国民である前に人間であれ
2014 年 2 月 6 日
古代、中世の戦争は、個人の力量・技量が非常に重要視される。武力、胆力、知力に長じた優秀な戦士が重宝される。みんなそうした戦士の子供を欲しがった。だから必然的に「一夫多妻制」になる。量よりも質が大事というわけです。「一騎打ち」なんてのもあって、A軍とB軍の一番強い武将が出てきて戦って、それで勝敗を決めた。兵隊は戦わずに済む。なにも全滅戦争をすることはない。これは一種の知恵というものです。平家が船に扇を出し、那須与一が扇の的を射る。すると戦争をせずとも平家は去っていく。見事なもんです。
しかし近代戦争というのは質より量。戦士の質ではなくて兵隊の量で戦う。とにかく大量の兵隊に、大量の銃を持たせて、一斉にドンパチやる。戦士10人よりも兵隊100人の方が戦争に勝てる。こうなると兵隊を増やすのに一番効率がいいシステムが「一夫一妻制」。100人の男に100人の女を宛がって毎年100人の子供を産ませればいい。実際に戦前の大日本帝国政府は「産めよ増やせよ」といって子供をドンドン産めといい、男は兵隊にして女は銃後の守りにしたわけです。一夫一妻制というのは要するに近代戦争をするための国策です。実際に、近代以前の江戸時代の日本なんて夜這いだろうが同性愛(←まったく子供が増えない。兵隊が産まれない。だから国家は同性愛を認めない)だろうが自由自在。じつに色恋には忠実だった。
人間というのは決して、断じて、兵隊ではない。国家の捨て駒ではない。近代国家が押し付ける一夫一妻制はまったくもって人間の性にあわない。もうすでに「現場」では一夫一妻制なんて崩壊してますけどね。こういうのは、もっと崩壊した方がいい。もっともっと恋愛も結婚も同性愛も自由であっていい。国民である前に人間であれ。
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