ホーム > 雑感 > 「まわしよみ新聞」というのは「逍遙的なワークショップ」です

「まわしよみ新聞」というのは「逍遙的なワークショップ」です

2013 年 8 月 27 日

基本的に「まわしよみ新聞」というのは「逍遙的なワークショップ」です。世の中には「目的論的なワークショップ」というのが非常に多いんですが、まわしよみ新聞はそうではなくて、「無意味に」「無目的に」「なにげなく」「なんとなく」「直観で」「ふらっと」「ぶらぶらと」参加して、「偶然性」「偶発性」「シンクロニシティ」「セレンディピティ」の場や空間を作り、それこそが人生の醍醐味であるということを体感するワークショップです。

「テーマを設定する」ということは、じつは「貧しい」んです。「他者」と出会わなくなる。ある種の目的(テーマ)を定め、組織を作り、目的別に人を配置や設定し、目的に邁進するということは、結果として目的にそぐわない落ちこぼれや敗北者・・・落伍者を生みます。コミュニティはそれでいいかも知れない。しかし、ぼくはコミュニティからこぼれていく落伍者たちが気になる。彼ら(彼らといってますが、要するに、それは僕自身ですww)をも包括できるような場作り、彼らにコンパッションを寄せられる人作りをしたい。ぼくはコミュニティではなくて、コモンズ(他者が集まりあえる場)を作りたかった。

「まわしよみ新聞」も影響を受けている有名なワークショップに「ワールドカフェ」というワークショップがあります。最初から、ある種の「テーマ」「目的」が定められ、そこに興味関心のある人たちが集まってきて、専門家、プロ、研究者の意見などがいける。非常に効率よくテーマに関する知識や情報、知的満足が得られます。その効果はぼくも大いに認めます。しかし、世界はもっと同時多発的に、同時進行で、錯綜しながら、混乱しながら、カオスモスに動いていく。テーマで区別できるほど、世界は理路整然としていません。本当に世界(ワールド)を捉えようと思うなら、世界をテーマで区切ってしまってはおかしくなる。それは世界を貧しくする。「テーマで限定された世界観」とでしか出会わないし、「テーマで歪められた世界観」を植え付ける。

他者に満ち溢れたカオスモスな世界を、そのまま、まるごと提示して、しかし、だからでこそ、世界はこんなにも面白いんだ!ということを伝える情報メディア。それが「まわしよみ新聞」です。そういうぼくの想いが伝われば・・・と思って「まわしよみ新聞」をやっています。

■まわしよみ新聞公式サイト
~オールフリー&オープンソースで「いつでも、どこでも、だれでもできる」が合言葉!「コモンズ・デザイン」(共的空間設計)によって開発された大阪(應典院生まれ・釜ヶ崎育ち)の新しい市民メディアの「エートス」(型)です~
http://www.mawashiyomishinbun.info/


カテゴリー: 雑感 タグ: