「東京の条件」と「大阪の条件」と

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昔、長崎歴史文化博物館にいったさいに驚いたのが歴代の長崎奉行の業績が非常に詳細に列記されていたこと。また「長崎奉行コーナー」なんてのがあって、「御白洲」まで再現してるんですな。
http://www.nmhc.jp/permanent.html#bugyo

長崎・出島貿易では長崎奉行が率先して輸入商品を詮議しました。珍しいものは長崎奉行がまず手にしたそうで、だから長崎奉行は面白い舶来品を手に入れて横流しできるので、儲かってしょうがなかったとか。実際に大儲けした人に「遠山の金さん」のオヤジの遠山左衛門尉景晋がいます。じつは遠山の金さんが活躍できたのは、父親がこうやって長崎で蓄財に励んで出世街道に乗ったからなんですが、兎に角、長崎のまちの人にとって長崎奉行は非常に大きい存在だったようですな。

江戸時代、大坂も長崎も同じく幕府の天領(直轄地)です。天領で一番偉いのは基本的には奉行。しかし大阪歴史博物館にいっても大阪奉行の名前なんてほとんど誰も出てきません。ましてや「大阪奉行コーナー」なんて出来るわけがない。大坂の場合は、大坂奉行なんでまるで相手にされていなかった。江戸時代には「お奉行の名さえ覚えず年暮れぬ」(小西来山)の狂句が流行ったぐらいですから。「新しい奉行が幕府から赴任してきたが誰も名前なんて覚えてない。知らないうちに、そういやもう1年ぐらい経つな・・・」といったような意味です。この狂句には奉行もカンカンに怒ったそうですが当時の奉行は今でいうと「大阪市長」みたいなもんでしょう。現在の大阪市民で橋下市長の名前を知らない人となると、これはなかなか珍しい。この政治や行政に対する、大坂人の無関心ぶりは凄いもんです。

なんでこんなことになったのか?どうも大阪という土地は基本的に町衆(市民)による自治精神が充実しているんですな。大坂の先輩格に堺がありますが、堺の会合衆なんかもそうなんですが、この自治精神は江戸時代、近世以前からあって、かなり根深い。では、なぜ堺や大坂に、これほどの自治精神が根付いたのか?色んな人が色んなことをいってますが、個人的には「歴史都市かつ海民都市」というのは背景として挙げられるのではないか?と思ってます。つまり畿内半島は日本の歴史の発祥地で、非常に古くから開けている。しかし大和や山背には長く権力者がいましたが、大坂にはほとんどいなかった。河内王朝(仁徳天皇陵のあの意味不明な巨大さよ)、難波宮(我が国初の本格的宮殿でした)などもありますが、大体、一朝で滅んでいる。これは中世・近世の大坂本願寺や秀吉大坂城もそうです。巨大な権力が君臨するが、どうも歴代、短命で終わっている。巨大な権力はあったが、滞在期間が非常に短い。「権力はアテにならない」ということを肌身で何度も何度も体験している。

また大和や山背は盆地都市で海がありませんが、大坂は「海民の都市」です。海民は常民・平民・農民のように土地があって、その上で計画経済するなんて生活ではなかった。海に出ても魚が取れるかどうかはわからない。非常に投機的で、ギャンブル的な集団です。さらに海は「船板一枚下は地獄」という厳しい世界で、船なんかも集団で操舵します。田畑も集団で耕作しますが、誰かが失敗してもそれほど致命的になりません。しかし船の場合は集団で操舵して失敗したら命がけです。必然的に団結性が強い集団とならざるを得ない。

それでいて海はまたどこまでも繋がっている。「流れ者」や「漂流物」なども多く、新しい文化を享受することに長けています。例えば琉球の「蛇皮線」(ジャビセン)が、初めて日本本土に入ったのは実は堺で、琉球では蛇がいたから蛇皮線でしたが堺には蛇はいなかったので犬猫の皮などで代用して、それが「三味線」(シャミセン)となった。琉球の蛇皮線自身、福建省の「三弦」(サンシェン)がルーツなんで「堺の隣は琉球。琉球の隣は唐」といったような隣町感覚が海民にはあります。平民のそれとはまるで違う。文化や人種、民族といった垣根を軽々と超えるのが海民の面白さで、これは権力や国家といった土地に縛られた支配構造に左右されません。自由を許容することを大切にする。

