほんとうにお前は困った虫だ」。