権力を疑い、仲間や身内を信じ、自由意志を愛する民。こういう三拍子が揃って自治精神というものが発達してきますが、大阪にはこれが歴史的に、そして風土的にあったから、江戸時代にして既に充実した町衆社会を実現することができた。しかし大阪の町衆社会は、その完成度が非常に高かったがゆえに、近代に勃興した「縦型の権力構造」である「国民国家」とは兎角、相性が悪いわけです。「大阪に市民社会はあるが国民国家はない」というのは本当の話で「大阪府知事??そんなん別にタコでええんちゃいまっか?」ってのが横山ノック現象で、「タコはさすがにあかんで。もうちょい若い威勢のええ奴でどや?」ってのが橋下徹現象です。タコから若者になっただけ、近代国家として進化した?といえなくもないのかも知れませんが、これは実は進歩したのではなく、伝統と誇りある大阪的町衆社会が退化した現れだったりします。無念。

要するに大阪人の政治音痴は致命的レベルで、今から近代的な国民国家になろうとしても、まぁ、無理だろうし、むしろ目指さない方が良いとぼくなんかは思ってます。むしろ現代大阪の問題と進むべきベクトルとは、縦型・垂直型の近代国民国家に骨抜きにされた、横型・水平型の近世市民社会を「どう再現するか?」ということに尽きます。これはしかし要するに、じつは「ほっとけばええ」んです。近代国民国家の崩壊を待つww 大阪人は、元々のOSが、スタンダードが既に「自治」なんです。その上から意味不明なソフト(近代国民国家バージョン3.1ぐらい←またこれが信じられないぐらい「古い」んです)をダウンロードして実装しているだけ。極論をいえば、これをゴミ箱に「削除」してしまえばいい。明治維新以降、150年は大阪にそういう変なソフトで動いてました。その後遺症で150年ぐらいは四苦八苦するかも知れませんが、しかし、150年あれば元に戻るだろうと。希望的な、楽観的な観測かも知れませんが、しかし、そういう意味で、ぼくは大阪という都市を、大阪人を信じている。

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21世紀型東京の公共をいかに創出するか?を考えて劇作家の岸井大輔さんが『東京の条件』を書きました。東京という都市の公共の担い手は、過去に一度、大きく変更された時がありました。大政奉還です。このとき「幕府」がいなくなりましたが、しかし東京はすぐに「明治新政府」を迎えたので、公共の崩壊は免れました。しかし、今度はそうもいかない。幕府に代わって明治新政府が見えていた時代と違って、いまは戦後民主主義に代わって、次はなにか?というのが全く見えていない。それでいて近代国民国家が自家中毒によってもろくも崩壊しようとしている。近代国民国家が無くなった時に、最も危険なエリアは首都・東京です。東京の公共の担い手がいなくなれば、それは想像以上に恐ろしい結果を招きかねない。次の東京の公共の担い手は誰か?どう、その担い手を育成すればいいのか?そこが描かれています。全東京人が読むべき戯曲です。

通奏低音として「活動」「仕事」「労働」「思考」の重要性を説いたハンナ・アレントの『人間の条件』があり、そこから導かれた岸井さんの小さな公共の組織論モデルは非常に面白く、ぼくなりに色々と考えさせられました。「應典院コモンズフェスタ2014」の24時間トークイベント「如是我聞」の中でも、この話になって「これは勇者+戦士+魔法使い+僧侶のトーキョークエスト最強布陣!」みたいなことで盛り上がりましたが、これは大阪でやる場合は、また別の布陣があるだろうとぼくは思っていて、それが「遊び人+遊び人+遊び人+遊び人のオーサカクエスト最弱布陣」。これは要するにテキトーにやいのやいのいいながら遊んでいるうちに、みんな顔見知りになって、やがて近代国民国家の崩壊がきて混乱するけれども「あ。なんかしらんけど、気がついたら、ええ感じやん」という「果報は寝て待てモデル」ともいえますw 岸井さん自身もよく「大阪だから住み開きができる。東京ではできない」と看破してはりますが、大阪はそういう悠長なことができる。条件として恵まれている(恵まれすぎているぐらい!)。だから危機意識がない。東京は切実です。そして、だから戯曲『東京の条件』が産まれた。

「東京の条件」と「大阪の条件」と。それぞれの都市にあった公共があるということです。


2014年 2月 4日
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